第27話 代償は、高くつくぞ
父グランディアの屋敷を後にし、学園へと戻った。
校門を抜けると、まだあの赤い髪の少女――ネーブ・シークランスが、寮の前で独り、掃除を続けていた。
俺の『妹』である可能性を秘めた少女が。
(……まだやっているのか。日が暮れかかっているというのに、この広さを一人で掃かせるなんて、正気の沙汰じゃないな……)
「おい、ネーブ。まだそんなことをしているのか」
「あ……! は、はい! 今日は日が暮れるまで掃除を終えるなとの命令ですので……」
ネーブはびくりと肩を跳ねさせ、怯えた仔犬のような瞳で俺を見上げていた。
だが、周囲の石畳には塵一つ落ちていない。
すでに終わっている仕事を、ただ嫌がらせのために反復させているのか。
シークランス家……公爵家ともあろう者が、これほどまで執拗で陰湿な真似を。
弱者をいたぶるその歪んだ意識に、奥歯が軋むほどの不快感がこみ上げてくる。
「……ところで、ネーブ。お前の母は病だと言ったな。どこで療養しているのだ」
「私の母ですか? 母はシークランス家のお屋敷で、手厚い治療を受けていると聞いていますが……私は一度も中に入れていただいた事はないのですが……」
シークランスの本邸か。厄介な場所だ。
喫茶店に立ち寄るような気軽さで行ける場所ではない。
俺が正面から乗り込めば、間違いなく警戒される。
だが、確かめねばならない。
この少女の母が、この俺の、レヴォス・ムーングレイの母でもあるのかどうかを。
「……ネーブ。貴様が養子という条件を飲むほどに、母親の容体は悪いのか?」
「はい……ずっと寝たままなのです。もう何年も、一度も目を覚まさなくて……」
「何年も、だと? それは果たして、単なる『病』なのか?」
「私にも……分かりません。ただ、シークランス様は『我が家であれば救える』と仰って、母を引き取ってくださいました。だから、信じるしか……」
数年間の昏睡状態。
話を聞く限り、医学的な病というよりは、何らかの外的な要因を感じる。
「……貴様は、母のことが大切なのだな」
「は……はい! 母様さえ助かるなら、私はどうなっても構いません!」
自分の命より大切、か。
虐げられ、自尊心を削られる日々を耐え忍ぶその瞳には、一点の曇りもない覚悟が宿っていた。
自分の命を捨て駒にしてまで、たった身内を守ろうとするその献身。
「そうか。それは殊勝なことだ。ところで、ネーブよ。貴様、日が暮れるまで掃除を続けるのだったな?」
「は、はい。そうですが……」
今日はフォルテが経過報告に来る予定だ。
俺のやるべきことは決まった。
「ふむ、では、ちょうどいい」
俺はニヤリと笑い、ネーブのことを見た。
――――――
「――というわけだ」
「い、いえ、しかし……!? レヴォス様、大丈夫なのですか!?」
寮の自室。
報告に来た執事のフォルテと賢者クロエの顔が、見る間に青ざめていく。
あまりの狼狽ぶりに、思わず鼻で笑ってしまった。
「何を言っている。大丈夫なはずがなかろう。形式上とはいえ公爵家の令嬢を拉致したのだ。捕まれば処刑台行きかもしれんな」
俺はソファに深く腰掛け、優雅に紅茶を啜ってみせた。
隣室には、コレットに付き添われて怯えるネーブがいる。
俺はネーブを強引に連れ出し、湯浴みをさせ、まともな服と食事を与えた。
汚れきった服を脱ぎ捨て、空腹を満たしたネーブは、今ようやく一息ついているはずだ。
「しかし、レヴォス様の妹君と母親君の話など、初耳でございます。本当にそのようなことが……」
フォルテが額の汗を拭いながら、沈痛な面持ちで呟く。
俺はフォルテたちに、ネーブとの出会いと、父グランディアに問い詰めた内容を簡潔に話して聞かせていた。
「俺も半信半疑だ。だが、シークランスごときに、ムーングレイの血を引く者が虐げられているのは耐えがたい屈辱だからな」
俺はこれから、シークランスの本邸へ潜入する。
ネーブの母――俺の母かもしれない接触することだ。
数年の昏睡状態……その言葉に、俺は強い心当たりがあった。
俺に『魔法制限』の呪いを掛けたシークランス家。
呪いというものは、単なる魔法ではない。
呪具により発動させ、特殊な方法で掛けるものだ。
そして、それを解くには高尚な司祭や聖女などにより、解呪を行なう必要がある。
俺の呪いは原作知識で、無理やり解呪したが。
『宗教省』を司るシークランス家は、教会で呪具の回収を行なっている。
呪具の使用どころか、所持自体も違法なのだ。
だが、もし回収した呪具を自分たちの利益のために利用していたとしたら?
