その姉と魔法の勉強
「お見苦しい所をお見せしてしまいました」
「いいぇ~、妹のためにたくさん泣いてくれて嬉しかったです」
(ごめんねぇアンちゃん先生、お姉ちゃん以外にも見えたらいいんだけれど)
涙をハンカチで拭ったアンメライアがアリアから体を離し、無理したようにはにかむとお茶をそっと飲み、息を吐いた後、軽く頬を叩いてソファーに腰を下ろすとアリアに書類をいくつか手渡した。
「あなたが休学していたひと月分の授業内容とこれから1週間ごとに簡単なテストをして、授業について来られるかの学力調査についての説明と範囲、あとは――」
「……センセ、それ絶対?」
「絶対ですよ。アリアさんは呪文が覚えられないのと多分魔法陣に適性がほとんどないのが問題でしたね」
「うっ」
「学園の形式上、1人の生徒をじっくりと指導することは出来ませんが……そこは学園側に承諾させました。これから課題が終わるまでの昼休みや放課後、私がきっちりとあなたの勉強を見ますから、安心してテストに臨んでください」
げんなりとうな垂れるアリアに、アンメライアはクスリと声を漏らし、いくつかの教材とサンドウイッチをテーブルに置き、食べながらやりましょうとアリアに伝えた。
「それでは一応復習です――ダンテミリオ、まずは呪文と魔法陣について答えてください。魔法陣とは?」
「え~っと……」
(そこで躓くのはどうかと思うよお姉ちゃん。魔法陣とは魔法使いの持つ、素質と根源を紋章に変えた固有の唯一無二)
「ま、魔法使いの血と魂の絶叫」
(僕が言ったとおりに答えなよ~。なんで変なアレンジするかなぁ)
「えっと、血は素質、魂は根源、ですか? まあ独特な言い回しですが理解はしているようですね。では次は呪文について」
(呪文とは、その魔法陣に通すことで魔法となる人の言語では翻訳できない言葉の束。今現在、呪文の数は数百にも上り、未だにすべては解明されていない)
「う~んと、め、メガホン片手に窓を割って歩く?」
(なんでよ! お姉ちゃんの頭の中どうなってるのよ!)
「えっと、メガホンは拡声器だから、その拡声器を魔法陣として声によってさまざまな影響をもたらし――」
(アンちゃん先生無理しないで! お姉ちゃんのこと叱っていいんだよ!)
脳内変換が明後日の方角に向く子、アリアである。
今アリスが話していた通り、魔法陣と呪文はこの世界の魔法使いにとって必須であり、逆を言えばそのどちらかが欠ければ魔法使い足りえないということである。
魔法陣は魔法使いとしての入り口、この魔法陣が発現しなければそもそも魔法使いにはなれず、それぞれに固有の魔法陣が素質や魂の形によって形成される。
そしてその魔法陣に呪文を通すことで魔法という術が行使できる。
呪文はいつ誰が作ったのかわからないが、世界中の様々な場所に残されており、未だ人類が扱う言葉に翻訳できない文字――魔法文字と呼ばれる文字で形成された文字の束、魔法使いはその呪文であれば誰もが読むことができ、大なり小なり魔法を使用することが出来る。
しかし呪文は読めても魔法陣が呪文に対応していないことがある。それが魔法陣の素質と呪文の適正である。と、学園では教えられている。
「アリスさんはどの魔法も万遍なく唱えられましたが、アリアさんは……」
「うっ」
(……まあ、お姉ちゃんは大分特殊だからなぁ)
「きっと魔法陣の素質が人より狭いだけなのですよね。アリアさ――ダンテミリオ、あなたが使用できる呪文の方向性を教えてもらえますか?」
「うんと、氷系統と雷系統の呪文なら」
「見せてもらってもいいですか?」
「……」
(あ~……お姉ちゃん大丈夫? 出来るだけ小さくだよ)
「わかってる」
数回の呼吸を繰り返し、アリアが指先に唇をつけてまるで投げキスをするかのように指を弾くと、指先から魔法陣が現れ、彼女の正面で浮遊し始める。
「……相変わらず、魔法陣の出し方が独特というか可憐というか」
(だから! お姉ちゃんは! かわいいん! だよ!)
