第12話 俺を憎んでいる者
セレスは聖女としての象徴だった純白のドレスやベールを脱ぎ捨て、代わりに動きやすさ重視の簡素な服に身を包んでいた。
かつてのオドオドした弱気な態度はどこへやら、今のセレスは太陽の下で清々しい笑顔を浮かべ、楽しそうに畑を耕している。
今はただ、土の匂いに目を細め、未来を切り拓くために鍬を振るっていた。
(……聖女の呪縛から解き放たれて、あんなにいい顔をするようになるなんて……救えて良かったなぁ)
だが、感傷に浸っている暇はない。
こうして『グリンベル領』の再興は始まったが、連れてきた冒険者連中と、元聖女のセレスだけでは、この広大な土地を復興させるにはあまりに手が足りない。
「……もう少し、人材をかき集める必要があるな」
人を集めるにしても、ただ数が揃えばいいというわけではない。
今、この地に必要なのは、インフラや生活基盤を支えるための高度な知識と技術を持つ者だ。
ふと、一人の女の顔が思い浮かぶ。
賢者、クロエ・フィーンズ。
クロエの脳内に詰め込まれた膨大な知識を、ただの魔法研究だけに腐らせておくのは宝の持ち腐れだ。
今こそ、その才を領地経営に注ぎ込ませる時だろう。
「いや、この際だ。面倒な手間は省く。全員この土地に召喚し、前の屋敷は捨てるとしよう。あんな箱、もはや何の思い入れも無いからな」
俺は即座に決断を下した。迷いはない。
俺はすべての馬車を翻させ、一路、今までの本拠点であった屋敷へと戻った。
「レヴォス様、お帰りなさいませ。……して、その腰に帯びた剣は、いったい?」
出迎えた執事のフォルテが、聖剣クラウトソラスに釘付けになっている。
フォルテは重度の剣術マニアであり、同時に狂気的なまでの刀剣マニアでもある。
伝説の聖剣を目の前にして、フォルテの瞳は獲物を見つけた肉食獣のようにギラついていた。
(フォルテさん、顔が怖いよ。聖剣を食い入るように見すぎて、目が血走ってるじゃないか……)
だが俺はそんなフォルテの反応を内心で面白がりつつ、無造作に言葉を投げた。
「フォルテ。これは聖剣だ。……欲しそうな顔をしているな。貴様にやる」
俺はそう言い放つと、薪でも放るかのようにフォルテへと放り投げた。
「せ、聖剣……!? もしやクラウトソラスですか!? レヴォス様、さすがにこれは冗談が過ぎます! いただけません! ……い、いや、しかしこの刃紋、この重圧……本物なのですか!?」
普段は冷静沈着なフォルテが、見たこともないほど狼狽えてギャーギャーと騒ぎ立てている。
俺はその喧騒を背中で聞き流し、一切の躊躇なくクロエの自室へと向かった。
ノックなどという微温い儀式は省略だ。
俺は乱暴にドアをガチャリと開け放った。
部屋の中では、案の定、机に突っ伏してよだれを垂らしながら寝こけているクロエの姿があった。
「クロエ。おい、起きろ。いつまで寝ている」
俺が声を掛けると、クロエは「ふぇっ!?」と情けない声を上げて顔を上げた。
だが、クロエは何とか目を開けているものの、意識はほとんど夢の中のようだ。
「あれぇ……? レヴォス様がいるぅ……? これは夢かぁ……うふふ、レヴォス様ぁ……愛しておりますぅ……」
「……寝言は寝てから言え。今すぐ起きろ。夢ではない」
俺が蔑むような視線を向けると、クロエは数秒間ボーッとこちらを見つめていたが、突如としてその目がカッと見開かれた。
「こ、これはレヴォス様!? 失礼いたしました! ……え、私、今何かとんでもない事を言ったような……!?」
顔を真っ赤にして狼狽するクロエを無視し、俺は本題を切り出す。
「構わん。それよりクロエ、貴様に『街』を建設するための知識はあるか?」
「街、ですか……? 一般的な建築学や都市計画であれば、理論としては心得ております。ですが、専門的な職人の技術となると、私の範疇を超えます。知識があっても、それを形にする腕がなければ……」
(よし、充分だ! 知識さえあれば、俺が常に現場に張り付かなくても、復興が止まることはない。さすがは賢者クロエちゃん!)
