第36話 バレリアの森
実技課題の当日。
演習地である『バレリアの森』の入り口には、学園の生徒たちが集結していた。
結局、俺の四人組は『商業団』のキリノ、『魔法省』のアイリス、そして相変わらず震えて俺の背後に隠れている『逃げ癖』持ちの主人公、エルマという顔ぶれになった。
「しかし、まさかシークランス家がずっと休学してはるとはねぇ。せっかく4大公爵が揃って入学したのに、残念極まりないわ」
「あの爆発騒ぎさ。暗殺は失敗したようだが、犯人も見つかっていないというじゃないか。確かに今、姿を現すのは危険すぎるんじゃないかな」
キリノとアイリスがそんな噂話を口にしている。
ケウダ・シークランスはあの日以来、一度も学園に登校していない。
シークランス邸での爆発は、世間では『正体不明の暗殺者による未遂事件』として処理されているようだ。
「ふん、公爵家で爆発騒ぎとはな。バカな真似をする奴もいたものだ」
俺は鼻で笑い、傲岸不遜な態度で吐き捨てた。
表向きは徹底して『知らぬ存ぜぬ』を貫く。
ここで動揺を見せるようなヘマはしない。
「ほんまですわ。自分らも公爵家ってことで、巻き添えで狙われたりするのは勘弁ですわー」
キリノは「あー恐ろしい」と、わざとらしく身を震わせていたが、その目は少しも笑っていない。
「しかし、レヴォスくんの忠告に従っておいて正解だったね。課題でいきなり、こんな本格的な場所に放り込まれるとは思わなかったよ」
「ほんまやで! 『バレリアの森』がこれほど不気味な場所やとは。助かりますわ、レヴォス大明神さま!」
二人の言葉に、俺は数日前の教室を思い出す。
俺はチームを組んだ際、あえて周囲に聞こえるような大声で警告を発したのだ。
『あの森には尋常ではない数の魔物が生息している。中心の大樹に到達するには、最低でも二日はかかる。死にたくなければ、それ相応の準備をしてこい』と。
その時の教室の静まり返りようといったらなかった。
エルマに至っては「レヴォス様、遠足じゃないんですか?」と間抜けな面を晒していたが、俺は一切の妥協を許さなかった。
「俺は本気の装備で行く。グリズリーやボアと素手で取っ組み合いをしたい愚か者がいれば、好きにしろ」
「レヴォスくんの言葉には、嘘は感じないね。ボクも本気の装備で挑ませてもらうよ」
「それは怖いわぁ。まぁ、課題で単なる遠足なんて本気で考えている生徒なんておらんと思いますし、わいも準備しておきますわ」
アイリスとキリノが俺に同調したことで、遠足気分だった他の生徒たちの顔色も一変した。
現在、アイリスは動きやすさを重視した軽鎧に細剣を帯び、キリノもまた軽鎧に身を包み、槍を杖代わりに突いている。
そしてエルマ。
鎧は足かせになると判断し、剣のみを帯刀させた。
何よりも、俺たちは往復四日分の荷物を背負っているため、装備も出来るだけ軽い方がいい。
だが、当のエルマは朝からこの世の終わりのような顔をしていた。
寮の部屋から出ようとすると「お腹が痛くなってきました……今日は欠席した方がいいかもです……」と青い顔で訴えてきたが、朝食を誰よりも平らげていたのを俺は見逃していない。
俺は問答無用でエルマの首根っこを掴み、引きずるようにしてここまで連れてきたのだ。
そして今。
集合場所には、教師のボレルが待っていた。
昨日のふざけた態度は微塵もなく、隙のない騎士の装備を装着している。
遊びではない事が、ひと目で分かる。
「よし、集まったな。これから行軍する」
ボレルの低い声が響くと、生徒たちの間にピリついた緊張が走る。
『行軍』――その言葉の選択に、生徒たちはようやく事の重大さを悟ったようだ。
遠足でもピクニックでも無い。
うろたえる生徒を置き去りにして、ボレルは迷いなく森の奥へと踏み込んでいく。
「俺たちも行くぞ」
「はいはい。ほな、ボチボチ行きましょか」
「楽しみだね! ボクらをどんな未知が待っているのか!」
「ひいぃぃ……こ、こわいぃ……お、おぇ……」
エルマの情けない声を無視し、俺たちは歩みを進めた。
だが、異変はすぐに訪れた。
先頭を歩いていたはずのボレルの姿が、忽然と消えたのだ。
「あれ? ボレル先生、どこ行ってしもたん?」
キリノの言う通り、辺りを見渡しても先に歩いていたボレルの姿が無い。
「元より、手助けはしないと言っていたからな。案内する気など最初からないのだろう。ふん、教師というのは随分と気楽な商売だ」
俺は吐き捨てるように言ったが、神経を研ぎ澄ませば気配は感じ取れる。
ボレルは近からず遠からずの位置で、俺たちを監視している。
「レヴォス様ぁ……先生までいなくなっちゃうなんて、本当にこのまま進むんですかぁ?」
震える声で袖を引いてくるエルマに、俺は笑みを向けた。
「ここに200人の生徒がいるんだ。何を恐れる」
「そ、そうですよね……これだけ居れば、モンスターが出ても数で押し切れますよね……!」
