第52話 リンクショット姉妹
俺は、今にも怒りに呑み込まれそうなアイリスの肩を、強く掴んだ。
指先からアイリスの震えが伝わる。
「アイリス。何があったかは知らんが、ひとまず落ち着け。……貴様は今、冷静さを欠こうとしている」
だが、俺の言葉は虚空へ吸い込まれるばかりで、アイリスからの反応がない。
アイリスはただ、焦点の定まらない瞳で一点を見つめていた。
……このままではアイリスが暴走しかねんな。
今のうちに、最悪の事態を想定して手を打っておくか。
「……フォルテ、馬車の馬を使い、すぐにセレスとポエテを呼べ。一刻を争う。それと……ミサミサもだ」
「はっ、ただちに」
フォルテは理由を問う愚を犯さず、即座に家を飛び出した。
主の意図を汲み取り、無駄のない動きで行動に移す。
やはり、奴は俺の右腕として最高に使い勝手のいい男だ。
相手がヴァンパイアであれば、アンデッド戦になる可能性が極めて高い。
ならば、元聖女セレスと司祭ポエテが不可欠だ。
大精霊のミサミサは、不測の事態に備えた『保険』でもある。
「クロエ。アイリスの面倒を見てやれ。どうやら疲れているらしい」
「はっ」
クロエが短く頷く。
俺はその際、クロエに目配せを送った。
――アイリスを監視せよ、と。
その真意を察したクロエの瞳に、光が宿る。
「エルレイン、この村に防壁や塀はあるか? これまで幾度も魔物に襲われてきたと言っていたな」
「塀? 簡単な動物避けくらいならあるけど……不思議なことに、魔物は村の中までは踏み込んでこないんだよなぁ」
やはりな。
意図的に魔物を操り、村を『生かさず殺さず』の状態で管理しているのか。
もし敵の正体が本当にヴァンパイア・ロードであれば、村人を人質に取るような真似もしてくるだろう。
現状の戦力は『主人公』エルレイン、エルマ。
『賢者』クロエ。
フォルテの援軍が間に合えば、『聖女』セレス、『司祭』ポエテ、『大精霊』ミサミサが加わる。
そして俺とアイリス、あとはルナリアの『ラスボス候補』。
……ん? ルナリア?
「ルナリアは……どこだ?」
辺りを見渡すが、あの騒がしいルナリアの姿が見当たらない。
そういえば、俺がエルレインに不意打ちを食らった後から、気配が消えていた気がする。
まさか、すでに敵の別働隊にさらわれたのか……?
いや、ルナリアに限ってそれはないだろうが……念のためだ。
「……馬車を見てくる」
俺は早足でエルレインの家を出ると、村の隅に停めてある馬車へと向かった。
馬車の扉を勢いよく開け放つ。
「……貴様」
馬車の中には、ひっくり返って気絶しているルナリアがいた。
「おい、ルナリア。起きろ。この緊急事態に何をしている」
「……ん、むにゃ。もう、お腹いっぱいで食べられない……」
「……起きろ!」
「ひゃいいい!?」
情けない声を上げて、跳ね起きるルナリア。
「貴様、馬車の中で何をしていた」
「あ、あれ? 私、何を……? 確か、アイリスさんが不審者に攻撃を仕掛けたのを見て、その後くらいからの記憶が……」
アイリスが不審者に攻撃を仕掛けた後、だと?
アイリスが飛び出していった後にエルレインを攻撃し、その後は……
エルマの『恋人宣言』か?
