その姉は何よりも恐怖した
「なんだよ、学園に戻ってきたのか。ただでさえ落ちこぼれなのに、1か月も空けて取り戻せるのか? 大人しく故郷にでも帰んな――ぐあぁぁっ!」
「アリア任せて、こいつは殺すわ。両手両足の指を切り落とし、その指をすべて口に突っ込んで呼吸を止めた後、その額に剣を押し付けてジワジワとなぶり殺しにするわ」
「それが王族の言葉か!」
午前の授業が終わり、昼食時間を兼ねたお昼休みになったころ、同じクラスの男子生徒が鼻を鳴らし、小ばかにするような声色と表情でアリアに言うのだが、それを聞いていたノアが男子生徒の足を払って転ばせ、その頭に剣を突き立てようと振るった。
しかし彼は寸でのところで刃を両手で挟み、額から脂汗を流しながらノアに非難の目を向けた。
(……お姉ちゃん)
「ん~?」
騒いでいるノアたちをよそに、アリアは思案顔を浮かべていた。
そんな姉にアリスは頭を抱えており、アリアのコミュニケーション能力の低さに呆れているのか、その姉の頬に触れることは出来ないがツンツン突いていた。
(なにをそんなに考えているの?)
「アリスが死んだとき、一番近くにいたのはあたしだったから思い出してる」
(授業中もずっとそうしてたんじゃないでしょうね?)
「そうだけど――」
アリスはアリアの頭を思い切り引っぱたいた。スパーンと小気味の良い音はならなかったが、痛みがあるのか姉は頭を押さえて膝を丸めて屈んでしまい、小動物のように頬を膨らませて涙目でアリスがいる箇所を見上げてしまうのだが、それがいけなかった。
「あらあらあら」
「え、ノア――」
「はっ、逃げろアリア! 今の殿下はケダモノ――」
「可愛いアリアがこんなところに落ちているわぁ」
「お、落ちてな――」
剣の柄で顎を打ち抜かれた男子生徒が膝から崩れ落ち、白目をむいて口から泡を吹いている姿を目撃したアリアの顔が青白くなっていく。
最早手が付けられないノアに、アリアはアリスに助けを求めるように涙目を向けるのだが、妹は腕を組んでそっぽを向いた。
(授業を真面目に受けないお姉ちゃんは反省しなくちゃね。しばらくノアちゃんに遊ばれておいで)
「は、薄情者ぉ!」
「あらあらアリア、そんなに私と遊びたかったのね。だってそんな可愛い顔してあたしのことを見るんだもの、当然ひん剥いてもいいのよね?」
「どこに何がどうかかっているのよぅ」
ノアに横抱き、いわゆるお姫様抱っこで持ち上げられたアリアの明日はどちらなのか。そんな考えが浮かぶほど殿下の顔は危ういもので、貞操の1つでも持っていかれそうなほどだった。
「ダンテミリオはいますか」
しかし危機的状況に陥ったアリアを救う救世主が如く、彼女を呼ぶ声にアリアは普段なら絶対出ないような大声で返事をした。
「は、は~い! ここ、ここですよぅ!」
「っチ。あらアンメライア先生、ごきげんよう。アリアに何か御用でしょうか? 見てわかる通り傷心の可愛い子です、あまり負担になるようなことは――」
「……あなたは相変わらずですねノア=ルヴィエント、彼女が休学中は静かだったのに、これでまた私の授業が騒がしくなるのですね」
「なにをおっしゃいますか、わたくしはただ、常に友人を気遣っているだけですわ。見てくださいこの可愛らしい細腕、一体何を持ち上げられるのかというほど脆弱で愛らしく、食べちゃいたい――ではなく、それにほら、あの何も考えていなさそうな人畜無害な顔、いつ転んでも仕方がないほど隙だらけ……ああ美味しそう。ではなくって――つまり、私が言いたいのは、力なき民を守るのも王の務めです」
「……最後だけまともなことを言ってももう手遅れなんですよ」
(あちゃあ、ノアちゃん1か月お姉ちゃんと会えなかったから大分暴走してるなぁ)
「たす、助けてアリス」
(ヤだよ、巻き込まれたくないもん)
アリスは涙目の姉を無視して、泡吹いて倒れている男子生徒に近づいてツンツンしていた。
するとアンメライアと呼ばれたこの学園――メイガル学園の教師、アンメライア=イクノスがアリアに近づき、手を差し出した。
「ダンテミリオ、休学明けの課題についての話があります。少し私の研究室に来てもらえますか?」
「はいっ、すぐに!」
「……怯えているではないですか」
「誰に! アリア、怖い人がいたらすぐに私に言うのよ、この私がねじ切って二度とアリアの姿をその瞳に映さないために両目を抉り、それをケツ穴にねじ込んで頭から股下まで槍を突き差して串刺しにしてあげるわ」
「――ひぇ」
王族とも言い難い言葉の数々を放つノアに、アリアもアリスも怯えたような目を向けるのだが、アンメライアがため息をつき、アリアの手をそっと引き、かばうように背中に隠した。
「アンせんせぇ」
「ええ、大丈夫ですからすぐに教室から離れましょう」
「待っていなさいアリア! 不審者は私が捕まえてあげるわ!」
(地獄かな?)
アリスの呟きに応える者は誰もいなかったが、駆けだしたノアを止める者は誰もいなかった。皆怖かったのである、恐怖していた。
あの攻撃的な言葉の数々に。ではない。あの言葉に確かに覚えた強制力、彼女は王族なのだと、自らが住まう国の王なのだと理解してしまったことが一番の恐怖だったのは言うまでもないのだろう。
そんな恐ろしさを心に押し込んで、皆一様にこの事態から目をそらすと、アリアはアンメライアに連れられて教室を出ていくのだった。