第30話 ルナリアの修行
――ガンッ! ガガァンッ!
硬質な木剣の、激しくぶつかり合う音が響き渡る。
ルナリアと、その剣の師を務めるフォルテによる打ち合いだ。
俺は腕を組み、壁に背を預けながらその様子を眺めていた。
フォルテは俺の剣の師でもある。
フォルテとは、過去に1年間みっちりと共に剣の修行をしてきた。
俺はフォルテの剣がいかに鋭く、そして揺るぎないものであるかは、身をもって知っている。
だが、どうだ。
目の前の光景に、少しばかり信じがたいものがあった。
「フォルテ先生! まだまだ行きますっ!」
「むむっ!? ぬおぉっ!?」
ルナリアが鋭い踏み込みと共に木剣を振るう。
その一撃の重さに、あのフォルテが僅かに体勢を崩し、後退を余儀なくされていた。
だが、フォルテも剣に関しては並々ならぬ矜持がある。
すぐさま足を踏ん張り、迎え撃つ構えを取った。
(フォルテさんも、剣に関しては負けず嫌いだしな……しかし、妹ながらルナリアちゃんの才能がこわいねぇ)
恐ろしさを感じつつも、同時に俺の胸には期待感が渦巻く。
「はぁ……はぁ……ルナリア様。今日は、このくらいにしておきましょう」
「はい! ありがとうございました!」
ルナリアは清々しい笑顔で一礼した。
そして、この剣の修行の前に行われていた、賢者クロエによる魔法の講義を思い出す。
当初、ルナリアは魔法に関しては完全に素人のはずだった。
「魔法という事象を発動させるにあたり、魔力の指向性が……」
クロエはルナリアへ魔導の基礎を説いていた。
賢者の異名を持つクロエの知識は、まさに歩く魔導書だ。
初心者には少し難解すぎるのではないかと、俺は内心ハラハラしていた。
だが、どうだ。
「クロエ先生、その場合の火炎魔法における効率性ですが、魔力を『生み出す』という能動的な思考ではなく、現象の『形』を解き放つという還元方式の方が、魔力の損失を抑えられるのではないでしょうか?」
「えっ? え~っと……あ、あぁ。確かに、その解釈の方が理にかなっているわね……」
ルナリアは既に魔法理論について、クロエと対等に議論を交わしていた。
(俺もかなり魔法に関する書物を読み込んでいた上に、さらに『エル戦』においての知識が多分にあったから、クロエちゃんと色々と話せたんだけどな……)
この後には、軍師ヒロンによる政治や軍略の授業も控えている。
クロエの魔法、フォルテの剣、ヒロンの軍略。
その全てを、ルナリアは驚異的な速度で吸収していた。
俺はルナリアの剣の授業を終えて汗を拭うフォルテに、ゆっくりと歩み寄った。
「フォルテ。ルナリアの剣の腕はどうだ?」
「レヴォス様……ルナリア様は、まさに天賦の才。恐ろしいほどです。生涯において、これほどの輝きを2度も見ることになるとは思いませんでした」
「ほう、そうか……では俺と比べて、どうだ? いずれ、俺を脅かす存在になるか?」
「レヴォス様と、ですか? あっはっは! 御冗談を! さすがにレヴォス様の足元にも及びませんよ。ルナリア様は確かに恐るべき才能ですが、レヴォス様を100とするならば、他の者は……私を含め、皆0以下ですからな!」
(いや0以下ってどんな数字よ!? でも、フォルテさんの見立てでは優秀なのか。だとすると、ルナリアは自分の身を自分で守れるってことで安心だなぁ)
安堵で頬が緩みそうになるのを必死で抑えていると、ルナリアがオドオドとした様子で近づいてきた。
俺の顔色を窺うその瞳には、不安と期待が混ざり合っている。
「どうしたルナリア。何か言いたいことでもあるのか?」
「え、えと……レヴォス様。もしよろしければ、私ともう一度、手合わせを頂けないでしょうか?」
ルナリアの剣筋は確かに鋭いが、まだ綺麗すぎる。
実戦という泥沼を生き抜くための『狡猾さ』が足りないのだ。
それを教えるのが、兄として、そして悪役として生きる俺の役割だろう。
「ふむ、よいだろう。貴様にもう一度、戦いの厳しさを教えてやる」
「あ、ありがとうございます!」
ぱぁっと顔を輝かせるルナリア。
俺は踵を返して、修練用の木剣を手に取った。
そして、俺はルナリアの正面に立ち、静かに構えた。
だが。
――カラン……
俺は、手にした木剣を無造作に地面へ放り捨てた。
「レヴォス様……?」
「いったい、何を……?」
ルナリアとフォルテが、呆然と固まる。
「見た通りだ、ルナリア。貴様のような雑魚には剣すら必要が無いということだ。さっさと掛かってこい。時間が惜しいのでな」
「いやしかし、レヴォス様……!? 素手で木剣を受けるのはあまりに危険です!」
フォルテが血相を変えて制止に入る。
「止めるな、フォルテ。お前はそこで黙って見ていろ。……さあ、殺す気で来い、ルナリア。お前など、左手一本で十分だ」
俺は笑みを浮かべて、左手だけをスッと前に差し出した。
ルナリアは呆気に取られていたが、その表情がすぐに屈辱に赤く染まる。
さすがに、自分が徹底的に舐められていることを理解したようだ。
「……では、参ります。レヴォス様っ!」
ルナリアが地面を蹴り、弾丸のような速さで跳躍した。
振り下ろされる木剣の狙いは――俺の胴。
木剣を持たない俺が防御できないことを突き、回避の難しい大きな的を確実に仕留めにきたのだ。
良い冷静な判断だ。
だが、それは――俺が本当に『素手』であったらの話だがな。
「はあぁぁぁっっ!!」
ルナリアの容赦のない、空気を切り裂く一撃。
――ガンッ!
