第28話 救済
シークランス邸を囲む高い外壁の影に潜み、俺は息を殺していた。
まばらに配置された守備兵の動きを視線で追う。
「……月明かりか。隠密には不向きだが、利用価値はあるな」
この明るさを逆手に取り、奴らの視線を誘導してやる。
俺は懐から金貨を数枚取り出し、親指の腹で感触を確かめた。
――ピンッ!
金色の硬貨が月光を反射し、弧を描いて兵士たちの足元へ転がる。
「き、金貨だ!」
「おい、こっちにもあるぞ!?」
案の定だ。兵士たちが、地面に這いつくばって金貨に群がる。
その一瞬の隙を突いて影から影へと跳躍した。
塀を軽やかに乗り越え、邸内へと潜入する。
広大な敷地の中央にはシークランスの本邸が鎮座しているが、俺の目を引いたのは、その北側に佇む異質な構造物だった。
金属に覆われた無機質な三階建ての建造物。
「あそこに病に伏した者が療養されているとは思えないが……念のため先に見ておくか」
敷地内の監視の配置は驚くほど手薄だった。
警戒態勢でもないのだ。当然でもある。
俺は外壁のわずかな突起や高い木を足場に、三階建ての建造物の屋上へとたどり着いた。
屋上の一部には日光を取り入れるためのガラス張りの天窓がある。
音を立てないよう伏せ、中を覗き込む。
建物の内部は吹き抜けの巨大なホールの様になっていた。
だが、その中に所狭しと並べられた棚。
そこには、紫色に禍々しく発光する動物の頭蓋骨、どろりと赤い液体の滴る剣、無数の札が貼られた古文書など――。
一目でそれと分かる、呪具の山だ。
「やはり呪具を溜め込んでいたか。趣味が悪いにも程があるな」
だが、さらに俺を戦慄させたのは、ホール中央で行われている作業だった。
白衣を纏った職員が、一心不乱に新たな呪具へと魔力を流し込んでいる。
「まさか……『宗教省』が聞いて呆れるな。解呪どころか、呪具の開発をしているとはな」
『宗教省』という看板の裏で、シークランスは禁忌に手を染めていた。
呪具の開発には怨念や特殊な毒、生贄の血が必要なはずだ。
それに、この金属製の要塞は、実験の失敗による爆発を防ぐための防壁なのだろう。
そして、その職員が放つ魔力の波動を感じた瞬間、背筋に冷たい氷を押し当てられたような感覚が走った。
「この魔力の周波数……身体が覚えている。俺に『魔法制限』の呪いを掛けたのは、こいつか……!?」
見覚えはないが、魔力が感覚で覚えている。
それとも、こいつが作った呪具の魔力だろうか。
そして俺は視線の隅で、ホールの隅にあるベッドを見つけた。
鉄の枷で四肢を固定され、何本もの魔導管を繋がれた、一人の女性。
「……母上……ネール!」
脳裏に焼き付いている、幼い頃の記憶にある面影。
奴は、ネールから強引に魔力を吸い出し、それを呪具の動力源にしていたのだ。
その光景を目にした瞬間、俺の中の理性が弾けた。
俺は天窓を蹴破り、割れたガラスの雨と共にホールへと舞い降りた。
「おい、随分と趣味の悪い物を作っている様だな」
「だ、誰だ!? 貴様!?」
職員が血相を変えて振り返る。
俺は仕掛けておいた『切り札』を指差した。
「おっと、動くなよ。少しでも妙な魔力を練ってみろ、この建物ごとドッカンだぞ」
建物の柱の陰に設置されたのは、クロエ特製の魔導爆弾だ。
それを見た職員の顔から一気に血の気が引く。
「ま、魔導爆弾だと!? やめろ、私の最高傑作が、コレクションが台無しになる!」
自分の命より、積み上げた呪具を惜しむその歪んだ精神。
俺は反吐が出る思いだったが、利用できるものは利用させてもらう。