希望を見出そうとするエルマの言葉を、俺は無慈悲に切り裂く。
「ああ。200人もいれば、数人ほど食われている間に残りは逃げられるだろう。特にお前は一番美味そうだからな、真っ先に狙われるだろうな」
「ひ、ひぃぃぃ! やだあああ!!」
エルマの絶叫が森に響く。
だが、俺の警戒心は解けない。
不気味なほどに静まり返った森。
「案外、魔物なんて出ぇへんもんですな」
「ふふふ、ボクらに恐れをなしたのかもしれないね!」
そう言って舞うようにクルクルと回るアイリス。
「「「 きゃ~! アイリス様~! 」」」
取り巻きの女生徒たちが歓声を上げる。
しかし、その華やかな空気は一瞬で凍りついた。
ボレルの気配が急激に動き、同時に巨大な何かがバキバキと木々をなぎ倒す轟音が鼓膜を打つ。
「なんや!? この音は!?」
「敵だな。全員、荷物を置いて臨戦態勢を取れ」
俺は即座に指示を飛ばし、聖剣クラウトソラスを抜き放つ。
「ほう。それが噂に聞く『聖剣』かい? 噂どおり、レヴォスくんが持っているんだね」
「無駄口を叩くな、目の前に集中しろ」
木々が倒れる音が近づいてくる。
だが、茂みを割って現れたのは、血まみれのボレルだった。
鎧はひしゃげ、並の人間なら立ち上がることも困難な深手を負っている。
「ほう。よくあの傷で動けるものだな」
「レヴォス様! たくさんモンスターが来てますよ!?」
エルマの悲鳴の通り、ボレルの背後から魔物の群れが押し寄せていた。
巨体の猪グレート・ボア。
集団の巨大蟻、キラー・アント。
そして狂暴な熊、ジャイアント・グリズリー。
種族の垣根を越え、本来共闘などあり得ないはずの魔物たちが、一つの意志に従うかのようにボレルを追っていた。
「お前ら! 逃げろ……っ!」
ボレルの叫びに、生徒たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
「わ、わああぁぁ!!」
「ひいいぃぃ!!」
生徒たちがパニックに陥り、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
だが、魔物たちの脚力から逃げれるはずもない。
「やれるか? アイリス、キリノ」
「準備万端やで! グレート・ボアはわいがやりますわ!」
「無論さ。ボクはあの大量のキラー・アントどもを一掃してみせよう」
「ならば俺は、あのグリズリーを仕留める。エルマは生徒をまとめろ。無策に逃げれば、それこそ魔物の餌食だ」
「は、はいぃぃ! やってみますぅ!」
俺たちは地を蹴り、魔物の群れへと突っ込んだ。
キリノは槍を旋回させ、その遠心力を乗せた一撃でグレート・ボアの眉間を貫いた。
アイリスは芸術的な剣捌きで、キラー・アントの群れを次々と斬り伏せていく。
そして俺は、真正面から突進してくるグリズリーに対し、聖剣を一閃させた。
沈むモンスター達。
だが、違和感は拭えない。
ボレルほどの男が、この程度の雑魚にここまで追い詰められるはずがない。
その懸念は、最悪の形で的中した。
倒したはずの魔物たちが、這いずる様に再び起き上がったのだ。
「倒しても無駄だ! 元凶はあいつだ!」
ボレルが指差した先。
そこには、半透明の水の身体を持つ馬が、冷たく佇んでいた。
「こんな場所に、水妖だと?!」
水妖。
水を自在に操り、人間を好んで食らう高位の魔物だ。
さらに厄介なのは催眠能力。
周りの魔物たちは、こいつの精神支配を受けていたのだ。
「きゃあああ!!」
背後からも悲鳴が上がる。
「水妖が2体……!?」
前後方向からの同時襲撃。
200人の足手まといを守りながら戦える状況ではない。
「ボレル! アイリス! キリノ! 後方の生徒を死守しろ! 前方の水妖は俺が倒す! それまで時間を稼げ! 『土の壁』!」
魔法を詠唱し、生徒と水妖の前に時間稼ぎ用の盾を作る。
「しかし、レヴォスくん一人では……っ!」
「早く行け! 俺の足を引っ張るな!」
そして俺は一人、水妖へと向かって疾走する。
水妖は余裕を崩さず、俺を嘲笑うかのように佇んでいる。
物理無効の身体を持つ水妖は、剣士が何ができるのかと高を括っているのだ。
通常の魔法使いならば、蒸発させるほどの火炎魔法を放つだろう。
だが、奴はその対策も心得ている。
火炎が届く前に水で相殺しにかかるはずだ。
だが、あいにく俺は普通の魔法使いではない。
『6つの魔法』でもない。
『8つの魔法』――その一端を見せてやる。
他の者は皆、後方の水妖にあてている。
ならば全力が出せる。
俺は右手の人差し指と中指を立て、ケルピに照準に捉えた。
指の間で雷魔法を収束させ、強大な磁場を発生させる。
魔力がパチパチと空気を焼き、青白い閃光が俺の手元を包み込む。
「弾け飛べ、水妖よ」
超高電圧によって加速された雷の弾丸が、音速を超えて撃ち出された。
――パァンッ!