アリアが集中し始め、周りの声が聞こえていないのではないかというほど周囲の声に耳を傾けなくなると、突然アンメライアの研究室の扉が勢いよく開け放たれ、自信満々に震える双丘が飛び込んできた。
「アリア! 不審者いなかったわ――」
「『――』『――――』その熱を喰らえ、その魂に、温もりなど二度となく――」
アリアの指先に移動してきた魔法陣から冷気が噴き出し、それをふっとするように息を吐き、そのまま彼女が発した魔法が現れたノアに直撃した。
「つめったぁ!」
「……んぇ? ってノアごめん!」
ノアに放った氷系統の魔法を晴らすようにアリアが彼女の周りを手で払い、安堵したように息を吐いた。
するとノアがどこか恍惚としたようなそれでいて安堵したような、そんな顔で魔法が当たった個所を撫でていた。
「さすがに魔法に直撃して喜ぶような生徒を看過できませんよ?」
「違うって! この冷たさ、久々だなぁって。アリアが戻ってきたんだなぁって思ってさ。というか相変わらずアリアの魔法は冷たいわよね」
「そんなにですか?」
「うん、ちょっと触ってみてくださいな」
「え、えっと――」
アリアがあたふたとアンメライアを止めようとするのだが、彼女が魔法に触れてしまう。
そしてその冷気に触れたアンメライアが首を傾げる。
「……温度の低さとは違うような? ところでダンテミリオ、今2節唱えましたか?」
「い、いえ~、ちょっと噛んじゃって」
(お姉ちゃんが先生たちの前で魔法を使いたがらないのはこれが理由なんだよなぁ。普通にバレる)
「先生、アリアは2節どころか、1節だってまともに唱えられないですよ。だからもう、私のメイドになるしかないんですよ」
「ルヴィエント、それはあなたが決めることではありません。それに1節も唱えられないと言いますが、そんな苦手な感じでは――」
「あ、あぁアンセンセ、さっきみたいにテスト、テストのあのあれですぅ!」
「……ああ、復習しましょうか。呪文には組み合わせがあります。それは複合魔法と呼ばれ、1つの呪文を1節、2つ読み上げて2節――と、読み上げる呪文が多くなっていきます。この学園にも多節を読み上げられる生徒はいますが、基本的には高等テクニックです」
「確かアリスはたくさん唱えられるわよね?」
「ええ、彼女は基本的にどの呪文にも適性があり、様々な組み合わせの魔法を得意にしていました」
「本当、魔法使いの素質としては天才的な――ってごめなさいアリア」
「んぁ? ううん、気にしてないよ。それと一応アリスの得意な魔法は人を元気にさせる魔法だからね」
「元気に。ですか?」
「はい、確か火の系統の呪文と癒しの系統の呪文、それと強化の系統の呪文を混ぜた3節魔法、だったかな?」
(おしい。火の系統じゃなくて陽の系統、つまりお日様だね。3節の活性魔法、自動治癒にちょい狂化、痛覚麻痺の三点付与魔法だよ)
「なんでそんな戦闘特化の魔法を――」
「ん? アリア何?」
「……ううん、戦う人を元気にする魔法を研究してたみたいだよ」
アリアは言葉を選んで妹の得意の魔法を少しだけに濁して伝えた。
しかしそうとも知らないノアとアンメライアがうなずいていた。基本的にこの2人はダンテミリオ姉妹に甘いのである。
「あの子は優しい子でしたから、前線に立つ戦士を憂いていたのかもしれませんね」
アンメライアの言葉に、アリアは難色を示すのだが、それを見ていたアリスが姉の背中をポコポコと叩き始めた。
(何よお姉ちゃん、僕優しいでしょ)
「あたしにだけはね」
(そりゃあお姉ちゃんが一番だよ。お姉ちゃんが出来ないだろうことを僕がやってるの)
「はいはい」
