第136話 鬼たち
地図に刻まれた、一か所のバツ印。
この旅の目的地として記したその場所を、俺は無言で見つめた。
そこには、ドラゴンが巣くっているという。
「気が変わった。その場所へ案内しろ」
俺がそう言い放つと、周囲を囲んでいた鬼たちの空気が一変した。
予想だにしない返答だったのだろう。
鬼たちは一瞬、キョトンとした顔で固まった。
「おお……!?」
「ほ、本当でしょうか!? あの場所へ行ってくださるのですか!」
驚愕は、すぐさま狂喜へと変わる。
鬼たちの表情が、暗雲を突き抜けた陽光のようにパーッと明るくなった。
希望という名の救いにしがみつくように、鬼たちの瞳がギラギラと輝き始める。
鬼の老婆が、興奮を抑えきれない様子でズイと前へ進み出た。
「人間の強き者よ、感謝する。なんと礼を言ったらいいか……」
「……勘違いするな。俺はまだ何もしていない」
老婆の湿っぽい感謝を、冷徹な一言で切り捨てた。
無償のボランティアなど、するつもりはない。
老婆の期待を押し戻すように視線を険しくする。
「それに、今日は既に日が暮れている。行くのは明日だ。文句はあるまい?」
俺の目的は、あくまでジクナの剣のコレクション回収。
そのついでにドラゴンを見つけられるというのなら、絶好の収穫になる。
ただそれだけの話だ。
だが一口にドラゴンと言っても、その種族は多岐にわたる。
片手に乗るほど愛らしいサイズの手乗り竜もいれば、数千年の時を生きるエンシェントドラゴンも存在する。
当然、その強さも天と地ほどの差があるのが普通だ。
そして、俺が注目しているのは強さだけではない。
奴らは、知能が人間とは段違いなのだ。
特にエンシェントドラゴンの域になれば、数千年の歴史をその身に刻んでいる。
人間がとうの昔に失った、古の知識すらも彼らは有しているはず。
そんな事を考えると未知の知識への渇望を覚え、ゾクゾクとする高揚感に包まれる。
原作ゲーム『エル戦』ですら語られなかった、この世界の真実。
それを知る者がいるとするならば、何としても聞き出してみたい。
「鬼族の者たちよ。俺たちはここで寝泊まりする。出発は明日の朝だ」
「分かりました。では、我らもここらで泊まらせて頂くとしましょう」
「……いや、待て。こんな人数で居てどうする。お前らの寝泊まりする場所へ戻れ」
俺は眉をひそめ、鬱陶しさを隠さずに言い放った。
休息を邪魔されるのは、我慢ならん。
だが、俺の言葉を聞いた途端、鬼たちの表情がみるみるうちに曇っていった。
白無垢を着た女の鬼が、今にも泣き出しそうな、消え入りそうな声で口を開く。
「……私たちの村は、もうありません。毎日、安全な場所を求めて彷徨い、夜を凌いでいるのです。よろしければ……今夜だけは、ここでご一緒させていただけないでしょうか」
背後に控える鬼たちも、申し訳なさそうに視線を落としている。
その肩は、明日の保証もない生活への不安からか、小さく震えていた。
「勝手にしろ。俺たちは食事の後にすぐ就寝する。明日の朝、遅れることだけは許さん」
「はい……! ありがとうございます!」
鬼たちは、俺たちの馬車を囲むように陣取り、ぞろぞろと野営の準備を始めた。
その様子は、まるで強大な守護神にしがみつく熱狂的な信者のようだ。
それから鬼たちは各々で焚火を起こし、その細い炎の周りに身を寄せ合っていた。
「レヴォス様。夕飯は何にいたしましょうか」
執事のフォルテが、静かに俺に問いかけてくる。
「簡単なものでいい。さっさと作って、さっさと寝るぞ」
明日にはドラゴンとの戦いが控えている。
