第33話 ご褒美
「……いいか? まずは落ち着け。一旦、武器を収めるんだ」
俺はソファに深く腰掛け、組んだ足の膝を指先でトントンと叩きながら、目の前の光景に溜息をついた。
目の前には、賢者クロエ、メイドのコレット、そして俺が保護したルナリア。
この3人が、まるで親の仇でも見つけたかのような凄まじい殺気を放ち、エルマを睨みつけている。
「レヴォス様……説明を。なぜ、このような女がレヴォス様の私室に……それもそんな格好で……!?」
クロエが怒りで声を震わせ、杖を握る指が震えるほど力を込めている。
(おいおい、クロエちゃん。もしかしてエルマちゃんが俺を狙った暗殺者とでも思ったのかな? だから、こうやって武器を構えて……エルマちゃんが暗殺者じゃないって事を伝えて、皆を安心させてあげなきゃ!)
「勘違いするな。こいつはエルマ。学園の特待生だ。道端で無様に倒れていたのを拾ったに過ぎん。断じて、お前たちが想像しているような者ではない」
俺は努めて冷静に、堂々とした態度で言い放った。
ここで少しでも動揺を見せれば、この部屋は血の海と化すだろう。
「な、なるほど……これは大変な失礼をいたしました。行き過ぎた不敬、お許しください」
納得した一同が武器を収める。
俺は内心で大きく胸を撫でおろした。
だが、ただ一人。
ルナリアだけが、剣を握りしめたまま微塵も殺気を緩めていない。
その瞳はエルマを射貫くように鋭い視線を向け続けている。
「そんな格好の女……信じられません! 私が……私が、この女を叩き出します!」
ルナリアの声は、刃のように鋭かった。
(おっと、ルナリアちゃん。どうやら教え込んだ疑り深さが裏目に出ているな。俺がエルマちゃんに弱みを握られて、言わされているとでも思っているのかな?)
「レヴォス様。その者が本当に学園の者だと言うのなら、相応の力があるはずです。この私と、この者の手合わせをお許しください!」
(え? 手合わせだって? ……いや待てよ。そうか……これは願ってもないチャンスじゃないか!)
原作の主人公であるエルマの戦闘能力。
それをこの段階で把握できるのは、俺にとって大きなアドバンテージだ。
エルマが俺より強いのか、あるいはまだ発展途上なのか。
それを知ることは、破滅フラグを回避するための重要なデータになりそうだ。
「いいだろう。ルナリア、そこまで言うなら貴様の目でエルマの力を確かめてみるがいい。場所はこのリビングで構わん。ただし、木剣を使え」
「えっ!? わ、私、戦うんですか!? いやいや、無理ですよぉ!」
エルマが顔を真っ青にし、ガタガタと情けなく膝を震わせて後ずさる。
その細い肩をすくめて、今にも泣き出しそうな表情を浮かべているが、俺はエルマを逃がすつもりはない。
「くくく……エルマよ。もし無様に逃げ出さず、戦い抜くというのなら、この部屋に住むことを許可してやってもいいぞ?」
エルマは住む場所がなく、厩舎で寝ていた身だ。
俺の部屋を住処にするという条件は、エルマにとってこれ以上ない条件になるはずだ。
「……えっ。この豪華な部屋に、ですか? ほ、本当ですか!?」
エルマの目が、欲望でギラリと輝いた。
現金な奴だ。エルマは即座に木剣をひったくるように掴むと、鼻息荒くルナリアの前に立った。
「やります! 私、住むためなら鬼にだってなってみせますよ!」
そして、数分後。
俺の広い自室を舞台に、模擬戦が幕を開けた。
俺はソファで足を組み、優雅に観戦を決め込めこんでいたのだが……
結果は瞬時に出てしまった。
「せいやぁっ!」
「あべしっ!?」
ルナリアが鋭く踏み込む。
そのあまりの速さに、エルマは反応すらできなかった。
ルナリアの放った一撃が、エルマの手から木剣を弾き飛ばす。
木剣は虚しく天井に当たり、カランカランと乾いた音を立てて床に転がった。
圧倒的。まさに赤子を捻るような蹂躙だった。
「……話になりませんね」
ルナリアは冷たく言い放ち、エルマを見下ろした。
その言葉は、エルマのプライドを粉々に砕くには十分すぎたようだった。
エルマは圧倒的に弱かったのだ。
(そうか、主人公だから強いと思い込んでいたけど、このゲームはレベル制だったな。物語が始まっていないので、エルマもただの『レベル1』のようだ。学園の入学試験も、筆記だけだし。特待生といえど、強いわけじゃないんだな)
「……あ、あはは。そうですよね……私、筆記だけは得意ですけど、実技なんて……やっぱり、私みたいな役立たずは、どこに行っても同じなんですね……」
エルマは力なく床に膝をついて、うなだれた。
その瞳からは光が消え、深い自己嫌悪の沼に沈んでいくのが見える。
「……みなさん、ご迷惑をおかけしました。私、明日にはこの国を出ます。私のような無能が、この帝国中央学園にいる資格なんてないですから……」
(しまった……! 追い詰めすぎた! 他国に行かれたら、俺の人生も終わってしまう!)