後ろから抱き着いてきたアリスの手を、アリアがそっと握り、ハフと息を吐いた。
「まあいい子よね。でもなんでそんな戦うこと前提の魔法? あの子冒険者志望だったっけ?」
「え? それはあたしもそうだよ――」
「アリアはダメに決まってるでしょ!」
「アリアさん駄目ですよ、危ないですから」
「ん~~」
(まあ当然の反応だよね。お姉ちゃんって見た目と生活態度から基本的に庇護対象だから)
この学園にいる意味を本気で考えているような思案顔のアリアを放っておき、ノアがアリアに渡された書類を手に取った。
「これがアリアの課題?」
「ええ、学園側と交渉してそれなりの量にしてもらったのですが、このくらいなら大丈夫ですよね」
「う~ん……でもアリア、人前で魔法を使いたがらないのよね。実技の方は難しいかも。あと歴史……というか暗記全般苦手意識を持っているわね。あとは――」
「あの、私から振っておいてなんですが、あなた気持ち悪いですね」
「王族に向かって!」
「それはアリアさんが答えるべき内容で、あなたが言う内容では本来はないはずなんですよ」
「……まあそれに関しては学友どころかお父様にも言われ慣れているから不問にしましょう。ところでこの間やった授業の内容が抜けていますよ」
「この間……ああ、禁忌ですか。あれはまあ、そんなに必要な知識でもないですからね」
「そもそも誰も使えないから禁忌なのであって、授業にする意味もわからないからね」
「それはそうなのですが、その担当をしている教師の前で堂々と言わないでもらえます? そんなに言うのなら内容はばっちりなんですよね」
「そりゃあもう、えっと禁忌とは禁忌魔法と呼ばれる世界に在る10の呪文、現在使い手は5人しかおらず、その呪文を解読することは叶わない」
「はい、よく勉強していますね。補足なのですが、呪文とは人の耳で聞き取れません。ですが魔法使いはその呪文を聴き取れはしませんが、理解することは出来る。何を聞いているのかわからないけれどなにかはわかる。これを魂で聴くなんて言いますけれど、禁忌はそうもいきません。魂が拒絶するのか、理解すらできない。これが私たち魔法使いが禁忌を扱えない理由です」
「理解できない呪文かぁ。そもそも存在すら無意味なのでは?」
「一般の魔法使いにはそうですけれど、そんな理解できないものがなぜ10あると人類が知っているのか、理由はわかりますか?」
「あれ、なんでだろ――」
「『魔法使いの英雄譚』10人の魔法使いが世界を救った御伽噺。その魔法使いが扱う魔法が今で言う『禁忌魔法』」
「アリアさん、禁忌に詳しいのですね? あなたが休んでいる間にやった授業なのですが」
「……師匠が詳しかったので」
「なるほど。禁忌の研究をしていた方だったのですね」
「え、それっていいの?」
「別に禁忌の研究は禁止されていませんよ。そもそも禁忌を研究したところで、魔法陣に適性はほとんどないでしょうし、仮に禁忌の呪文を見つけたとしても呪文が読めない。今いる5人の禁忌使いの証言では、突然使えるようになった程度のものらしいですし、研究したところで実入りは少ないというのが共通認識です」
「……」
(師匠は師匠で別口だったけどねぇ。まっそのおかげで僕がこうなったわけだし、感謝しかないけどね)
「まあそういうわけです。これからもこうやってテストの対策をしていきますから、毎日ここに来るように」
「は? ズルい」
「それならあなたも来ればいいでしょう。下手したら退学もあり得ますので、あなたも協力してください」
「……わかったわよ」
アンメライアがそっとアリアに手を差し出すから、彼女はその手をそっと握る。
「それでは、頑張っていきましょうね」
「はいっ」