第18話 ついでに
熱風が肌を焼き、細かい砂が視界を遮る。
俺たちは砂漠の只中に突如として現れるオアシスの街、エドテアへと足を踏み入れた。
門をくぐれば、そこには異様な光景が広がっていた。
ファンタジー世界特有の喧騒の中に、突如として現れる瓦と白壁――古き良き和風の建築様式が整然と立ち並んでいるのだ。
行き交う住人たちも、着流しのような和の装いに身を包んでいる。
前世の記憶を持つ俺からすれば、まるで時代劇のセットに迷い込んだような錯覚に陥る。
「フォルテ、まずは宿だ。街の中央にそびえ立つ、巨大な石像が見える宿を探すぞ」
「石像、でございますか? 承知いたしました。これだけ宿場が並んでいれば、すぐに見つかるでしょう」
フォルテが冷静に応じる。
しばらく街を探索し、ようやく俺たちは目的の場所を見つけた。
窓から巨大モンスター『ゲブリ』の石像を真っ向から拝めることができる絶好のロケーションの宿だ。
部屋に入り、俺は真っ先に窓を開け放った。
そこには、噴水に囲まれて鎮座する巨大のスカラベのような石像――ゲブリの像があった。
「あれが、ゲブリの石像か……近くで見ると、想像以上にデカいな」
圧倒的な質量感に、思わず息を呑む。
高さは20メートルほどだろうか。
前世の観光地にあった実物大のロボット像を彷彿とさせる威容だ。
今はただの異様なオブジェとして噴水に囲まれているが、その鋭い脚や外殻は、今にも動き出しそうなほど生々しい。
これがひとたび動き出せば、街など簡単に瓦礫の山に変わるだろう。
(う~ん……自分で立てた作戦とはいえ、このバケモノを復活させれば、街の人たちに取り返しのつかない事をしてしまうな……これを復活させるの、微妙かもなぁ)
自分の生存戦略のためとはいえ、胸の奥にチリチリとした小さな罪悪感が走る。
「あの石像、近くで見ると凄まじい迫力ですね。まるで生きているみたいです」
背後からクロエが感心したような声を出す。
「そうだな。もしあれが本当に動き出して暴れ出したら……大変なことになるだろうな」
「えっ? あはは! レヴォス様、冗談はやめてくださいよ。石像が動くわけないじゃないですか」
(いや全然、冗談じゃないんだけど……それに俺が放置したところで、遅かれ早かれ帝国側が無理やり復活させちゃうからなぁ)
「ふん、無駄話は終わりだ。食事に行くぞ」
俺たちは宿を出て、目当ての料理屋を探して街を彷徨った。
そう、このエドテアにしか存在しない究極の味。
日本人の魂の食――『スシ』である。
だが……見当たらない。
路地を一本、また一本と巡るが、どこにもそれらしき看板がないのだ。
「なぜだ……! なぜ無い!? 一軒くらいあってもいいだろうが!」
焦燥感が波のように押し寄せる。
もし、この世界から寿司が消えていたとしたら、俺は何を楽しみに生きていけばいいというのか。
俺は血眼になって通りを見渡し、何度も首を左右に振る。
そのあまりの必死さに、背後のフォルテとクロエが、まるで病人を扱うような憐れみの視線を俺に送っていた。
しかし、ついに見つけた。
人通りの少ない、街の入り口に近い寂れた一角。
そこに、古ぼけた『寿司』の暖簾が揺れていた。
「ここだ……! 間違いない、入るぞ!」
寿司屋を見つけた喜びで、俺の声は上ずっていた。
「おお、『スシ』ですか。初めて聞く名前ですが、楽しみですね」
「レヴォス様がこれほど熱心に探されるなんて、よほどの逸品なのでしょうね」
期待に胸を膨らませる二人を後に、俺は勢いよく暖簾をくぐった。
「いらっしゃい!」
店内に響く、大将の活気ある声。
だが、客入りは芳しくない。
数人の先客がいるだけで、カウンターには多くの空席が目立っていた。
俺たちはカウンターの隅に腰を下ろす。
目の前のガラスケースには、鮮やかなネタが並んでいた。
イカ、エビ、コハダ、アジ――そして、マグロやサーモンのような切り身だ。
保存の難しいネタまで揃っている。
まあ、魔法が存在するこの世界で、流通の矛盾を突くのは野暮というものだろう。
細かいことはどうでもいい。
俺は一度言ってみたかった、『あの台詞』を口にした。
「大将、オマカセで握ってくれ」
「あいよ! 腕によりをかけさせてもらうぜ!」
出されたマグロの寿司は、赤酢の効いたシャリに、艶やかなネタが乗った完璧な造形だった。
俺は震える手でそれを掴み、口へと運ぶ。
「…………美味いッ!!」
口の中で解けるシャリと、溢れ出す魚の旨味。
