第2話 剣の師
屋敷に戻り、俺はフォルテを伴って人目を避けた静寂に包まれた庭園へと移動した。
庭園に流れる空気は、どこか肌に粘りつくような緊張感を孕んでいる。
模擬剣を構えたフォルテの立ち姿には、周囲の風さえも止まったかのような不気味な雰囲気があった。
俺の手にはショートソード、対するフォルテはロングソードの模擬剣を構えている。
刀身の長さの差は、二倍以上。
加えて、俺の身体はまだ成長途中の13歳だ。
傍目からみれば、俺の方が圧倒的に不利な状況であることは明白だった。
「では、レヴォス様。……失礼いたします」
フォルテが踏み込んだ。
予備動作を完全に消した、常人では視認不可能なほどに鋭い一歩。
だが今の俺の目は、フォルテが剣を振り上げる瞬間の服のわずかな皺の動き、指先の力の入れ具合さえも正確に捉えていた。
「――はぁっ!」
振り下ろされる模擬剣を、俺は紙一重の回避でやり過ごす。
耳元で、空気が爆ぜるような鋭い風切り音が響いた。
(速い……! でも、見える。次の一手も、その次の軌道も!)
俺は反撃に転じる。
レヴォスの規格外の身体能力に任せた一撃は、重戦車の突進にも似た破壊力を伴い、空気を震わせた。
模擬剣同士が激突するたび、庭園には乾いた、そして腹に響く重低音の衝撃音がこだまする。
「レヴォス様が……まさか、これほどとは……っ!」
フォルテの呟きは、もはや執事としてのそれではなく、一人の戦士としての戦慄に満ちていた。
だが、直後にフォルテの表情が崩れる。
それは笑みだ。
過去を捨てたはずの剣士が、未知の強敵を前にして抑えきれなくなった、本能的な歓喜。
フォルテは大きく距離を取ると、その構えを「殺戮のためのもの」へと変質させた。
肌を刺すような冷たい殺気が、津波のように押し寄せてくる。
(いいぞ、それでこそだ。俺に死神の剣を見せてくれ!)
俺は挑発を重ね、フォルテの攻撃の迷いを完全に断ち切った。
「フォルテ、全力で来い。来なければ、お前が死ぬぞ」
その言葉が引き金だった。
(来る――フォルテの必殺の一撃が!)
無言のフォルテが迷いを捨てた踏み込みを見せ、最速の閃光となって俺に迫る。
剣が斜め左上から俺の肩口を狙い、苛烈な袈裟斬りに振り下ろされた。
だが、俺は……これを避けない。
俺は知っている。
フォルテが隠している特殊スキルを。
フォルテの特殊スキル『幻影飛ばし』。
今、俺の眼前に迫っている一段目の攻撃は、視覚を惑わすための残像であり、実体は存在しない。
相手を幻惑し、確実に死へと誘う必中の罠だ。
判別法は既に頭にある。
幻影は直進しかせず、視線が目標と一致しない。
ゆえに、頭上に振り下ろされている刃は偽物。
ならば本物はどこか――?
フォルテは視覚の外、地を這うような極限の低姿勢から、俺の両足を一気に薙ぎ払いに来ている。
ここで反射的に上空へ回避するのは……最悪の選択だ。
空中へ逃げれば、制御が効かない。
フォルテはそれを見越して、滞空した無防備な相手を一刀両断するのだ。
だから、俺の取った行動はただ一つ。
――ズンッ!