「大切なコレクションか。なら話は早い。俺と、この女を無事に行かせるなら、爆破は待ってやる」
「ぐ、ぬぬ……!」
男が悔しさに顔を歪める間に、俺はネールの元へ駆け寄り、鉄の枷を力任せに引きちぎった。
抱き上げた彼女の体は驚くほど軽く、そして信じられないことに、俺の記憶にある当時のままの若さを保っていた。
皮肉な話だ。魔力を吸われ続けた反動か、あるいは別の呪いのせいか。
「俺はこれで行くが、忠告だ。魔法は使うなよ?」
「……おい、その女を連れて逃げてどうするつもりだ? そいつは忌まわしきムーングレイの者だ。どこへ逃げようと、狙われ続ける運命……それに貴様……ムーングレイのガキだな!?」
「へえ、察しがいいな」
「そいつを掠め取ろうなんて狂人は、あの呪われたムーングレイの者しかおらんからな!」
悪名もここまで来れば立派なものだ。
俺はネールをしっかりと腕に抱き直し、窓から外へと飛び出した。
「侵入者だ! 捕まえろ!」
背後から怒号が響く。
俺が邸宅の境界である高い外壁の上に立った、その時。
――ズドオオォォォン!
夜空を震わせる大爆発。
振り返れば、先ほどの金属製の建物が内側から膨れ上がるようにして、業火に包まれていた。
俺は魔導爆弾を設置したが、起爆するための魔法感知は、俺の魔力ではない。
起爆に必要な魔力周波数は、あの職員の魔力にしていたのだ。
逃げた俺を追うため、何かしらの魔法を使ったのだろう。
「だから魔法を使うなと言ったのにな。しかし、これで呪具も木っ端みじんか」
あの呪具開発の建物が金属で良かった。
他の建物には飛び火していない。
俺はネールを抱き直し、影に紛れてその場を去った。
――――――
用意していた馬を飛ばし、俺は夜明け前のグリンベル領へと帰還した。
グリンベルは、この時間にもかかわらず煌々と明かりが灯っている。
俺の帰りを待つ者たちがいるのだ。
「レヴォス様!」
執事のフォルテや賢者クロエ、メイドのコレットやヒロン達、その傍らにはネーブ・シークランスの姿。
そして、その後ろには聖女セレスと司祭ポエテが待機していた。
「お母様……!」
ネーブが駆け寄ろうとするのを、俺は制した。
「ネーブよ。しばし待て。セレス、準備は出来ているな?」
「はい。万全の体制で待機しておりました」
俺はネールを運び入れ、清潔なベッドに横たえた。
セレスとポエテが、ネールの容体を確認する。
「解呪は可能か?」
「……はい、非常に強力な呪術ですが、私たちでも解呪可能です。お任せください」
セレスとポエテが手をかざすと、部屋が柔らかな、それでいて力強い光に満たされた。
「「 聖なる光よ、不浄を断ち、ここに浄め給え! 」」
光がネールの身体を包み込み、死人のように白かった肌に赤みが差していく。
やがて、ネールは喘ぐように吐息を漏らし、ゆっくりと、数年ぶりにその瞳を開いた。
「お、お母様!? お母様ぁ!!」
ネーブが泣きながらネールに抱きつく。
「う……ネーブ? ……ここは、どこ……?」
ネールは数年、昏睡状態だったのだ。
状況が分からないのも無理はない。
「お母様、大丈夫なのですか!?」
「うん、ネーブ。私は大丈夫。あの、皆さまはいったい……?」
ネールにとっては、数年間の空白。
そして、ネールの周りには俺やフォルテたちと多人数に囲まれている。
皆を見て、ネールは状況が飲み込めず困惑していた。
「フォルテ、クロエ。二人の面倒を見てやってくれ」
「承知いたしました。レヴォス様」
俺が短く告げた瞬間。
ネールの視線が、俺へと向けられ、そして止まった。