あのシークランス家だ。絶対にやっているに違いない。
現に俺が『魔法制限』の呪いに掛かっていたのだ。
そして、数年の昏睡状態のネーブの母。
おそらくだが、呪具による呪いのためだろう。
なぜそんなことをしているのか、おおよそ検討がつく。
シークランス家は、我がムーングレイ家に対抗するための『政治的な盾』として、そして『王家への恩売り』として母を保護という名目で監禁しているのだろう。
それもこれも、家族を道具としてしか扱わない俺のクソ親父、グランディアが放置したツケだ。
家族一人守れない男のせいで、どれだけの人間が苦しむと思っている。
怒りで手が震えたが、深呼吸し抑える。
冷静になれ、レヴォス。
今からお前は、シークランスに一泡吹かせに行くのだから。
「よし、今から作戦を決行する。お前たちは、俺の指示通りに動け」
「……御意に。レヴォス様がお決めになったことなれば」
「承知いたしました。滞りなく」
フォルテとクロエが深く頭を下げる。
俺は自室に戻り、潜入用の装備を整え始めた。
聖剣クラウトソラスは身元がバレるので持っていけない。
代わりに、クロエ特製の魔導爆薬を忍ばせる。
赤い髪を隠すための黒い布を頭に巻き、夜の闇に同化するための装備を整える。
だが、その時。
――トントン。
控えめなノックの音が響く。
「入れ」
「……失礼いたします、レヴォス様」
部屋に入ってきたのは、メイドのコレットだった。
「どうした。ネーブに何かあったか?」
「ネーブ様は湯あみ後、お疲れのようで眠ってしまいました。……それより、レヴォス様のお母さまのことですが……」
「……何だ。お前が何か知っているのか?」
俺すら知らない記憶を、コレットが持っているはずもないだろう。
だが、コレットの瞳は真剣そのものだった。
「いえ、直接は存じ上げません。ですが……レヴォス様は幼少の頃、大切なお母さまの小さな肖像画をいつも抱きしめていらっしゃいました。それを片時も離さず、その……」
俺が、肖像画を……?
そんな記憶は……いや、待てよ……
その記憶、あるかもしれん。
ほんの僅かな記憶。
頭の隅の隅に置いた、遠い過去。
おぼろげな残像が蘇る。
「……もしや、その絵。赤子を抱いた、赤い髪の女性の絵か?」
「左様でございます! レヴォス様はいつも、その絵を見つめては……『お母さまに会いたい』と、涙を流されて……」
俺が泣いていただと? 泣いた記憶なんて無いが……
だが、コレットが嘘をつく理由はない。
コレットがそう言うなら、そうかもしれん。
「……ふん、くだらん。ガキの頃の感傷など、俺には不要だ。忘れろ」
「……もし、その方が本当にレヴォス様のお母さまなのであれば……」
「あれば、なんだ?」
「私は……レヴォス様に、ぜひその方を救っていただきたいのです」
コレットの言葉に、俺は思わず小さく吹き出してしまった。
まさか俺の背中を押しに来るとはな。
(コレットちゃん。自分の命を懸けてレヴォスを救ったり、こうやってレヴォスのために本当に必要だと思うことを後押ししてくれるなんて、本当に良き理解者なんだなぁ……)
「誰に言っている。それよりコレット、お前はお前の仕事を全うしろ。いいな?」
「はい。承知しております」
作戦はシンプルだ。
俺は単身、シークランス邸へ潜入し、母親の所在を確認し、そのままネーブの母親とともに脱出する。
フォルテたちは、ネーブをこのまま秘密裏にグリンベル領へと護送する。
学園に置いておけば、シークランスの手が伸びるからな。
これでネーブが俺との血縁関係も無く、赤の他人だったとしても、それはそれでいい。
目の前でシークランス家に虐げられている者を見るのは、俺の矜持が許さん。
出陣の直前、俺はネーブが眠る寝室へ足を運んだ。
ネーブの安らかな寝顔をじっと見つめる。
そして唐突に、そして鮮明に思い出した。
幼い俺が握りしめていたという、母ネールの肖像画を。
俺やネーブと同じ赤い髪。
慈愛に満ちた笑顔で、赤子の俺を見ている女性。
その母親の顔と、ネーブは……似ている。
「シークランスめ……俺の母と妹を虐げていた代償は……高くつくぞ」
闇に紛れ、俺は窓から夜の帳へと飛び出した。