乾いた破裂音とともに、雷を纏った魔力の弾丸が水妖を貫いた。
水妖の身体は一瞬で霧散し、自分が何に撃ち抜かれたのかさえ理解できずに消滅した。
だが……
「……ちっ、やはり負荷がデカいか」
俺は熱を持った右手を凝視し、舌打ちした。
電流を自身の身体に通したことで、指先の皮膚が焼けている。
実験としては成功だが、まだ調整が必要か。
感傷に浸る暇もなく、俺は後方へと転進した。
しかし、そこで目にしたのは目を疑う光景。
教師のボレル、そしてキリノ、そしてエルマが生徒の盾となり、もう一体の水妖と対峙している。
だが、その手前でアイリスが、あろうことか生徒たちに向けて剣を構えていた。
「おい、エルマ。どういう状況だ」
「あ、レヴォス様! あのモンスターに襲われそうな生徒をアイリスさんがかばったら、アイリスさんがおかしくなってしまって……生徒を襲うんです!」
アイリス……
自分を犠牲にして、水妖の催眠に掛かったか。
だとすると、早く水妖を殺さないとまずい。
催眠が浸透すれば、自我は永遠に崩壊する。一刻の猶予もない。
「貴様ら、この剣をよく見ろ!」
俺は聖剣クラウトソラスを、上空へ放り投げた。
俺の怒声と聖剣が放つ輝きに、水妖も、そして周囲の者たちも思わず視線を空へ奪われる。
その一瞬。
催眠状態のアイリスだけは、そんな目くらましには惑わされず、真っ直ぐに俺の心臓を貫こうと剣を突き出してきた。
そして、アイリスの剣が俺の胸に深々と突き刺さる。
――だが、その身体は煙のように霧散した。
フォルテの技、『幻影飛ばし』。
アイリスは俺の幻影を攻撃したのだ。
空を切ったアイリスの横をすり抜け、俺は左手をケルピに向ける。
「爆ぜろ、水妖」
放たれた電磁加速砲が、二体目の水妖を跡形もなく吹き飛ばす。
パァン!という音とともに、水妖が爆散する。
「なっ、水妖が爆発したっ!?」
後方でボレルたちが呆然と立ち尽くしているが、構ってはいられない。
問題はここからだ。
アイリスが、糸の切れた人形のように地面に座り込んでいた。
水妖は既に居ないが、催眠は効いたままだ。
「……催眠が解けていないか。ならば、無理やりにでも引き戻してやる」
後はどれだけ、アイリスの意識を起こせるかどうかに掛かっている。
俺はアイリスの両肩を握って揺さぶった。
「おい、アイリス。俺の声が聞こえるか?」
返答はない。
瞳は焦点が合わず、深淵を覗いているかのようだ。
俺はアイリスの顎をクイっと上げ、目を直視する。
「アイリス、俺を見ろ。いいか。俺以外を見るな」
アイリスの目がピクっと動く。
どうやら、俺の声がアイリスの深い意識に声が届いているようだ。
アイリスの意識を俺に集中させつつ、声を掛け続け、こちらの世界に意識を持ってこなければならない。
「アイリス、目を逸らすなよ。お前の瞳の中に、俺以外を入れるな。今、この瞬間、お前の世界には俺だけでいい」
俺の言葉にアイリスがわずかに反応する。
よし、この調子だ。
「……ほら、こっちを見ろ。お前の意識は俺がもらう。まずは、その目からだ」
その時、アイリスの身体がビクビクッ!と震えた。
アイリスの瞳に、力が宿りだす。
だが、まだ油断できない。
「アイリス。お前の瞳の中の輝きに、俺だけを刻みつけろ」
俺の言葉に蒼白だったアイリスの顔色が戻り、赤くなる。
アイリスの瞳に、確かな光が宿った。
「意識が戻ってきたようだな、アイリス。だが、まだ俺を見ろ。よそ見したら……どうなるか分かってるな? 俺はお前の視線ひとつ、自由にはさせないからな」
俺が耳元で冷徹に囁くと、アイリスは震える唇をようやく開いた。
「ひゃ、ひゃい……! わかりましゅたぁ……!」
催眠の後遺症のせいか、アイリスは活舌が悪かったが無事に意識を取り戻したようだ。
周囲を見れば、アイリスを慕う女生徒たちが取り囲んでいる。
どうやら、アイリスのことを心配していたようだ。
女生徒たちに大きな怪我はないようだが、なぜか全員が顔を赤らめ、一部の者は鼻血を流して倒れていた。




