その姉と解放された月の怪物
「がぁっ!」
「リュード!」
「これなら思いの外簡単にアリア先輩を攫えますね」
傷ついたノアとリュードウィス、勇んでシェリルに刃を向けたのはいいが、彼女の周囲に浮いている無数の魔石。
グイードラッシュとは格が違うと言わんばかりに、量も質も比較にならないほどの差があった。
周囲の魔石はあちこちに動き回るとランダムに魔法を放ち、ノアとリュードウィスに攻撃を繰り返していたのだが、肩で息をして足を止めている2人と違い、シェリルは一切その場から動いておらず、自分の爪を見て興味なさげにノアたちの悲鳴を聞いていた。
「シェリル、あんた……」
「なかなかやるものでしょう? これでもお父様程度なら軽くひねっていたんですよ。あの人、あんまり魔法の才能なかったですから」
「自分の父親に随分な言いようじゃないか。あの男はお前のことを天才だと話していたぞ」
「その後に、ノーブルラントの最高傑作とでも言っていたんでしょう? 本当に失礼しちゃいますよね、私はノーブルラントだから天才なんじゃない、シェリル=ノーブルラントだから天才なんです。そこのところを一切わかっていなかった」
「……やっぱあのおっさん、子育て向いていないわ、こんな性悪になったことに気づきもしてないんだもの」
「それには同意です。父親としても魔法使いとしても、そして唯一の取り柄の野心すらも凡才以下。あの人に魔法を語る資格なんてありませんでしたよ」
吐き捨てるように言い放つシェリルに、ノアが顔を歪めた。
するとリュードウィスがアリアに目を向けた。
「アリア、お前が動けない理由は?」
「手が動かなくて魔法陣を出せないのよぅ」
「唇を当てる動作、あんなにわかりやすいんですもの、制限するに決まっているでしょう?」
「あれは可愛いからやってんのよ!」
「ノア様、黙ってろ」
アリアは肩を竦めてため息を吐くと、その手錠に目を落とした。
「魔法のエネルギーは生命力――魔法陣は魂を変換したもの。魔法使いとは魂を外界にむきだしにして魔法という素質を呪文によって引き出し、生命力を対価に外に放出するエネルギーを扱う者。です」
「……どれだけの知識があなたの中にあるのですか? それにそれが事実であるのなら、魔法陣を起動できないのは魂が小さい。ということでしょうか?」
「さあね、少なくともあたしは出口を作ってあげないと魔法陣は出せない。これは大きい小さいにかかわらず誰でもやったほうが良いんだけれどね」
「理由を聞いても?」
「生命力をより意識できる。結局は不可視のエネルギー、認識1つでそれなりに扱いやすくなる。です」
アハッと声を上げたシェリルが自身が魔法陣を呼び出す指をチュッと吸い上げた。そして何が愉快なのか大きく笑い声をあげ、指揮棒をノアたちに向けた。
「『――』『――』『――――』天を穿て咆哮、邪魔する者は跡形もなく消し飛ばせ『叫びこそ無意味無遠慮』」
「っつ!」
「は――」
寸前に、ノアとリュードウィスが飛び退いたのだが、それは以前見たシェリルの魔法とは威力が違っており、アリアの話が真実であることの証明だった。
「馬鹿野郎アリア、何教えてんだ!」
「本当、一体その知識、どこから持ってくるんですか? こんなにわかりやすく威力が上がるなんて――ねえアリア先輩、冗談抜きに、私と禁忌のための研究をしませんか? あなたとなら私もそこに至れる気がするんですよ」
「生憎ながら遠慮しておきますよ。だって今のままじゃ、あなたはそこに至れない。泥船に乗ってもあたしの時間が無駄になるだけだもん」
「随分とつれないですね。まあ私的には頭と口さえ残っていればどうでもいいんですけれど」
アリアは目を閉じると再度息を吐き、すぐに顔を上げて彼女をまっすぐと見つめた。
「最後まで聞いていなかったけれど、それで、どうしてアリスをあんな目に遭わせたの?」
「ああ、話していませんでしたね。でもそれが私にもわからないんですよ」
「わからないってあんた」
ノアが額に青筋を浮かべ、激情のままにシェリルを睨みつけた。
ノアにとってもまた、アリスは可愛い後輩なのである。
「わからないものはわからないんです。だって、あの子の存在自体、私はよくわからない。だって私はノーブルラントの家に生まれ、学園も当然首席で入るはずだった。でも結果は次席、私以上の魔法使いがいるはずはない。でも、彼女はすべてを持っていた。私以上の魔法陣の素質、呪文は何でも読めたし、どんな魔法でも使えた。どうして私の前にいるのかわからなかった。だから――」
シェリルはひどく醜悪に笑う。まるで罪悪感などないように、自身の前に誰かがいるわけがないという結論で、正面を歩んでいたその少女ひねりつぶした。
「魔石に変えちゃおって」
ノアとリュードウィスが絶句していた。
アリアは彼女の言葉に静かに耳を傾けていた。
「私が先頭を走っているんだから、目の前に何かあれば障害物でしょう?」
「……お前、正気か? そんなしょうもない理由で、アリスを殺したのか?」
「しょうもないって、パテンロイド先輩だってもし目の前に障害物があったらどかすでしょう? しょうもないとかしょうもなくないとかではなく、誰だってそうするはずでしょう。私はただ、退かしただけですよ」
