第32話 修羅場
俺は馬の背に揺られ、帝国中央学園へと向かっていた。
学園は、シークランス家の爆発騒ぎにより休校になっている。
しかし、グリンベルに居ては、再開の連絡が来ないためだ。
学業自体は行われていなくとも、寮生活を送る学生たちのために施設自体は解放されている。
今回、俺は従者を誰も連れてきていない。
執事フォルテも賢者クロエも、ルナリアの教育を優先させている。
それに、メイドのコレットも一人では身を守れない事もあり連れてきていない。
「……ふん。一人というのは、悪くないものだな」
グリンベルでは領主としての責務もあり、なかなかに息が詰まる。
パカラッ、パカラッ、と馬の蹄の音が響く。
今の俺の軽やかな心境を代弁しているかのようで心地良い。
学園に到着したが、門の守衛の数は普段の倍以上に増員されていた。
物々しい雰囲気だが、門自体は開放されている。
俺は騎乗したまま正門をくぐり、厩舎へと向かった。
「お、お馬をお預かりいたします、レヴォス様!」
鞍に刻まれたムーングレイ家の紋章を見るや否や、厩務員が震える声で頭を下げた。
「ふむ、頼む」
俺は短く命じ、馬を下りた。
整然と並ぶ厩舎の中には、各貴族家から預けられた名馬たちが並んでいる。
どの馬も毛艶が良く、知性の宿った鋭い眼差しをしていた。
だが、厩舎の隅――薄暗い藁の山に目が止まった。
藁の山に埋もれるようにして、一人の女が倒れていたのだ。
「おい、大丈夫か!?」
駆け寄り、肩をゆすると「うぅ~ん……」という締まりのない声が返ってきた。
「あれぇ……もう朝ですかぁ……?」
「今は昼だが……ん? 貴様……エルマか!?」
エルマ。
家名も持たぬ平民でありながら、特待生としてこの学園に潜り込んだ女。
そして――原作『エル戦』の主人公であり、俺を破滅させ、殺すはずの存在だ。
「え……あっ! こ、これは失礼しましたぁっ!」
俺の顔を見るなり、エルマは飛び上がってボサボサの髪を必死に手で整え始めた。
「エルマよ。なんで、こんな所に倒れていた。説明しろ」
「あ、いや、実はですね……自分、寮に入るお金がないので、この馬小屋の隅っこで寝泊まりさせてもらってるんです。へへっ……」
「厩舎にか? 他に泊まるところはないのか? 貴様は特待生だろう?」
「学園の授業料は免除なんですけど、寮費や食費までは賄えなくて……でも大丈夫です! ここの藁、意外とふかふかで使い放題なんですよ!」
厩舎は確かに管理は行き届いているが、ここは馬用だ。
人間が寝泊まりするための場所ではない。
そして、目の前のエルマ。
……とんでもなく臭いんだが。
まるで美少女の皮を被ったゴミ捨て場だ。
あまりの刺激臭に、俺は吐き気を堪えるように顔を歪め、三歩後ろに退いた。
「貴様……風呂には入っているのか?」
「えっ!? ……入っているといえば、入っています!」
「そうか……では、最後に風呂に入ったのはいつだ?」
「えっと……1週間前くらいに、あそこの井戸の水を浴びました!」
「……それを世間では『風呂』とは呼ばん。ただの水浴びだ」
「いやぁ……まぁ……あはは……」
苦笑いをしているエルマ。
自分自身が不潔だという事を認識しているのだろう。
エルマの洗っていない髪の毛も、油でべちょべちょだ。
「そんな状態で学園を徘徊するな。貴様も学園の生徒なら、最低限の品位を保て」
「はい、やっぱりそうですよね……でも、もういいんです。私、学園を辞めようと思ってて。休校で生活費の支給も止まっちゃいましたし……」
なに……? 学園を辞める?
本来、特待生には生活支援金が出るはずだが、休校中はその支給も止まっているのだろう。
主人公のエルマが学園を去る。俺にとっては好都合だ。
そもそも原作では、エルマの故郷の村がモンスターに襲われることを機に、旅に出る。
学園にいること自体がイレギュラーなのだ。
「ふん、そうか。その方がいいだろう。さっさと故郷へ帰るんだな。お前にも家族がいるだろう」
「はい……でも私、村の皆に期待されて送り出してもらったので、むざむざ帰れなくて……このまま他国へ旅に出て、どこかで働こうかなって……」
「……他国へ行くだと?」
その瞬間、背筋に凍り付くような戦慄が走った。
(待って……主人公のエルマが他国に行ったらどうなっちゃうんだろう……? そもそも『エル戦』が始まらなくなる? じゃあ俺たち、悪役はどうなるんだろ? え、もしかしてシステムに殺される!? そ、それはまずい!)