脳髄を突き抜けるような快感が全身を駆け巡る。
俺は至福のあまり目を閉じ、震えるような溜息を漏らした。
この瞬間のために異世界転生してきたのではないかと思えるほどだ。
「こ、これは……なんという洗練された味……!」
「美味しい……! こんな食べ物、初めてです!」
フォルテとクロエも、初めて体験する未知の味に驚愕し、目を輝かせている。
「ありがとうございます。そう言って頂けると、職人冥利に尽きます」
大将が照れくさそうに笑う。
俺は咀嚼する喜びを噛み締めながら、気になっていた疑問をぶつけた。
「これほど美味いのに、なぜこの街に寿司屋が少ないのだ?」
俺の言葉に、大将の顔から一瞬で笑みが消えた。
「……ええ。昔はここらも寿司屋だらけだったんですがね。最近は派手で新しい流行りの料理に押されちまって……今じゃ、街でうち一軒だけですよ。悲しいもんですが、時代の流れってやつでしょうな。実は、うちも近いうちに店を畳もうかと考えてましてね……」
「なっ……何だと!?」
俺は思わず、持っていた箸を卓に叩きつけるように置いて立ち上がった。
怒りと絶望が混ざり合い、視界がグニャリと曲がる。
流行り廃り? 時代の流れ? ふざけるな。
寿司という至高の文化が、この世界から消え失せるというのか?
寿司が無くなる世界線など、あってたまるか。
そんなもの……断じてダメだ。
「大将、客としての一方的な言い分なのは百も承知だ。……だが俺は、この寿司を無くすことだけは、絶対に認めんぞ」
「へへっ、ありがとうございます。あなたみたいな客がいるだけで、救われる思いですよ……」
大将は力なく笑い、寂しげにまな板を拭いた。
「……そう、その通りです!」
突如、背後のテーブル席から、鼓膜を劈くような大声が響いた。
振り返れば、そこには黒髪を振り乱した一人の青年がいた。
「大将! 寿司という芸術、エドテアの魂を絶やしていいはずがないんです! 僕が、僕が全力で支援しますから! 諦めないでください!」
その客に、俺は見覚えがある。
ボサボサとした黒髪の青年。
なんでもかんでも語尾に「!」が付く、特徴的なうざったい喋り方。
間違いない。
この『オレスフォード』という国の王子――ヒロン・イロンダルだ。
しかしなぜ、こんな所に王子であるヒロンがいるんだ……?
「殿下、お気持ちは嬉しいですがね。あっしももういい歳ですし、無理は言わねえでくださいよ」
「くっ! かくなる上は、僕が修行して店を継ぎます!」
「勘弁してくださいよ……殿下は寿司屋じゃなくて王家を継いでくだせぇ」
二人の漫才のようなやり取りを眺めながら、俺は冷や汗を流していた。
ヒロンの寿司愛は本物のようだが、俺の新たなる問題はそこではない。
この後、俺が当初立てた作戦をそのまま遂行すれば、一体どうなる?
帝国軍を呼び込み、この街を戦火に包む。
そうなれば、この世界最後の寿司屋は……確実に灰になる!
絶望的な未来が脳裏をよぎる。
寿司の無い異世界生活など、具の無い味噌汁どころか、クリームの無いケーキ、ネタの無い寿司、白飯の無い焼き肉のようなものだ。
――困る。そんなことは絶対に、断じてあってはならない!
……よし、予定変更だ。
「……おい。あんたがヒロン・イロンダルで間違いないか?」
俺は席を立ち、王子に歩み寄った。
「えっ? ああ、そうだけど……キミは誰だい? どこかで会ったかな?」
俺はゲームでは何度も会っている。
だが当然、ヒロンは俺を知らない。
俺はヒロンの肩をがっしりと掴み、並々ならぬ覚悟を込めて告げた。
「いや、初対面だ。俺の名はレヴォス。……寿司を愛し、寿司に救われた男だ」
「おおおおお! 同志か! 君も寿司の素晴らしさがわかるんだね!?」
ヒロンが俺の両手を握り返してくる。
その瞳はキラキラと輝き、うざったいほどの親近感を剥き出しにしていた。
「いいか、ヒロンよ。俺はどうしても、この寿司屋を守らねばならない。……だから、ついでにこの国、オレスフォードも守ってやることに決めた。今、帝国が500万の軍勢を率いて、すぐそこまで迫っている」
「え……? 帝国が……? 500万……?」
俺の唐突な宣告に、ヒロンは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まった。
やがて、ヒロンは震える声で返した。
「キミの守る優先順位……逆じゃない? 国を守るのが『ついで』って……」