「上出来だ。では、今すぐ出かけるぞ。この屋敷には二度と戻らん。持てるだけの家財をすべて積み込め」
「えっ……!? お、お引越しですか……!?」
「そうだ。一刻も早く準備しろ。遅れる者は置いていく」
俺はそう言い捨てて、呆然とするクロエを残して部屋を出た。
(……それにしても、今さらながらクロエちゃん、とんでもないことを言っていなかったかな? まあ、寝ぼけていただけだろうけど)
それからの屋敷は、まさに戦場だった。
フォルテ、コレット、そして他の使用人たちも、俺のあまりに唐突な『引っ越し宣言』に、目を白黒させて、てんやわんやの大騒ぎだ。
だが、俺の命令は絶対だ。
数十台の荷馬車に、持ち込める限りの財産と資材を無理やり詰め込むと、すぐさま出発した。
目指すは、希望と再生の地『グリンベル』。
「ここが、あの呪われた死の土地『グリンベル』ですか……? 聞いていた噂とは、似ても似つきませんね。見渡す限り毒の沼地と聞いていましたが……」
馬車の窓から身を乗り出したクロエが、信じられないものを見るような目でグリンベルの景色を眺めている。
「ああ、毒はすでに俺がすべて払った。あそこに見える冒険者たちの宿泊所を拠点に、街を広げていく。クロエ、貴様には食糧生産の効率化と、インフラ整備の指揮を執ってもらう」
「わ、わかりました! ……って今、すべて払ったと言いましたか!? この広大な地の呪いを、お一人で……?」
驚愕に震えるクロエを放置し、俺は馬車を降りた。
すでに作業に当たっていた冒険者たちと、屋敷から連れてきた使用人たちを合流させ、顔合わせを行う。
そして、最後の一人を呼び寄せた。
「セレス、前へ。……フォルテ、クロエ、コレットだ。俺の腹心たちだ」
「レヴォス様の執事、フォルテと申します。以後、お見知りおきを」
「私はレヴォス様と魔法研究を担当しております、クロエ・フィーンズです」
「あ、あの! レヴォス様のメイドのコレットです! よろしくお願いしますっ!」
3人がそれぞれ、緊張した面持ちのセレスに挨拶を投げかける。
「私はセレス・ティアルーンと申します。……以前は、聖女を務めておりました」
その控えめな自己紹介を聞いた瞬間、3人の思考が一時停止した。
そして――
「「「 聖女様、ですかっ!? 」」」
鼓膜が破れんばかりの絶叫。
俺は耳を塞ぎたい衝動を抑え、これまでの経緯を淡々と説明した。
父グランディアからグリンベル領を譲り受けたこと。
この地の毒を俺が浄化したこと。
そして、聖女を伴って聖剣を入手したこと。
「なるほど、そのような事情が……」
「まあ、レヴォス様のことですから、今さら何が起きても驚きはしませんが……」
口々に納得した様子を見せる彼らに、俺は威厳を込めて宣言する。
「ここが我らの新たな領地だ。ここに、世界が畏怖するほどの街を建設する。貴様らの粉骨砕身の働きに期待しているぞ」
皆は俺の言葉に、同じ返答をした。
「「「「 承知いたしました、レヴォス様! 」」」」
活気に包まれ、急激に人口が増えたグリンベル。
だがそんな中、俺の知らない奴が一人、街に紛れ込んでいた。
一人の少女だ。
年齢は10歳……いや、12歳くらいか?
俺が連れてきた使用人にも、冒険者にも、そんな子供はいない。
どこからか紛れ込んだのか、それとも迷子か。
だが、つい先ほどまで死の沼地だったこの場所に、住人などいるはずがない。
そして、少女は不機嫌そうに腕を組み、微動だにせず俺を……射殺さんばかりの鋭い視線で睨みつけていた。
「……セレス、あの子どもは何だ?」
「あ、いえ……それが、気づいたらそこにいらして。レヴォス様のお知り合いかと思っていたのですが」
「俺はあんな奴、記憶にはない」
不気味なほどの沈黙。
そして、なぜか俺個人に向けられた凄まじい敵意。
少女は鬼のような形相で俺を見つめている。
俺は、この少女に何か恨まれるような覚えがあっただろうか。
(俺は悪役レヴォスだ。前世の記憶が戻る前の『本物のレヴォス』が、過去にこの子に何か非道なことをしたのかもしれないなぁ……そうだったら申し訳ない……)
俺はセレスとともに、少女に歩み寄った。
だが少女は俺の威圧感に怯むどころか、さらに深く眉間に皺を寄せ、敵意を剥き出しにした。
「貴様、どこから来た。俺に何か用か?」
俺の問いかけに対し、少女は何も答えない。
ただ、憎しみのこもった瞳で俺を睨み続けている。
その眼差しは、レヴォスという存在の罪深さを突きつけてくるかのようだった。
見かねたセレスが、膝をついて優しい声を掛けた。
「ねぇ、お嬢ちゃん。一人なの? お父さんやお母さんはどこかな? ……もしかして、道に迷っちゃったの?」
セレスの慈愛に満ちた言葉に、少女の瞳がわずかに揺れた。
「大丈夫だよ。ほら、怖くないからね」