俺は焦燥に駆られ、反射的にソファから立ち上がった。
「待て! 誰が去ることを許した!」
俺はエルマの肩を強く掴み、その目を覗き込んだ。
「いいか、エルマ。学園にはこれから実技の授業もある。今の貴様が弱かろうと、これから鍛えれば済む話だ。……ルナリアよ、今日からエルマとともに修行をせよ。この学園内でな。フォルテ、クロエ、ヒロン。分かったな?」
「「「「 はっ、承知いたしました! 」」」
だが、当のルナリアだけは、眉をひそめて不服そうな声を漏らす。
「えっ……? 私と、この人とですか?」
「不服か? お前のその研ぎ澄まされた剣技を、この無知な女に徹底的に叩き込んでやれ。それが俺からの命令だ」
俺は威圧感たっぷりに告げた。
ルナリアは一瞬驚いた顔をしたが、俺の期待を感じ取ったのか、嬉しそうに「はい! 分かりました!」と深く頭を下げた。
こうして、俺の暗殺者と間違われたエルマへの修羅場は『共同訓練』という名目で、どうにか落ち着いたのだった。
――――――
その日の夜。
ようやく静まり返った自室で、俺が一人で書類を整理していると、ドアが控えめにノックされた。
「……入れ」
入ってきたのは、ルナリアだった。
昼間の荒々しさは消え、どこかモジモジとしていて様子がおかしい。
「どうした。修行のメニューに不満でもあるのか?」
「い、いえ……そうではなくて。……あの、私、昼間の手合わせ、勝ちましたよね?」
ルナリアが上目遣いで俺を見てくる。
その頬は赤く染まり、瞳は潤んでいる。
期待と緊張のあまり、ルナリアは自分の指先をいじりながら、熱い吐息を漏らしていた。
「ああ、見事だった。お前の剣筋は悪くなかったぞ」
「でしたら……報酬を、頂きたいのです。レヴォス様から、その……勝利の、ご褒美を……」
ルナリアは俺の目の前まで歩み寄ると、そっと目を閉じた。
そして、わずかに顎を上げ、無防備にその顔をこちらへと差し出してくる。
その桃色の唇が、微かに突き出されているように見えるのは気のせいか。
だが、近距離で見るルナリアの顔は、あまりにも熱っぽく、どこか虚ろだった。
顔は赤く、呼吸が荒いからだ。
(……ルナリアちゃんの、この顔の赤さ、この朦朧とした感じ。まさか……日々の修行と昼間の模擬戦で疲れて……もしや、過労による風邪か!?)
俺はハッとして、ルナリアの体調を案じる者としての義務感に駆られた。
「よしルナリア、すぐにベッドに行くぞ」
「ひえ!? い、いきなりですか!? 心の準備が……いえ、わかりました! レヴォス様が望まれるのなら、私は、私は……!」
ルナリアは驚愕に目を見開き、耳まで真っ赤にしながらも、俺に導かれるままフラフラとベッドへ向かった。
俺はルナリアを丁寧にベッドに寝かせると、首元までしっかりと毛布を掛けた。
「いいか、安静にしていろ。栄養のあるものを後で運ばせる。……ゆっくりと休め、ルナリア」
「……え? ……あ、はい? えっと……お、おやすみなさいませ、レヴォス様(……あれ?)」
どこか呆然とした表情のまま、ルナリアは数秒で深い眠りに落ちていった。
相当疲れていたのだろう。
「やれやれ。皆の体調管理も楽ではないな」
俺は満足げに頷き、ルナリアに占領されたベッドを横目に、リビングの硬いソファへと向かった。
今夜の寝床はここになりそうだ。
……明日からの特訓、少し調整してやらねばならんな。
俺はそんな決意を胸に、静かに目を閉じたのだった。