焦燥感に突き動かされ、俺はエルマの肩をガシッと掴んだ。
「エルマよ、お前が必要なのは生活費だな?」
「は、はい……」
エルマのなさけない返事。
と、その直後。
――ギュルルルゥゥゥゥ~~~……
盛大な、そしてあまりに情けない音が厩舎に響き渡った。
「あっ! す、すみません……!」
エルマの腹の音だ。
「貴様、ちゃんと食事はしているのか?」
「はい、3日前にパンを食べました……」
(全然食べれてないじゃん……このままじゃ、『エル戦』が始まる前に主人公が餓死しちゃうんだけど……!?)
「はぁ……やれやれ……貴様、俺に付いてこい。食わせてやる」
「えっ!? いいんですか?! って、わあぁぁっ!」
俺はエルマの手を強引に引っ張り、寮の自室へと連れてきた。
「まず、風呂に入れ。貴様からはドブ川で3年間発酵し続けたチーズのような臭いがするからな」
「え……そうですかね?」
エルマは自分の服をクンクンと嗅いでいる。
匂いというのは、五感の中で一番慣れるのが早いという。
もはやエルマは自分の臭いを感じないのだ。
「いいから早く入れ! 貴様の臭いが部屋に染み付くだろうが!」
「は、はいぃ!」
エルマを脱衣所へ強引に押し込み、扉を閉める。
俺はすぐに部屋中の窓を全開にし、空気を入れ替えた。
(さて、次はエルマの着替えか。……困ったな、俺の部屋に女物の服なんてあるはずがない)
風呂に入ったのに、あの臭い服を着られたら困る。
従者様の部屋にはクロエやコレットの服があるだろう。
だがコレットたちの部屋から勝手に拝借するのも、変態の汚名を着せられるようで気が引ける。
「まぁ、男ものでもよかろう。あんな酷い臭いのものよりはな」
そう思い、俺の服を脱衣所に置いた。
「おい、エルマ。着替えを置いておいたぞ。それを着ろ」
「あ、ありがとうございます!」
湯気の向こうからエルマの声が響く。
「やれやれ、とんだ厄介ごとを拾ってしまった。さて、あいつに何を食べさせるべきか……」
毒づきながら、キッチンで簡単な食事の用意を始めようとした――その時だった。
――ガチャリ。
静寂を切り裂く、玄関のドアの解錠音。
襲撃か。
咄嗟に聖剣クラウトソラスを鞘から抜く。
そして、ドアが無造作にガチャリと開く。
ドアが開くとともに、数人がなだれ込んできた。
だが、そのなだれ込んできた者たちは――
「あ、レヴォス様」
「……クロエか」
俺の部屋に入ってきたのは、賢者クロエ。執事のフォルテ。
それに軍師ヒロン・イロンダルにメイドのコレットまでもが勢揃いしていた。
クロエやフォルテは部屋の鍵を持っている。
なので普通に開錠し、部屋に入ってきたのだ。
「なぜ貴様らがいるのだ。貴様らにはルナリアの事を任せたはずだが」
「はい! レヴォス様にぜひ見ていただきたくて! ほら、ルナリア様、どうぞ!」
俺の前に出てきた少女。
現れたのは、目元を仮面で覆い、艶やかな黒髪をなびかせた美少女だった。
だが、俺には分かる。
この少女はルナリアだ。
「ルナリアか。その髪の色はどうした?」
「はい! クロエ先生に『偽装の魔道具』を貰ったので、着けてみました! いかがでしょうか?!」
この仮面はクロエが作った魔道具か。
賢者クロエは以前に、偽装の魔道具を纏って店を経営していた。
「ふむ……悪くない。正体を隠すには十分だ。クロエ、この偽装の魔道具を聖女セレスの分も用意しておいてやれ。あいつも外に出たがっているだろうからな」
「たしかに、そうですね。承知いたしました」
聖女セレスも王都では殉教したと思われている身分。
彼女も偽装させれば、自由に活動できるだろう。
「しかしレヴォス様。その聖剣はいかがしたのでしょうか?」
フォルテが俺の抜き身の聖剣を見て言った。
「ん? ……いや、なんでもないが」
俺は慌てて聖剣を鞘に納め、動揺を隠すようにコホンと咳払いを一つした。
「しかし、貴様らはルナリアの事を見せに来たのか?」
「見せに来た、というよりか、ルナリア様がレヴォス様に会いたいと泣き続けるので……」
「ああぁぁあ!! フォルテ先生! それは内緒って言ったじゃないですかぁっ!」
ルナリアが泣いていたのか。
もしかしたら、ルナリアは俺を兄と理解しているのだろう。
それを敢えて口では言わずにいる。健気な妹だ。
その気持ち、無下にはできんな。
平穏な、いつものグリンベルのような空気が部屋を満たした、その瞬間。
地獄の扉が開く音がした。
「お風呂上がりました~! いやぁ、べちょべちょだったのでサッパリしました! ……って、あれ? みなさんはいったい……?」
風呂場から、俺のシャツをワンピースのように羽織り、バスタオルで濡れた髪を拭きながらエルマが姿を現した。
「「「「 ……………………は? 」」」」
ルナリア、クロエ、コレットの殺気を含んだ声が部屋に響く。
「……レヴォス様? 説明していただけますよね?」
地獄の底から響くような声が、俺の耳元で震えた。