「レヴォス……? 嘘……まさか、レヴォスなの!?」
絶叫に近い叫びが部屋に響く。
ネールの細い指先が、震えながら俺の頬へと伸びてくる。
「ああ……まさか、そんな……あんなに小さかった子が……こんなに立派になって……」
「お母様、お知り合いなのですか?」
ネーブの無垢な問いに、ネールは涙を流しながら微笑んだ。
「ネーブ。あなたの……兄ですよ。ずっと会いたかった、私の息子……」
「えっ!?」
俺の胸の奥が、締め付けられるように熱くなる。
駆け寄って、その手に触れたい。母上と呼びたい。
だが……俺のやることはひとつだ。
「……何を言っている。俺には母も妹もおらん。人違いだ」
「「 えっ!? レヴォス様!? 」」
フォルテたちの絶叫を、俺は冷徹な眼光で撥ね退けた。
「そいつらはグリンベルに紛れ込んだ難民だ。そいつらを保護し、面倒を見てやれと言ったのだ。俺は自室で休む。……誰も来るな」
「しかし、レヴォス様!?」
フォルテたちの制止を無視し、俺は背を向けて部屋を飛び出した。
シークランスの男が言った言葉が、呪いのように耳にこびりついている。
『ムーングレイの名がある限り、どこへ行っても狙われる』
父グランディアは家族を守らない。
いや、家族すら政争の道具にする男だ。
俺は自分の力で生き残れるが、彼女たちは違う。
俺が『息子』や『兄』であることを認めれば、彼女たちは永遠に危険に晒され続ける。
そして妹ネーブの性格。
母親のために、虐げられ、自尊心を削られる日々を耐え忍ぶことができる人間。
それが問題なのだ。
もしまた、母や俺が危機に陥った時、ネーブはその身をもってして助けてしまう。
彼女たちを守る唯一の方法は、ムーングレイの名を捨てさせ、俺との関係を完全に断ち切ること。
二人にとって、ムーングレイの姓そのものが、最大の足枷なのだ。
彼女らを守るために、その絆を断ち切らねばならん。
俺は息子として甘えることなど、断じてできない。
絆を断ち切ることだけが、彼女たちを救う唯一の手段。
塔にある自室に戻り、扉を閉めた。
暗闇の中、俺は糸が切れたようにその場に崩れ落ちてしまった。
冷たい床に膝をつき、必死に嗚咽を堪える。
だが、溢れ出した涙は止まることを知らず、俺の頬を伝って床を濡らした。
胸が、引き裂かれそうなほどに痛い。
「……俺には、母などいない。……あんな女、知らないんだ……」
(レヴォスの身体が、俺の意志とは無関係に激しく震えている……ごめん、レヴォス。俺にはこれくらいしか、あの二人を救う方法が見つからないんだ……)
だが、その時。
――コンコン。
ノックの音が響いた。
俺は慌てて涙をぬぐう。
「誰だ……誰も来るなと言ったはずだ……!」
怒鳴りつけたが、扉は静かに開かれた。
「何用だ……コレット」
入ってきたのは、メイドのコレットだった。
コレットは何も答えず、静かに扉を閉めて施錠した。
彼女はゆっくりと俺に歩み寄り、床に伏したままの俺を、正面から強く抱きしめた。
「コレット、何を――」
「……レヴォス様。お疲れ様でした。もう、誰も見ておりませんよ」
耳元で囁かれる、優しい声。
「何か理由があったのは理解しています。今のレヴォス様は……公爵令息でも、救世主でもありません」
コレットの声が、俺の心の防壁を易々と踏み越えていく。
「今のレヴォス様は……長い間、ずっとお母様に抱きしめてもらいたかっただけの……一人の男の子です」
張り詰めていた糸が、ぷつりと切れた。
俺はコレットに顔を埋め、言葉にならない慟哭を上げながら、子供のように泣きじゃくった。