セレスが聖女のような微笑みを向けると、張り詰めていた空気がわずかに緩む。
すると……ようやく少女がその小さな口を開いた。
「……お主ら、聖剣をどこにやったのじゃ!?」
声は可愛らしい少女のものだが、その喋り方はあまりに年寄りじみていた。
それに、この尊大な口調……つい先ほど、どこかで聞いた記憶がある。
「お前……もしや、あの『毛玉』か?」
「毛玉ではない! 大精霊と呼ばんかい!」
「ええっ!? 大精霊様!? こんなに愛くるしいお姿に……!?」
そう、この不機嫌な少女の正体は、聖剣を守護していたあの大精霊だった。
だがおかしい。
本来のゲームシナリオに、こんな少女の姿をした精霊など登場しなかったはずだ。
(まずい、ずっと睨まれている……聖剣を持ち出した後、あそこに放置したのを相当怒ってるのかな……大精霊を適当に扱ったツケが回ってきたのかも)
俺たちはひとまず、大精霊を簡易宿泊所の中へと招き入れた。
簡易とはいうものの組み立て式の屋敷でもあるため、中はそれなりに広く質素ではあるが気品が感じられる。
持ってきたテーブルなども設置してあるので、ここが屋敷と言われても何の違和感もないだろう。
「大精霊様。紅茶でございます」
フォルテが完璧な所作で紅茶を運んできた。
「ふむ、苦しゅうない」
少女の姿でふんぞり返る大精霊。
そのギャップが何とも形容しがたい。
「で、毛玉。何の用だ。用がないなら即刻立ち去れ。ここは俺の領地だ」
「だから我は毛玉ではない! それより貴様、聖剣はどうした!? 我が何百年も守り続けてきた至宝を、まさか失くしたわけではあるまいな!」
「ん? ああ、あれか?」
俺が指し示したのは、窓の外。
そこではコレットが鼻歌を歌いながら、元気に洗濯物を干していた。
そして、濡れたシャツやズボンが吊るされているその『物干し竿』こそが――鞘に納まったままの聖剣であった。
フォルテが「さすがに聖剣は貰えない」という事で、行き場のなくなった聖剣の末路でもある。
「はあぁぁぁぁぁ!? 聖剣は竿じゃないのじゃぁぁぁ! 何を考えておる貴様ぁぁぁ!!」
「お前はいちいち五月蠅いな。道具は使ってこそ価値がある。有効活用だ。場所がわかったなら満足だろう。さっさと森へ帰れ」
「き、貴様ぁ……! ……しかし、やはり我が見届けておらねば、この聖剣の格が地に落ちる一方のようじゃな!」
大精霊は拳を握りしめ、プルプルと震えながら仁王立ちになった。
「毛玉、聖剣はすでに俺のものだ。貴様が守る必要はない」
俺の言葉に、大精霊は毒気を抜かれたように椅子に座り込んだ。
少女は紅茶を一口啜ると、どこか遠くを見るような目で、ポツリポツリと語り始めた。
「我は……数百年の間、ただあの森で剣を守ることだけを生きがいとしてきた。それが突然、貴様に無理やり解かれてしまったのじゃ……」
頼んでもいない大精霊の昔語りが始まった。
「心の準備もできぬまま、聖剣の封印を解かれ、生きる意味を失ってしまってな……あてもなく森を彷徨っておったら、いつの間にかここへ辿り着いておったのじゃ」
俺たちも紅茶を飲みながら、大精霊の言葉に耳を傾けていた。
「……我を、ここに住まわせてはくれぬか。我は……本当は、寂しかったのじゃ。頼む!」
大精霊は、机に『ゴチーン!』と凄まじい音が響くほど勢いよく頭を下げた。
俺はしばらくの間、あえて無言を貫き、品定めするように大精霊を見つめた。
そして、静かに告げた。
「……働かざる者、食うべからずだ。労働に従事するなら、許可してやろう」
「ほ、本当か!? ありがたい! やはり聖剣のそばは落ち着くわい!」
現金なもので、大精霊は途端に顔を輝かせ、窓の外の『竿』をうっとりと見つめ始めた。
「して、大精霊よ。一応、貴様の名を聞いておこう」
「我の名か? よく聞け。畏れ多くも我が名は――」
少女――大精霊は、その平坦な胸をドンと叩いて、勝ち誇ったように叫んだ。
「ミサミサじゃ! 大精霊ミサミサ様と呼ぶが良い!」
「…………ミサミサ?」
その名を聞いた瞬間、俺の脳裏に一つの『語呂合わせ』がフラッシュバックした。
迷いの森を通り抜ける語呂合わせ。
『|右左右左真ん中真ん中真ん中左右右右左』。
通称『ミサミサ・ママ』。
(まさか、偶然……? いや、このゲーム開発者の悪意ならあり得る……!)
俺が戦慄していると、隣にいたセレスが、顔を真っ赤にして俺の耳元で囁いた。
「レヴォス様……森で『ミサミサ・ママ』と何度も仰っていましたよね? ……レヴォス様は、その、お母様のような包容力のある方がお好きなんですね? 私、精一杯頑張りますから……!」
「……重大な勘違いだ。今すぐその記憶を消去しろ。いいな、二度と思い出すな」
大精霊のせいで、俺はこの日から身に覚えのない不名誉なレッテルを貼られる羽目になった。




