第13話 教会を牛耳る存在
グリンベルの領地復興をセレスたちに任せ、俺は今日、王都へと舞い戻っていた。
俺の腰には、聖剣クラウトソラスが揺れている。
俺が王都へ戻った目的。
それは、かつてセレスを縛り付けていた腐敗の根城――教会だ。
このエルヴァンディア帝国において、四大公爵家には王家を守護するための重要な役務がそれぞれ割り振られている。
武力と実務を担う『騎士団』と『魔法省』。
富と信仰を司る『商業団』と『宗教省』。
我がムーングレイ公爵家が統括するのは『騎士団』だ。
原作ゲーム『エル戦』におけるレヴォス・ムーングレイは、後に最年少で騎士団長へと登り詰め、その圧倒的な武力で最悪の敵として立ちはだかることになる。
そして今日、俺が足を踏み入れる大聖堂――そこを支配し『宗教省』を牛耳っているのが、シークランス公爵家だ。
俺の魔法鑑定の場で、俺をあざ笑いに来て、逆に自らを落としめる事になった奴ら。
そして、俺に魔法制限の呪いを掛けた阿保であり、我がメイドのコレットの命を奪おうとしたクソ野郎でもある。
思い出すだけで、腹の底から煮えくり返るような殺意がせり上がってくる。
俺は無意識に聖剣の柄を、指の関節が白くなるほど強く握りしめていた。
「レヴォス様、大聖堂へ到着いたしました」
フォルテが、馬車の扉を開く。
「……ああ、わかっている」
俺は冷え切った声で短く応じ、そびえ立つ大聖堂の巨大な扉を押し開けた。
高い天井に足音が反響する。
静謐を装ったその空間に入ると、一人の司祭がこちらに歩み寄ってきた。
……初めて見る顔だな。他の司祭はいないようだが。
以前、セレスを連れ出す際に顔を合わせた、あの卑屈で醜悪な司祭ではない。
背が高く、端正な顔立ちをした女性だ。
年齢は30前後だろうか。
その瞳には、教会の連中には珍しく、慈愛に満ちた穏やかな光が宿っていた。
「こんにちは。本日は神への祈りを捧げに来られたのでしょうか?」
俺の姿を見ても、彼女は特に動じる様子を見せない。
どうやら、俺が公爵家の嫡男であることを知らないようだ。
「いや、俺は神に祈るつもりはない。今日は礼を言いに来ただけだ」
「礼を、ですか……?」
司祭は不思議そうに小首を傾げる。
その無防備な態度に鼻を鳴らし、俺は腰の聖剣をこれ見よがしに示してやった。
「そ、それは……まさか、聖剣クラウトソラスですか!?」
司祭の表情が驚愕に染まる。
だが、それは『奇跡』を喜ぶ者の顔ではなかった。
まるで目を背けたくなるような残酷な現実を突きつけられたかのように、彼女は青ざめ、震える両手で自身の口元を覆った。
「そんな……まさか、本当に……っ」
司祭の膝がガクガクと震え出し、彼女はその場に崩れ落ちそうになるのを必死で堪えていた。
「……どうした。お前らが信仰している神の聖剣だろうが」
「……も、申し訳ありません。一つ……一つだけ、お聞きしても宜しいでしょうか……?」
「ん? なんだ」
司祭は激しく乱れる呼吸を整えるべく、何度も深く息を吸い込んでいた。
それでも震えが止まらないのか、胸元に組んだ指先が白く強張っている。
「セレスは……あの聖女の最期は、どうだったのでしょうか……?」
聖剣の呪いを解くための『聖女の祈り』。
だが、実際は『聖女の命』を代償に呪いを解くことを、この司祭は知っているようだ。
だが、実際はセレスは死んでなどいない。
俺のズルい行為によって、聖女の命という代償無しで聖剣クラウトソラスを手に入れた事実を彼女は知らない。
「あの聖女か? 聖剣の前で祈りを捧げた後、無残に息絶えたぞ。おかげで、俺がこうして聖剣を手に入れることができたわけだ」
俺はあえて冷酷な笑みを浮かべ、腰の聖剣を無造作にポンポンと叩いた。
わざわざここへ出向いたのは、これが目的だ。
『聖女セレスは、聖剣の呪いを解いた事によって死んだ』――そう教会側に認識させなければならない。
セレスが俺の領地で、元気に鍬を振るっているなんて知られたら面倒なことになるからな。
だが、目の前の司祭は聖女の奇跡に喜ぶどころか、肩を落とし項垂れている。
「そうでしたか……せめて、その剣に……セレスのために祈りを捧げさせてください」
「……勝手にしろ」
祭壇の前で膝をつき、祈りを唱え始める司祭。
その背中はあまりに小さく、絶望に打ちひしがれていた。
見ると、司祭の頬には一筋の涙がつたっている。
……どういうことだ? この女、本気でセレスの死を悼んでいるのか?
司祭は祈り終わると、力なく立ち上がった。
「……すみません。ありがとうございました」
「貴様は、セレスの何を知っているんだ?」
俺の問いに、彼女は遠い空を見るような目で、静かに語り始めた。
「セレスは、魔物に襲われ不浄の地と化した村の、唯一の生き残りでした。教会が彼女を引き取ったのは、身寄りをなくした幼子に、せめて安息を与えたいという願いからだったはずなのです」
俺の知らない前日譚だ。
原作の設定資料にも載っていない、血の通った過去。
「しかし、ある日突然、方針が一変したのです。『聖女を仕立て上げ、その命を対価に聖剣を手に入れろ』と。当時の教皇様は猛反対されましたが……すぐに異端として追放されてしまいました」
「教皇が追放だと? この組織で最も偉いのは、教皇ではないのか?」
「ええ……形の上では、ですが。教皇を凌ぐ権力を持つのが『宗教庁』です。彼らの意向に逆らうことは、何人たりとも許されないのです」
ここに来て『宗教庁』の名前が出るとは。
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏にあの不愉快なニヤケ面が浮かんだ。
「……それは、『シークランス公爵家』の指示か?」
俺の言葉に、司祭の肩がビクッと跳ねた。
その過剰な反応が、何よりの正解だった。
「それは……私の口からは……」
「……ふん。無粋な真似をした。気にするな」
言えない。という事が、正解という意味だ。
これで確信した。シークランスの謀略だ。
ここに来て、またも奴か。
コレットを害しようとし、俺を呪い、そして孤独な少女を『生贄』として使い潰そうとした。
信仰を盾に、他人の人生を踏みにじる、そのやり口――そいつが『宗教』を司っているだと?
