第45話 対:ゼノス 後半戦
突如、目の前の少年の肉体が異様な変貌を遂げた。
骨が軋む不気味な音と共に、その背丈は3メートル近くまで膨れ上がり、皮膚を突き破らんばかりに隆起した筋肉が全身を覆う。
頭部からは歪な角が突き出し、その姿はまさに『鬼』そのものだった。
「ほう。随分と似合う姿になったな。狙われにくい子供の姿に擬態するとは……氷牙流というのは、よほど臆病者の集まりらしい」
俺は鼻で笑い、挑発的に言い放つ。
「くかかか! 言っておれ、小童めが! この姿では手加減できんぞ!」
咆哮するゼノス。今の俺が本気を出せば、この場ですぐに塵にすることも可能だ。
だが、それでは俺の計画に支障が出る。
エリザに、自らの手で宿敵を討ったという圧倒的な達成感と、俺への忠誠を植え付けなければならないのだ。
「エリザ。貴様の紅蓮流で、あの化け物を仕留めてみろ」
「ええ、もちろんですわ!」
「くかか! 貴様ら全員でかかってきても構わんがな? そんな余裕をぶっていて、後悔しても知らんぞ!」
巨躯を揺らし、ゼノスが余裕たっぷりに嘲笑う。
「お前こそ余裕そうだな。……エリザ、例のアレを使って即座に片付けろ」
ゼノスを倒すなら早い方がいい。
エリザには、致命的とも言える『精神的な脆さ』という弱点があるからな。
「……承知いたしましたわ!」
俺が指示したのは、『真・紅蓮流』の奥義――『紅蓮流・四神心叫拳』だ。
エリザが深く腰を落とし、拳を構える。
「いきますわよ! ゼノス!」
「ほう。この姿を見てなお、儂に立ち向かうか。だが、紅蓮流は『腰抜け』の集まり。どこまで見れるか見ものよ!」
「……今、わたくしのことを『腰抜け』と言いましたの……?」
エリザの肩が微かに震える。
……まずい、一番触れてはいけない地雷をいきなり踏み抜かれたか。
ゼノスは無意識だろうが、エリザのプライドを逆撫でする術に長けているらしい。
「ん? 腰抜けを腰抜けと言って何が悪い? 紅蓮流と書いて『腰抜け』と読むのであろう?」
ゼノスがさらに冷笑を浴びせる。
「ゼノス……お前を殺しますわあああああ!!」
激昂したエリザが、顔を真っ赤にして叫ぶ。
怒りに我を忘れ、地面を蹴り飛ばすようにして一直線に突き進んでいく。
俺が教えた奥義のことなど、今のエリザの頭からは完全に消え去っているようだ。
「ゼノスうううううう!!!!」
放たれたのは、怒りに任せた大振りの右拳。
「甘いわ! 腰抜け流めが!」
ゼノスは避けるまでもないとばかりに、その巨腕でエリザの拳を受け流す。
体勢を崩し、無防備に晒されたエリザの腹部へ、丸太のような右拳が容赦なく叩き込まれた。
「ぐはぁっ!!」
エリザの身体が木の葉のように吹き飛び、岩肌に叩きつけられる。
「お嬢様ぁ!」
「そんな、お嬢様!」
リンとレンの悲鳴が上がる。
泥に塗れ、怒りと屈辱で表情を歪めるエリザを見て、俺は小さく溜息をついた。
これでは拉致があかない。
仕方ない……リンとレンに協力してもらうか。
「リン、レン。お前らがエリザに向かって、今まで通り、煽ってやれ」
「ええ!? そんなこと……できません!」
「お嬢様が……さらに混乱してしまいます!」
リンとレンが躊躇している。
当然だ、悪口で精神を鍛える修行は失敗しているのだからな。
だが、今やエリザは怒りで我を忘れている。
エリザの怒りに、さらに違うベクトルのリンとレンの煽りを入れる事によって逆に冷静さを取り戻させる。
「大丈夫だ。エリザを助けたかったら、俺の言う通りにしてみろ」
リンとレンがお互いの顔を見て、覚悟を決めたように頷いた。
そして、エリザに向かって大声を浴びせ始める。
「よわよわお嬢様、おっそーい! 止まって見えてるよぉ? もしかして、わざとゆっくり動いてるのかなぁ?」
「そんなにゼェゼェ言っちゃって、もうお疲れですかぁ? 鍛えてる(笑)割にスタミナなさすぎじゃな~い? お嬢様のパンチ、蚊に刺された方がまだ痛そうだよぉ!」
「ねぇねぇ、今どんな気持ちぃ? 自分の使用人にこれだけ言われて、イライラが限界かなぁ? でもパンチ当たんないもんねぇ! ざぁ〜こ! どんくさぁ〜い!」
「お嬢様のプライド、もうボロボロのゴミクズだもんねぇ! 早く降参して、わたしたちの靴でも舐めなよぉ!」
