第37話 樹木の精霊
とんだ『課題』になったものだ。
水妖を仕留め、アイリスに掛かっていた催眠はなんとか解けた。
だが、事態は芳しくない。
高位モンスターである水妖の襲撃を目の当たりにし、死の淵を身をもって感じた200人もの生徒たちは、恐怖で完全に腰が引けている。
そして、教師のボレルが瀕死だ。
おそらく生徒へ被害が出ることを防ぐために、ボレルは水妖と戦ったのだろう。
だが、相手が2体の水妖となれば話は別だ。
精鋭の騎士といえど、この無残な姿も納得がいく。
ボレルは騎士だ。
主君のため、あるいは弱き者のために命を捨てることを厭わぬ『美学』を持っている。
だがもし、ボレルが水妖に殺されれば、生徒たちもまた水妖の餌食となったはず。
ボレルが血反吐を吐きながら俺たちの元へ這い寄ってきたのは、「逃げろ」と伝えるためだ。
だが、現実に生徒に被害は出ていない。
ならば――この状況、俺が有効に利用させてもらうとしよう。
俺はボレルに歩み寄り、耳打ちした。
「ボレルよ。俺が誰か、分かっているな?」
「……は、はい。レヴォス様……ムーングレイ家の、ご子息……」
騎士であるボレルは王家に忠誠を誓っている。
そしてその王家は、我がムーングレイ家に騎士団の全権を委ねているのだ。
つまり、ムーングレイ家の俺の言葉はボレルにとって、王の命にも等しい重みを持つ。
「ふむ。ならば話は早い。ボレル、貴様は今すぐ生徒を連れて帰還しろ。その程度の傷、騎士の意地でどうにかしてみせろ。あと、俺も一緒に帰還したことにしておけ。いいな?」
「ですが……レヴォス様は……如何なさるおつもりで……?」
「俺はこのまま奥へ進む。他言は無用だ。……分かったな? 生徒を無事に帰すのは教師の、そして騎士としての『矜持』だろう。貴様がどうなろうと知ったことではないが、生徒だけは確実に送り届けろ」
俺はあえて、獲物を追い詰める視線をボレルに突き刺した。
俺の「分かったな?」という言葉には、もし口を滑らせれば貴様の騎士としての立場を保証しないという明確な圧力を込めている。
客観的に見れば、ムーングレイ家という圧力のパワハラだが、今はこれが一番効率的だ。
ボレルは力なく、コクリと頷く。
そもそも、ボレル自身もこの惨状で課題を続行できるとは思っていなかったはずだ。
俺は踵を返し、森の奥を見据えた。
ケルピ2体の同時出現。
これは原作『エル戦』において、ある稀少なイベントの発生を暗示している。
そう、『樹木の精霊』の出現だ。
そして、その『樹木の精霊』は反乱軍の、エルマの仲間になるキャラクターだ。
(このイベント、発生条件がランダムすぎて、ゲームでは何十時間も森を彷徨う羽目になるんだよなぁ。でもこれが発生条件のイベントなら、確かめる価値がある!)
思わず笑みがこぼれるのを抑える。
だが、問題は懐柔の難易度だ。
『樹木の精霊』はケルピに追われて深手を負っているはずだ。
その容姿は人間と変わらぬ美しさだが、内包する膨大な魔力ゆえに、水妖からは『極上の餌』として狙われていた。
おまけに極度の人間不信だ。
不用意に近づけば、即座に排除の対象となる。
『樹木の精霊』の恐ろしさは、周囲の樹木を自在に操る点にある。
地面から巨大な木の根を槍のように突き出し、侵入者を串刺しにする。
その攻撃は初見で回避するのは不可能に近い。
だが……そんな『樹木の精霊』を懐柔するための力が、俺には備わっている。
俺はボレルにさっさと帰れという合図を送った。
「……諸君、課題は中止だ。これより速やかに帰還する」
ボレルの宣言に、生徒たちの間に安堵の溜息が広がった。
彼らは蜘蛛の子を散らすように、来た道を急ぎ足で引き返していく。
その様子を眺めていると、エルマが声を掛けてきた。
「レヴォス様は……帰らないんですか?」
「ああ。俺はこのまま進む。エルマも帰れ」
だが、そのやり取りに割り込んできた影がもう一つ。
「レヴォスくんが帰らないのなら、ボクも一緒に行くよ!」
「足手まといだ。失せろ」
「ひんっ!」
俺の言葉にビクンと肩を震わせるアイリス。
だが、アイリスはよろよろと立ち上がり、俺の肩を掴む。
「ボクは……レヴォスくんに命を救われたんだ。その借りは、なんとか返さないと気が済まないよ。何かボクに出来ることは無いかな……?」
ふん、催眠を解いただけだというのに、随分と大層な義理立てだ。
だが……アイリスの価値はあるかもしれん。
アイリスの剣技は本物だ。
大量のキラーアントを瞬く間に切り伏せたあの腕前。