「なるほど。うん、言葉の意味はよくわかりました」
「それじゃあ私と一緒に来てくれますか?」
アリアはちらと背後に一瞬だけ目をやると、すぐに首を横に振った。そして挑発するような顔つきで嗤う。
「あなたはダメです。今のままじゃ禁忌に至れるはずもなく」
「結構いい線いっていると思うんですけれど」
「その星の魔法使い、聖石を慈しみ、1人の魔法使いと対話するようにして魔法を引き出す者――です。魔石程度でイキがっているようじゃこの先は見えたも同然だって言ったんですよ」
シェリルの顔がむっと歪むと、彼女は途端に髪をかきむしった。
「ああもう、ほんっと面倒くさいな。ウチはさっさと来いって言ってんのよ。それなのにお前じゃ無理だとか、お前ではどうにもできないだとか、そんな話が聞きたいわけじゃねえですよ」
まるで人が変わったように、清廉純情の仮面をはぎ取ったシェリルが目つきを吊り上げ、アリアに敵意をぶつけた。
「というか、ずっと言おうと思ってたんですけど、あんたがいると妙に苛立つ。さっきまでは別に何ともなかったのに、またイライラしてきた」
「ありゃ、それは僥倖。多分波長は合っていたんだろうね。こんなことにならなければ2人はいい関係だったと思うよ」
「わけわかんないこと――」
「あなた、気が付いていたんでしょ? あたしのそばに何がいたのか」
「……うるさい、とりあえずその四肢もいでやる」
アリアの周囲に魔石を浮かせ、シェリル自身魔法陣を展開した。
それは認識の話だ、シェリルはそれを魂だと意識していたわけではないだろう。しかし彼女は魔石を扱う。魔石とは魔法陣であり魂、そのことを理解していなくとも魔石というものに意識を、思考を潜らせるたびにその存在は顕著になっていく。
だからこそミアベリルとは別口でそれに違和感を覚えたのだろう。
アリア=ダンテミリオのそばにあった違和感。彼女はそれを認識していた。
あと必要なのは、その相手――。
「へ~、僕ってあなたの障害になっていたんだ」
「――っ」
シェリルの背中から腕を回し、アリスがニッといたずらっ子な顔を彼女の横顔に晒した。
「アリス=ダンテミリオ――」
「は? お前なに言ってんだ?」
「……」
「ノア様?」
シェリルが体を激しく揺らしてアリスの腕を振り払うと、2節魔法を発動させて彼女の放つものの、それはすり抜けてしまう。
「僕なんかをず~っと前なんかに置いてくれてたんだぁ、いやぁ照れるにゃぁ」
「黙れ亡霊! やはりアンデット? それなら聖水で――」
「駄目だよぅ、僕は聖水なんかじゃはらえない。そもそもアンデットじゃないからね」
アリスはぴょんぴょんとシェリルの周囲を飛び回り、小ばかにするように言葉を放ち続けていた。
この姉妹、煽ることに関して言えば似たところがあり、リュードウィスからは姉妹揃うとクソガキなどと呼ばれていた。
「あっ、もしかして湖で聖水持っていたのって僕にかけようとしてたぁ? お化け怖かったんだねぇ可愛いねぇ」
「このっ――」
「だから無駄だって。ねえノーブルラントさん、僕はアンデットじゃない。じゃあ何か、ちょっと聞いたんだけれど、魂は体に縛られるもの。だから体から離れられない。じゃあ僕は何なのか、なんでも僕の体を大地に溶かすことでこの世界そのものに僕の魂を縛り付けた。だったかな」
「馬鹿なっ、そんな荒唐無稽あり得るわけがない。あんたはアンデットよ、それ以外でもそれ以下でもない」
「いやいや、その荒唐無稽が通っちゃうんだよ。だから目指していたんでしょ?」
アリスはすっと視線を地下施設の入り口にいるアッシュランスに一度向けた。
それに合わせるようにアリアも体の側面を入り口にいる彼に見せ、手錠の位置を示した。
「そんなもの目指して……めざ、して――」
シェリルの顔が青白くなり、振り返ってアリアに目を向けた。
「ノーブルラントさん、僕なんか目の前にいるんじゃ、もっと先にいる人なんて見えてなかったんだろうねぇ」
「……ありえない。でも、まさか、アリア=ダンテミリオ、あんたはっ!」
「『――』『――』『――――』閃光、潜航、一閃、撃ち抜け『駆け抜けろ高速の一閃』」
「アッシュランス=スピアード!」
地を奔る閃光はアリアの足元で光を放ち、その手錠を破壊した。
手錠が割れたことで、アリアはそっと指先を唇に添え、艶のある笑みで投げキスを1つ。魔法陣を起動した。
「……」
「そんな、まさか、あんたは」
「僕さぁ、お姉ちゃんに一度も勝てたことないんだよねぇ。学園一の天才が、お姉ちゃんに手も足も出ずにいいようにやられちゃうの」
アリスが嗤うと同時に、世界そのものの気温が下がる感覚。凍てつくほどの空気、否、温度自体は下がっていない。
しかし確かに寒いのだ。
体の震えはない。だが息が凍るほどの感覚がある。
「あ~あ、お姉ちゃんを怒らせたな。僕は知らないよ」
「違う、気温じゃない。じゃあこの寒さは……魂? つまり、こいつは――月の魔法使い!」
「さあ、反撃の時だ。シェリル=ノーブルラントさん、せいぜいあなたが目指した頂を、あなたが見落とした先の先の怪物を――10ある禁忌3つ目の禁忌魔法、2章27節。現存する6人目の禁忌使いと存分に戦ってね~」