(リンちゃん、レンちゃん。……めっちゃ言うやん? 想像以上にノリノリなんだけど……日頃のエリザちゃんに恨みでもあるのかな……)
しかし、効果は劇的だった。
エリザの動きがピタリと止まる。
エリザの首が、油の切れた人形のようにギギギと不気味な音を立てて回り、リンとレンを凝視した。
「ひぇっ!」
「こわぃっ!」
先ほどまでの燃え盛るような怒りは消え、エリザの瞳には底知れない虚無、あるいは極限の静寂が宿っていた。
無表情で二人を見据えるその姿は、逆に背筋が凍るような威圧感を放っている。
だが、エリザは深く、長く、肺の腑を入れ替えるような深呼吸をした。
「す~……はぁ~……リン、レン。落ち着きましたわ。あなたたちのおかげで……奥義が使えますわ」
エリザが、リンとレンに美しい笑みを浮かべる。
「……お嬢様!」
「冷静になられた!」
だが、その異様な空気の変化を、ゼノスも感じ取ったようだ。
「ふん、さきほどからコロコロと表情を変え何を遊んでおる」
「ゼノス! わたくしの奥義……お喰らいなさい!」
エリザが爆発的な踏み込みで地を駆ける。
「吹き飛びなさい! ゼノス! 真・紅蓮流奥義――『四神心叫拳』!!!」
「なにっ!? 速い……!」
俺が授けた『四神心叫拳』。
それは、己の魂を揺さぶる感情を打撃へと変換する四連撃だ。
原作でのエリザは、リンやレン、主人公エルマたちへの『感謝を込めた打撃』を放つ。
今のエリザにとっても、日ごろを共にし一緒に修行したリンとレンには格別の想いがあるだろう。
それに、病に伏した父親への願い。
そして俺への感謝の感情で満たされている。
今のエリザにとっては、感謝のエネルギーで溢れているはずだ。
その想いを爆発させれば、ゼノスに勝てる。
そして、エリザの――『四神心叫拳』が発動した。
「1撃目ェ! これはぁ……わたくしの溢れんばかりの怒り!」
エリザの拳に猛烈な紅蓮の炎が宿り、ゼノスの顎を砕かんばかりにカチ上げた。
「ぐはぁっ!」
衝撃で浮き上がったゼノスを、エリザは逃がしはしない。
「2撃目ェ! そしてこれは……!! わたくしの心の底からの怒り!!」
「ぐふぅ!」
回避不能のタイミングで、ゼノスの分厚い腹筋をエリザの拳が貫通せんばかりにめり込む。
「3撃目ェ! 3撃目は……わたくしの魂の叫びたる怒り!!!」
「ぶへぇ!」
上空から振り下ろされたエリザの踵落としが、ゼノスの脳天を直撃し、その巨躯を地面に叩き伏せた。
「最後の4撃目ェ……! わたくしの……このわたくしの最大級の怒りだぁ!!!!」
「ぐああああああ!!!!」
最後の一撃。
渾身のドロップキックがゼノスの胸中央に炸裂した。
衝撃波が周囲の樹木をなぎ倒し、爆音と共にゼノスの身体が吹き飛ぶ。
「ぐうう! 儂の……儂の身体がぁ!!! 崩れる……死ぬというのか、この儂がぁ!!!」
叫びと共に、ゼノスの肉体が砂の城が崩れるようにボロボロと朽ち果てていく。
やがてその場には、ゼノスが身につけていた衣服と、一つの古びた荷物袋だけが残された。
あの中にエリザの父親の病を治す『百効薬』があるはず。
何せ、ゼノスは自分の身体を維持するために『百効薬』が必要だからだ。
「わたくし……やりましたわ……! ゼノスを、討ち取りましたわ!」
エリザが震える拳を握りしめ、歓喜に震える声で叫ぶ。
「お嬢様! やりました!」
「お嬢様! かっこいい!」
リンとレンが両手を上げてピョンピョンと跳ねて喜ぶ。
エリザは確かに勝利した。
……俺の教えた奥義が、なぜか『感謝』ではなく『怒り』に置換されていた気もするが……まあ、結果が全てだ。
「リン! レン!」
肩で息をしていたエリザが、満面の笑みでリンとレンの方へと振り向いた。
「はい!」
「お嬢様!」
「さっき、あなたたちが言った言葉の数々……一言一句漏らさず、覚えてますわよおおおお!!!!!」
「ひえええええええええ!!」
「お許しくださいましぃ!!」
逃げ惑うリンとレンを、エリザが怒髪天を突く勢いで追い回し始める。
……やれやれ。だが、この騒がしさが彼女たちらしい。
俺は、転がっている荷物袋を拾い上げ、静かに笑みがこぼれた。