だが、収穫はあった。
この腐った泥沼の中にも、セレスのために涙を流せるまともな人間が残っていたということだ。
「貴様、名は?」
「申し遅れました。私はポエテと申します」
「ポエテか。俺はムーグレイ家嫡男。レヴォス・ムーングレイだ」
「えっ……こ、公爵家のご嫡男様でしたか!? 多大なるご無礼を!」
ポエテは顔を青くし、慌てて深々と頭を下げた。
「謝る必要はない。頭を上げろ。貴様は何もしていないだろうが」
「いえ、しかしご無礼を……」
「頭を上げろと言っている」
ポエテが恐る恐る顔を上げた。
「ポエテよ。セレスは、ここに居る時に、どんな生活をしていたんだ?」
「……あの子は、ここに来たばかりの頃は、恐怖で毎晩のように泣き続けていました。私が担当として、母親代わりにはなれずとも、少しでも傷を癒せるよう寄り添ってきたつもりです。ようやく笑顔が見え始めた、そんな時でした。あの子が10歳になる頃、『聖女の神託』が下されたのです」
母親代わり、か。道理でセレスにたいして思い入れが深いわけだ。
そして、神託とは名ばかりの、シークランスによる処刑宣告。
「反対した司祭たちは次々と追放されてしまいました……私も反対し、追放される予定でしたが、先輩の司祭のみなさんに『ポエテだけは、セレスの側にいてやってくれ』と私を庇い……私を残してくれたのです。しかし、私は……あの子の絶望を知りながら、何もできなかった……!」
ポエテは悔しさに唇を噛み切りそうなほど強く結び、震えていた。
「セレスは運命を笑顔で受け入れました。でも、あの子は強い子なんかじゃない! ただ、周囲に迷惑をかけまいと耐えていただけなのです! 私はもう我慢できず、あの子を外へ逃がそうとしました。ですが、外の世界を知らないあの子は、すぐに捕まってしまい……」
外の世界を知らない……逃走……
ふと、記憶が繋がった。
あの日、俺が馬車で轢きかけたセレスの事を。
「……まさか、あの日か」
俺との遭遇がきっかけで、セレスは追っ手に捕まったのか……
俺がセレスを救ったつもりでいたが、そもそもセレスを窮地に追い込んだ要因の一端は、俺自身にもあったというのか。
胸の奥が焼けるような罪悪感に苛まれる。
クソ……なんという皮肉だ!
「私が逃がそうとしたせいで、あの子は幽閉され、今回の儀式に引きずり出されました。私は先日まで地下に閉じ込められていましたが、あの子が『聖女の祈り』に向かったことで、解放されたのです……」
ようやく合点がいった。
セレスが俺に会ったとき、あんなに怯えた目をしていた理由が。
セレスの事を想って反対をし、追放された司祭たち。
セレスの事を想って教会に残ったポエテ。
そして、ポエテや、助けてくれた司祭を想ったセレス。
今日、ここに来て良かった。
この胸の苛立ちを晴らすべき対象が、明確になった。
「ポエテよ。なぜ俺にそこまで話す。俺がシークランスの犬なら、貴様の命はないぞ」
「構いません。セレスのいないこの場所に、未練などありませんから。ここにはもう、毒牙にやられた亡者しか残っていない。今日にでも、ここを去るつもりでした」
ポエテは、魂が抜け落ちたような微笑を浮かべた。
全てを諦め、疲れ果てた者の顔だ。
「そうか。……ところで、貴様の神は『嘘』については許されるのか?」
俺の問いに、ポエテは拍子抜けしたように瞬きをした。
「嘘、でしょうか……? その嘘を告白し、悔い改め、繰り返さぬと誓えば、神は慈悲を与えてくださるでしょうが……」
「ふん。俺は別に反省もせんがな。どうやら俺は、神に嫌われる生き方しかできんらしい。……だが、嘘の告白くらいは出来るかもしれん」
ポエテは俺の言葉を疑問を持つように聞いていた。
俺は一歩近づき、ポエテにだけ聞こえるほどの小さい声で囁いた。
「かつて孤独であった少女は……今も元気に生きている」
「――っ!」
ポエテの瞳が、衝撃で大きく見開かれた。
彼女は瞬きも忘れたように、俺の目を凝視している。
やがて、ポエテの目から堰を切ったように、大粒の涙が溢れ出した。
声にならない嗚咽が漏れ、彼女は崩れ落ちそうになる体を必死に支えている。
「ポエテ。教会の前に俺の馬車がある。付いてくるかどうかは、貴様が決めるがいい。あの子が本当に元気かどうか、その目で確かめる勇気があるならな」
俺はそれだけ言い捨てると、振り返らずに出口へと歩き出した。
俺の背後から、慟哭に近い叫びが響き渡る。
「ああ、神よ……! 感謝いたします……! 本当に……本当に、ありがとうございます……っ!」
大聖堂の静寂を破り、俺の後を追う必死な足音が響いた。