俺の足を狙って地面スレスレを全力で振り切っている、本物のフォルテの剣の刃を、俺は――真上から『踏みつぶした』。
「…………なっ……!?」
重厚な衝撃音と共に、全霊を込めた一撃を足裏で完全に封じられ、勢いを殺されたフォルテの身体が地面に突っ伏すように崩れる。
驚愕に目を見開いたまま固まるフォルテ。
その無防備な首筋に、俺は静かに、だが確実な死を暗示するように模擬剣の切っ先を添えた。
「勝負あったな」
限界を超えた反応速度と制動。
常識外れの芸当だが、このレヴォスのスペックならば実現可能だった。
俺は唖然として動けないフォルテに対し、手を貸しゆっくりとフォルテを引き起こした。
本来の残虐なレヴォスなら、このまま嘲笑いながら追撃を見舞っていただろうが、今の俺にそんな不毛な真似をするつもりはない。
「レ、レヴォス様……あ、ありがとうございます……」
フォルテは自分が感知すらできぬ間に敗北したこと、そしてレヴォスが手を差し出した事、その全てに驚愕しているようだった。
だが、揺さぶりはここからだ。
「フォルテよ……俺は、さらなる高みを目指したい。剣の師として、これからも俺に付いてこい」
「わたくしが、でしょうか……?」
フォルテの瞳には驚き、そして消えない迷いがありありと浮かんでいた。
(無理もないよな。弟子を死なせた後悔に、何年も苛まれてきた男だ。簡単には解けないだろうが……)
「フォルテ、聞け。貴様は俺が、誰かに剣で負けて死ぬとでも思っているのか?」
「い、いえッ!? そんなことは、決して……」
狼狽えるフォルテに、俺は尊大な態度を崩さず言い放つ。
「ふん。ふざけたことを言うな。俺だって死ぬ時は死ぬ」
「――ッ!?」
「剣だけではない。病、事故、暗殺。この世は死の可能性に満ちている。だがな、死を恐れることなど、学ぶことの尊さに比べれば些末な問題だ」
俺はフォルテの目を真っ直ぐに見据えた。
「もし死んだとしても、学ばずして死ぬより、研鑽の果てに死ぬ方がよほど価値がある。例え志半ばで倒れようと、それが何だというのだ。貴様の剣の道は、その程度の覚悟で揺らぐものなのか?」
俺の言葉にフォルテの喉が、微かに鳴った。
「剣は人を殺める道具だ。だが同時に、人を活かす糧にもなる。俺は公爵家の嫡男。周囲は敵だらけだ。俺を活かすために、貴様の剣を教えろ」
俺は少しだけ声を落とし、不敵に笑ってみせた。
「それに俺は、先ほど剣ではなく足を使ってしまったからな。膂力に頼る力技ではなく、貴様の持つ純粋な剣の極致を学びたいのだ」
フォルテは、信じられないものを見るような、あるいは救世主を拝むような。
信仰に近い、複雑で熱い情念を俺に向けた。
「……わたくしでよろしければ、なんなりと……!」
それから、俺とフォルテの本格的な修行の日々が始まった。
俺はスペック任せの暴力的な戦い方を封印し、フォルテは『幻影』という搦め手を捨てた。
日の出から日没まで、純粋な剣技の習熟のみを磨き合う、濃密な時間。
共に汗を流し、剣についてを語り合ううちに、フォルテの持つ「剣術マニア」としての側面が顔を出し始めた。
それは俺の成長にとって、これ以上ない恩恵をもたらした。
そして何よりも、フォルテの顔から剣を教えることへの怯えが消えていくのを、俺は確かに感じていた。
――――――
そして――さらに一年が過ぎた。
激しい火花の散る打ち合いの末、フォルテの手から離れた剣が宙を舞い、芝生に突き刺さった。
「レヴォス様。……見事でございます。もはや、私からお教えできることは何一つございません」
「ふん。フォルテ、貴様も以前より格段に腕を上げたな」
「畏れ多きお言葉。……レヴォス様、もしこれ以上の研鑽をお望みでしたら、私のような者ではなく、高名な師を――」
「何を言っている」
フォルテの進言を、俺は力強い言葉で遮った。
「俺は、貴様と共にこの道の先を見たいと言ったのだ。貴様と俺は既に……『友』だと思っていたが、それは俺の勝手な思い違いか?」
フォルテの目が大きく見開かれ、やがてその瞳が潤んだ。
剣を愛し、一度は絶望して剣を捨てた男の瞳に、不滅の覚悟が宿る。
「……わたくしフォルテ、生涯を通し、レヴォス様にお仕えいたします。我が友、我が主君として」
俺は感極まるフォルテに対して傲慢に、だが満足げに頷いてみせた。
(フォルテさん。これで少しは、昔のお弟子さんへの後悔も軽くなったかな?)
この一年で、俺の純粋な剣術の技量は飛躍的に向上した。
何より、基礎体力が底上げされたのは大きな収穫だ。
そして……これでフォルテの懐柔は完了した。
本来、主人公の剣の師となるはずだった男は、今や俺、レヴォス・ムーングレイの絶対的な右腕となったのだ。
次なる標的は、俺の専属メイドのコレットちゃんだ。
コレットは、厳密には主人公の仲間にはならない。
だが、レヴォスが悪役として完全に覚醒し、破滅への一本道を突き進むきっかけとなるのは、コレットの存在だった。
レヴォスの悪への目覚め。破滅への血塗られた第一歩。
それは、長年レヴォスに虐げられながらも家族同然に寄り添い続けた――コレットの無惨な死だ。
その事件を機にレヴォスは人類に対し復讐を開始し、全てを破滅させるためだけに動き出すことになる。
だが、今となっては俺がレヴォスでもある。
例え、コレットちゃんが亡くなっても、俺が自制すればいいだけの話でもある。
しかし、俺には既にレヴォスの記憶も存在している。
コレットが長い間、ずっと……ずっとずっと、レヴォスを優しく包み込んでいたことを。
そして俺がフォルテと一年間、血の滲むような修行を積んだ理由。
それは、これから訪れる『コレットの死』という運命を、この手で叩き折るためだ。