道中の雑魚モンスターの掃除を任せるにはちょうどいい。
何せ、肝心の『樹木の精霊』がどこにいるかも分からん。
それに、俺も二度の雷魔法を使ったことで、両手の指が焼け焦げているしな。
「……いいだろう、アイリス。そこまで言うなら、お前には『身体』で借りを返してもらう。この先の、深い森の中でな」
「ふぁっ!? こ、この、人のいない森で!? わ……わかったよ! レヴォスくんがそこまで望むなら、そういう『趣向』も、受けて立とうじゃないか……!」
「ああ、期待しているぞ。その時が来るまで、そばに居ろ」
俺が突き放すように言うと、アイリスはなぜか顔を真っ赤にして鼻息を荒くしている。
ふん、モンスターだらけの森へ向かうというのに、戦いへの高揚を抑えられないとは、やはり戦士の素質があるな。
俺たちは隠密を保ちつつ、森の深部へと足を踏み入れた。
だが、背後から忍び寄る不快な気配がもう一つ。
「レヴォス様ぁ……やっぱり、森は怖すぎますよぉ……!」
エルマだ。この女、何度言えば理解する。
「貴様、帰れと言ったはずだ。なぜ勝手についてくる?」
「え、えへへ……だって……森の中でアイリスさんと『何か』するって仰るから……私も、その、お役に立てるかなって……へ、へへ……」
エルマが下卑た笑みを浮かべ、もみ手をしながら擦り寄ってくる。
全く……恐怖に震えながらも、主人公としての戦闘への意欲だけは一人前ということか。
だが、『樹木の精霊』とエルマを会わせるわけにはいかん。
万が一にも、エルマの仲間になどにされては敵わんからな。
「エルマ。付いてくるのは許可するが、俺の指示があるまでアイリスと共に待機していろ。分かったな?」
「は、はい! 喜んでぇ!」
エルマはそう言うと、テカテカとした笑顔で答えた。
「よし、行くぞ。アイリス、エルマ」
俺たちはボレルが水妖に襲われた現場へと向かった。
なぎ倒された巨木、不自然に湿った土壌――ケルピの移動跡を執拗に追う。
道中、森のモンスターたちが牙を剥いたが、アイリスがそれらを斬り捨てていく。
だが、肝心の『樹木の精霊』は見つからず、日が落ちてきた。
俺は視界が開けた場所にある、巨大な岩を見定めた。
「日が暮れる。今日はここで野営だ。すぐに準備をするぞ」
「はいっ!」
「了解だよ、レヴォスくん」
岩を背にして死角を減らし、焚火を起こす。
俺は荷物から取り出した乾燥させたコエバ草を、炎の中へ投じた。
パチパチと音を立てて燃える草から、鼻を突くような刺激臭が立ち上る。
獣を退けるための安直な手段だ。
「今夜は、交代で番をした方がいいかな?」
「いや、その必要はない。コエバ草の煙が朝まで持つ」
無論、そんなのは嘘だ。
コエバ草の効果など、せいぜい一刻も持てばいい方だろう。
だが、俺が寝ながらにして、周囲を警戒すれば済む話だ。
こいつらに余計な気を使わせる時間が惜しい。
「いいか、夕飯を腹に詰めたらさっさと横になれ。……分かっているな? 二人とも」
俺が低く威圧的な声を出すと、二人はゴクリと唾を飲み込んだ。
ここでキャンプファイヤーの如く朝までお喋りに興じられては、俺の神経が持たん。
俺に同行する以上、常に万全の戦力を維持することだけを考えてもらうために、早くに寝て貰わねば。
それから程なくして、俺は寝袋に潜り込んだ。
だが……想定外の事態が起きた。
「……おい。貴様ら、自分の寝袋はどうした」
「ボクとしたことが、寝袋を失念してしまっていてね。申し訳ないが、一緒に寝させてもらうよ」
「レヴォス様、ごめんなさい。私も忘れちゃって……」
厚顔無恥にも、二人が俺の寝袋に潜り込もうとしてくる。
ここで追い出すのは簡単だが、夜の森の冷気は人を殺す。
こんな所で凍死されては、明日からの雑魚狩りを任せられん。
やむを得ず、三人で一つの寝袋に収まってみたものの――
狭い。物理的な限界だ。
一人用の寝袋が、三人の肉体によってパンパンに膨れ上がり、はち切れそうな悲鳴を上げている。
しかも、二人がやたらとモゾモゾと動く。
「やかましい、動くな」
「え、でも……動かないと、できませんし……」
「ボクらは動かずに、レヴォスくんが動くということかな? ふふ、承知したよ」
二人がわけのわからないことを口にしていた、その時だ。
地面の底から、密やかな『鼓動』が伝わってきた。
土の下で、巨大な蛇がのたうち回るような、不気味な震動。
それは、巨大な『木の根』の動きだ。
――来たか。『樹木の精霊』。