エルレイン以外に、気絶する効果がある奴がもう一人いるとはな……
「……起きろ。今は猫の手も借りたいくらい忙しいのだ」
俺は呆れ果てながらも、ルナリアに手を貸し馬車から下ろした。
「す、すみませんでした……不徳の致すところでございますにゃん……」
「……そのふざけた語尾は止めろ」
ルナリアのくだらない冗談を切り捨てた、その時だった。
「レヴォス様! 大変です!」
クロエが血相を変えて走ってくる。
その焦りようを見た瞬間、嫌な予感がよぎる。
「どうした、クロエ」
「アイリス様が、制止を振り切って村の外へ飛び出してしまいました! 北の森の方角です!」
……まったく。やれやれだ。
おそらく、村の北に潜むヴァンパイア・ロードの根城へ直行したのだろう。
策も持たずに突っ込めば、待っているのは死より無残な結末だ。
「クロエ、ルナリア。貴様らはこの村で待機し、魔物の襲撃から民を守れ。フォルテたちが合流したら、俺は北へ向かったと伝えろ」
「しょ、承知いたしました!」
反射的に返答するルナリア。
だが……クロエが食い下がってきた。
「あの、レヴォス様! 私も連れて行ってはもらえませんか? アイリス様を止められなかったのは私の過失です、せめてその償いを……」
クロエは俺の袖を、消え入りそうな力でちょいと引っ張る。
「不要だ。気にするな。お前にはお前の役割がある」
「ですが……せっかくこうして遠出に同行できたのです。少しでも、レヴォス様のお側に居たいのです……」
今にも涙が零れ落ちそうなクロエ。
そういえば最近、俺の魔法の調査ができていないことを不満にしていたな……
だが、今はアイリスやヴァンパイア・ロードの事を説明している時間は無い。
「クロエ。お前の魔法は唯一広範囲を攻撃できるのだ。それに今から向かうは森林地帯。お前の魔法が役に立たん。ここで待機せよ」
「でも……」
涙がこぼれ落ちるクロエ。
そんなにも俺の魔法を研究したいのか……
やむを得ん。餌を撒いておくか。
「わかった、クロエ。今回の件が片付いたら、帰還後に貴様の願いを何でも一つ、聞き入れてやろう」
「「 えっ!? 」」
クロエとルナリアの絶叫が、静かな村に響き渡る。
「そそそ、それは本当ですか!? どのような内容でも、どんなワガママでも良いのですか!?」
「ああ、何でもだ。だから……分かったな?」
「わ、分かりました! このクロエ・フィーンズ、命に代えてもこの村を死守いたします!」
俺はその言葉にコクリと頷くと、地面を蹴り、村の北方面へと駆けだした。
背後で「ずるいです! 私もご褒美が欲しいにゃー!」というルナリアの叫びが聞こえたが、今は一秒が惜しい。完全に無視だ。
村を抜けると、陽光を遮るほどに木々が生い茂る森林地帯へと景色が変わる。
地面には所々、真新しい剣戟の跡や、布の切れ端が散乱していた。
エルレインがこれまで一人で戦ってきた爪痕だろう。
だが、やはり不自然なほどに魔物の死体が一つも転がっていない。
死体を回収し、再利用しているのか……しかし、アイリスはどこまで行ったんだ。
「……仕方が無い。最高速だっ!」
全速力で駆ける。
一人で来たのは、単純に俺の速度に並走できる者がいないからだ。
そして、孤立した弱者を各個撃破されるリスクを最小限に抑えるためでもある。
――――――
どれほど森を駆け抜けたか。
ついに気配を感じた。
……見つけた、アイリスだ。
だが、気配はひとつではない。
遮二無二走るアイリスの背中を捉え、俺は一瞬でアイリスの横へと並ぶ。
「おい、アイリス! 一人で行くな!」
「……レヴォスくんか。悪いが、ボクには構わないでくれ。これは、ボク自身の問題なんだ」
「冷静になれ。お前はまだ気づいていないのか? 貴様はすでに、敵の網の中に捕らえられているぞ」
「え……?」
アイリスが足を止めた瞬間――
周囲の木々の影が、生き物のようにドロリと蠢き出した。
ズズズと地面を這い出した影は、アイリスの目の前でゆっくりと鎌首をもたげ、人の形を形成していく。
「ほう。よくぞ、私に気がついたものだな。ここに来たのならば、私に用があるのだろう?」
現れたその姿は、まさにアイリスが語っていた通りであった。
銀髪に、漆黒の夜を纏ったかのようなマント。
そして、顔の半分を隠す金色の仮面。
俺の持つ『エル戦』の知識が、その正体を明確に告げている。
奴こそが、『ヴァンパイア・ロード』ブラドニス。
いきなり本人のお出ましとはな。
「お前……! ずっと、ずっと探していたぞ……貴様が、貴様があぁぁぁぁ!!!」
アイリスの喉が裂けんばかりの絶叫。
アイリスは激情のままに剣を抜こうとするが、俺はそれを制するようにアイリスの肩を強く抑えつける。
「落ち着け! アイリス! 奴の術中にはまるぞ!」
だが、その瞬間――
視界が強烈に歪み、足元の感覚が消失した。
気がつくと、俺は知らぬ花畑の中に立っていた。
「なんだここは……!? 幻術の類か!?」
辺りを見渡すと、陽だまりのような花畑の中で、ドレスを纏った二人の少女が戯れているのが見えた。
身体を動かそうとしたが、指一本動かせない。
自分の手を見れば、霧のように半透明に透けている。
これは『エル戦』の回想イベントで見た……アイリスの記憶の中か!