余計なことに時間を使うのは、愚か者のすることだ。
「はっ、承知いたしました」
俺が明日の準備をしつつフォルテたちが夕食作っている中、ふと馬車の窓から外を覗いた。
視線の先には、数人の鬼の子どもたちが、俺たちの馬車をジッと見つめている。
最初は、見慣れぬ馬車に好奇心を抱いているのかと思った。
……だが、事実は違う。
子どもたちの鼻がピクピクと動き、潤んだ瞳が匂いの先に釘付けになっている。
鬼たちは、匂いに釣られていたのだ。
故郷を追われ、その日暮らしの逃避行を続ける民。
まともな保存食など持っているはずもなく、これだけの人数を養うための狩りも満足にできていないのだろう。
よく見れば、どの子どもの頬も不健康に削げ、あばらが浮き出ているのが分かった。
……まったく、見ていて気分が悪い。
「フォルテ、ルナリア、クロエ。付いてこい」
「はっ」
「はい。分かりました」
「は、はい!」
フォルテやルナリア、クロエ達が俺の声で即座に馬車の外へと控える。
俺はそのまま、鬼の老婆の元へと歩み寄った。
鬼たちが寒空を凌ぐように焚火にあたっている。
「おい、鬼たち」
「おお、強き者。いかがされましたか?」
老婆が不思議そうに顔を上げる。
「……俺たちが持ってきた食糧が多すぎてな。積んでいるだけで馬車の足が鈍る。邪魔でな」
「え……?」
「ゆえに、今ここで食糧の入った箱をすべて捨てる。……中身をどうしようが、お前たちの勝手だ」
「そ、それは……」
鬼たちの顔が驚愕に染まる。
俺は振り返り、控えているフォルテたちに命じた。
「そういうことだ。全ての食糧が入った箱をここに捨てろ。明日からの食糧はその時にどうにかする。分かったな?」
「はっ。承知いたしました」
「はい、レヴォス様! すぐに!」
それからの動きは早かった。
フォルテたちが次々と箱を運び出すと、鬼たちはまるで天から降ってきた宝の山を見るような、眩い笑顔を浮かべた。
だが鬼たちは、自分たちの空腹を後回しにしていた。
まず子どもや老人、弱っている者たちへ優先的に食糧を分け与えていたのだ。
……こいつらは、魔王領で生きるには優しすぎる。
本来であれば、強きものを生かし種の生存確率を上げるのが生き残るための必須事項。
生存戦略としては三流。やれやれ、だ。
「おいフォルテ。馬車の中を片付けろ。ソファもテーブルも、外に出せるものはすべて出すぞ」
「はっ、承知いたしました」
俺たちはすぐに馬車の中のソファなどを外に運び出した。
家具を外へと運び出し、豪華だった馬車の中は、がらんどうの空間へと変わる。
「おい。一体こんな事をして、どうしたんだぁ?」
魔族のジクナが、不思議そうに首を傾げて問いかけてくる。
「たまには、外で寝るのも悪くなかろう。夜風が心地よさそうだ」
「ふぅん? ま、私はどこでも寝れるけどなぁ!」
ジクナは快活に笑い飛ばしたが、俺はそれに答えずフォルテに告げた。
「フォルテ。鬼たちに伝えろ。今夜は馬車の中を好きに使えとな。老人や女子供くらいは全員入るだろう」
「承知いたしました。……レヴォス様ご自身でお伝えにならなくてよろしいのですか?」
「お前が言え。二度は言わん」
俺が突き放すように言うと、フォルテはすべてを見透かしたように、慈愛に満ちた微笑を浮かべた。
「承知いたしました」
ふと視線を向ければ、後ろでルナリアやクロエも、何がそんなに嬉しいのかクスクスと笑っている。
……いちいち、笑う必要などないだろうが。
俺はルナリアたちの視線から逃げるように、夜の闇へと背を向けた。