「……えっ!?」
木剣同士がぶつかる音。
ルナリアの木剣を止めていたのは、俺が右手に隠し持っていた『二本目の木剣』だった。
「ふんっ!」
驚愕で硬直したルナリアの隙を逃さず、俺は一気に踏み込み、足払いを繰り出す。
「わぁっ!」
ドテッ!
無様な音と共に、ルナリアが地面に転がった。
俺は倒れたルナリアの喉元に、木剣の先を突きつける。
「勝負あったな、ルナリアよ」
「うぅ……っ! そんな……卑怯です! 剣は捨てたはずじゃ……!」
ルナリアは頭をさすりながら、目に涙を浮かべて俺を睨みつけた。
その健気な姿に胸が痛むが、俺はあえて冷たく言い放つ。
「貴様、命のやり取りにおいて、正々堂々というものがあると思っているのか? 殺し合いにおいて、最後に立っていた者こそが唯一の正義だ。戦い以外でもそうだ。勝つために、手段など選ぶな」
俺の言葉を継ぐように、フォルテが口を開いた。
「ルナリア様。レヴォス様の仰ることは、生存において最も重要な真理です。卑怯という言葉に囚われて命を落とせば、大切なものを守ることはできません。いかなる状況でも勝つための執念を持つこと。それがレヴォス様の教えなのです」
「……はぁい……」
不満げに頬を膨らませるルナリア。
その愛らしい反応に、俺は思わず笑みを浮かべそうになるのを必死で堪える。
(ああ、嫌われちゃったかな……でも、いつか来る絶望を回避するには、これくらい厳しくしないとダメなんだ。許せ、ルナリアちゃん)
「くくく……今は分からずともいい。だが、この痛みと共に刻み込んでおけ」
そうこうしているうちに、周囲は夕闇に包まれていった。
心地よい疲れを感じながら、俺はふと思いついたことを口にする。
「ルナリア、ちょっとこっちに来い」
「は、はい!」
俺はルナリアを連れて、香ばしい匂いが漂う調理場へと向かった。
そこではセレスたちが夕飯の支度に追われていた。
「少し場所を借りるぞ。おいルナリア、手伝え」
「わ、分かりました!」
俺は上着を脱ぎ袖を捲り上げ、ルナリアへ指示を出しながら、前世の記憶を頼りに料理を開始した。
香ばしく焼き上げたチキンソテー。
食欲をそそるガーリックトースト。
さらにはトウモロコシの甘みを活かしたスープに、新鮮な温野菜。
飲み物は……葡萄のジュースにするか。
ルナリアも慣れない手つきながら、一生懸命に野菜を刻み、俺の補助をしてくれた。
完成した二人分の料理を、個室へと運ぶ。
「ルナリア、今日はここで2人で夕食にするぞ」
「は、はいっ! 嬉しいです!」
ここグリンベルでは全員で食卓を囲むのが常だが、今日だけは特別だ。
ルナリアには、兄とは名乗れない。
だが、失われた時間を埋めるように、妹と食事をする時間が欲しかった。
ルナリアは自らも手を貸した料理を、恐る恐る口に運ぶ。
「……っ! おいしい……!」
ルナリアの瞳がキラキラと輝き、次々と料理を頬張っていく。
「ルナリア、そんなに美味いか?」
「はい! 私、今まで満足に食べられなくて……ここに来て、皆さんに優しくしてもらえて、温かいご飯を食べれて、ふかふかのベッドで寝られる……本当に、夢みたいで、感謝しかありません……!」
ルナリアは噛み締めるように言い、少しだけ目を潤ませた。
「ふん、そうか」
(……そんなふうに言われると、胸が締め付けられるよ。今までどれだけ苦労してきたんだ。これからは、ここが君の家だ。だから、そんなに泣きそうな顔をしないでくれ)
ルナリアと他愛もない会話を続けていると、ルナリアがふと食べるのを止め、真剣な眼差しで俺を見つめた。
「あの、レヴォス様……ひとつ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「なんだ、言ってみろ」
「あの……レヴォス様は、本当は私の『お兄様』なのでしょうか……? お母様も、最初は息子だと言っていたのに、急に違うと言い出したり……何より、髪の色も私と同じですし……」
その言葉に持っていたフォークを危うく落としそうになったが、すぐに平静を装った。
「……断じて違うな。俺が貴様の兄なはずがあるまい。人違いも甚だしいな」
「そ、そうですよね……! あはは、変なこと聞いてごめんなさい。良かったです!」
ルナリアはどこかホッとしたような、明るい笑顔でそう答えた。
「ふん、さっさと食え。冷めるぞ」
「はい!」
パクパクと食事を再開するルナリア。
(……え、今『良かった』って言ったよね? やっぱり、俺みたいな冷酷で傲慢な悪役公爵令息が兄貴じゃなくて、心底ホッとしたってこと!? うわあああ、分かってたけど、分かってたけど地味にショックだ……! 俺の豆腐メンタルが崩壊しそうだよ!)
内心で涙を流しながら、俺も食事を口に放り込む。
ふと視線を感じて顔を上げると、ルナリアが顔を赤く染めながら、チラチラと俺の顔を見ていた。
その瞳の奥にある感情が何なのか、今の俺には知る由もなかった。