「待って~! お姉さま~!」
花を散らしながら駆けてくるのは、ドレスを着た幼い少女。
少女が追う先には、優しげな微笑みを浮かべた、少女によく似た面差しを年上の少女が立っていた。
「ふふ、お転婆な子猫ちゃんだね。そんなに走ると転んでしまうよ」
少女は走り寄ってきた妹を、慈しむようにしっかりと抱きしめる。
「これ、作ったの! お姉さまに、似合うと思って!」
少女の手には、色とりどりの野花を編み込んで作った、いびつだが心のこもった花冠があった。
「おや、随分と綺麗だね。こんなに素敵な贈り物を、ボクが貰ってもいいのかな?」
「うん! お姉さまは世界一のお姫様だもん!」
姉の頭に、誇らしげに花冠を乗せる妹。
「ふふ、こんなに素敵なものを貰えるなんて、ボクは幸せ者だよ! ありがとう!」
「ほんと?! えへへ、喜んでもらえて嬉しい!」
そこには公爵家の令嬢という重責を感じさせない、純粋で仲睦まじい姉妹の日常があった。
だが、俺は知っている。
この幸せな光景を、次に何が襲うのかを。
ゲーム内で嫌というほど描写された、あの悲劇の始まりを。
突如、色鮮やかな花畑にどす黒い影が広がり、一人の男が実体化した。
「な、何者だ貴様……! 不法侵入だぞ!」
「ど、どうしたの? お姉さま」
姉妹の前に現れたのは……『ヴァインパイア・ロード』ブラドニス。
「ふむ……そこの幼子、実に面白い魔力を宿しているな。芳醇な香りがする……実に興味深い」
「貴様、何者だ! ここがリンクショット家の領内だという事を分かっているのか!」
「領内……? 笑わせるな。そうであるならば、この世界すべてが我が庭園だ。家畜風情が、調子に乗るなよ」
「お姉さま、あの人……目が赤くて、怖い……」
姉の背後に隠れ、ガタガタと震える少女。
「……聞くんだ。今すぐ屋敷まで走るんだ。そして護衛の騎士たちに、緊急事態だと伝えてほしい。いいかい? 後ろを向かずに走るんだよ」
「お、お姉さまはどうするの……?」
「ボクはここで……こいつを足止めする! 公爵家の長女として、妹を守るのは当然だろう? さあ、行くんだ!」
「え、でも……エステラお姉さまを独りになんてできない!」
「ボクは大丈夫さ! さあ、行くんだ! アイリス!」
姉エステラに背中を強く押され、幼いアイリスは涙を拭いながら必死に駆け出した。
だが――
アイリスが護衛を引き連れて戻ってきたとき、そこには無残に散らされた花冠が落ちているだけで、姉エステラの姿はどこにもなかった。
そして、あの男の気配も。
リンクショット家の長女エステラ・リンクショットの失踪。
それから長年、リンクショット公爵家の総力を挙げて捜索が行われたが、エステラの行方を見つけることは出来なかった。
アイリスも長年、姉と怪しき人物を探し続けたが全く何も、手掛かりは見つからない。
それから、自責の念に駆られ続け、姉の影を追う様になってしまったアイリス。
『私は……』
『私は、アイリス』
『私は……ボクはアイリス』
『ボクはアイリス……!』
『そう……ボクはアイリス。ボクこそが、アイリス・リンクショットさ!』
失った姉を自分の中に作り上げ、その口調を、その振る舞いを模倣し続けることで、辛うじて自我を保ってきた歪な空殻。
それが、今のアイリスだ。




