その姉と虫退治
「こんなところに1人でいたら危ないじゃない」
「薬草採りに来ただけだよぅ」
アリアへと瞬時に距離を詰めたノアは彼女の頬を両手で揉み、咎めるような視線で言い放った。
すると同じくアリアに近づいたアンメライアが彼女の頭を撫で、隣でノアの言葉にうなずいている。
「赤ちゃんじゃねえんだぞ」
「似たようなものでしょう」
「ええ、出来れば学園から出てほしくはないですね」
(お姉ちゃんか弱すぎて、みんなから要介護対象にされてる)
みんなからの扱いに、アリアは納得できないのか顔を引きつらせるのだが、誰も気にした様子は見せず、アリアはあきらめたように肩をすくませる。
しかしふと彼女の見つめる視線の1つが鋭い物であり、アリアは首を傾げてその視線を追いかけるのだが、そこにいるのはミアベリル=ヴァンガルドで、相変わらず睨みつけていた。
(……? ありゃ、これ睨んでないぞ)
だが、その目つきをじっと見ていたアリスがミアベリルにそっと近づき、彼女の顔を正面からジッと見つめた。
(どっちかっていうと扱いがわからなくて睨むしかないというか、力加減がわからないから力が入っているというか)
「……ノアたちはどうしてここに?」
「え? あ~……アンメライア先生からどうしてもと頼まれてね」
「そこまで頼んではいませんが、まあそういうことにしておきましょう。ルヴィエントとパテンロイド、それとヴァンガルドを護衛として、この湖へと調査に来たんですよ」
「調査?」
アリアは考え込むような仕草をしながら、もう1人の同行者の眼鏡の女生徒に目をやった後、アリスに視線を投げた。
しかしアリスは首を傾げてその女生徒をじっと見つめた。
(え~っと誰だっけ。見たことあるような気がするんだけど、制服の感じから1期生だよね。クラスが違うのかなぁ)
「この辺りで生息圏ではない魔物が目撃されたと彼女――シェリル=ノーブルラントから報告がありまして、それでちょうど暇そうにしていた彼女たちを連れてきたんですよ」
「誰が暇人じゃ! こちとら王族やぞ」
「……その王族がある女生徒が住む旧寮長宿舎棟に忍び込もうとしていたのを発見しましてね」
「誰よそんな不届きな輩は!」
「おめえだおめえ、そのおかげで俺まで駆り出されたんだが」
アンメライアが呆れたような顔でため息をつき、そっとシェリルと紹介した女生徒の背中を押してアリアの正面に立たせた。
「ダンテミリオ、彼女はアリスさんに次ぐ成績次席入学の子で、魔物生態や魔法がもたらす環境についての研究を入学当初から続けていた生徒なんですよ。だからすぐにこの湖の異常に気が付いたようで、それで魔物調査の申請をしてくれたのです」
「……魔物調査?」
「そっ、だからあたしとリュード、それと1期生でまともに戦える、えっと――ヴァンガルドさんで先生たちの護衛をしているってわけなのよ」
「……」
(お姉ちゃん?)
アリアはそっと足元の結晶植物を踏みつぶし、シェリルに目をやった。
「初めましてアリア=ダンテミリオ先輩、シェリル=ノーブルラントと申します。お姿はお見かけしたことはありましたが、こうして言葉を交わすのは初めてですよね」
「ええ、初めましてぇ。もしかしてアリスともお友だちだったですか?」
「いえ、私も彼女と交流を持ちたかったのですが、なかなか機会に恵まれず、それで、待っている内に、その――」
「気にしないでください。よかったらあの子に花でも手向けてあげてください」
(外面お姉ちゃんだ――シェリル、シェリル……あっ、そういえば何度か名前を聞いたことあるかも。先生たちによく比べられたような気がする。でも一度も会ったことなかったんだよねぇ)
「こんなところでノーブルラントがでしゃばるんじゃないっての」
「申し訳ありません殿下、でも気になってしまって」
どうにも知人らしいノアの反応に、アリアはリュードウィスに目をやった。
「あ? ああ、シェリル=ノーブルラント、王宮抱えの魔法使いの家系だよ。優秀な魔法使いを輩出する名家でな、今年はアリスがいたから主席は逃したが、それでも優秀な魔法使いには違いないよ」
「……ふ~ん」
アリアは返事をするとそのまま膝を折って屈み、薬草摘みを再開し始めた。そんな彼女をノアが持ち上げた。
「お手々汚れちゃうでしょ!」
「これ持って帰らないと今日呪文書買えないんだよぅ!」
(生活費って言ってんでしょ!)
「ダンテミリオ、残念ですが今日は帰ったほうが良いですよ。もし未確認の魔物がいるのなら、ここは危険ですし」
「……」
アリアは息を吐くと、しゃがんだまま空を見上げて睨みつける。
それと同時に、微かだが耳を不快な音が通り抜ける。虫の羽音のような音が波のように、風に運ばれてなり続けている。
「……せんせ、それはいいですけれど、ちゃんと聖水持ってきてます?」
「え――」
アリアの視線を追って全員が空を見上げるのだが、そこには青を覆うほどのいくつもの黒点――。
「バグズウィプス、アンデット相手だと、ノアでも厳しいんじゃないです?」
「……ちょっと、あれアンデットの大群?」
「あれで1つの群れだよぅ。こんなところに現れるのは稀だけどねぇ」
「全員退避! すぐにこの場から離脱してください! ルヴィエントはアリアさんを――」
アンメライアが撤退の指示を出し、すぐにこの場から離脱するような隊列になるのだが、シェリルがカバンから液体の入った瓶を取り出し、それを魔法陣と一緒に空に向けた。
「『――』『――』『――――』天を穿て咆哮、邪魔する者は跡形もなく消し飛ばせ『叫びこそ無意味無遠慮』」
シェリルの魔法陣から放たれた不可視の衝撃が瓶と共に空に上がり、バグズウィプスのそばで瓶を破壊した。
瓶の中の液体――聖水がまき散らされ、アンデットを浄化させていく。
「シェリルナイス! こっちにも聖水寄こしなさい!」
「お前が前に出んな! ノーブルラント、こっちにも頼む!」
聖水を受け取ったノアとリュードウィスがそれぞれの武器に聖水を振りかけ、アンデットの魔物に対峙した。
しかしアリアはシェリルのそばで彼女に口を開いた。
「随分と準備が良いのですね?」
「ええ、私が少し調べた時、多分アンデットだと予想できましたので」
「そうですか。素晴らしい魔法使いなのですね」
そうやってシェリルに笑みを浮かべたアリアはゆっくりと後退して、戦闘位置に着いた面々の背中を見ながら魔法陣をそっと展開する。
「『――』『――』『――』『魂を頂きに禁忌を唄う』彼の者は唄う。それは風、魂を凍てつかせるほどに世界を歩み過ぎ去る者――『旅人の踵が鳴らす終焉』」
魔法陣を口元に添え、風に口づけをするように指を離して吐息を吐くアリア、魔法陣から吹く風は天高く上がってアンデットたちを根元から凍えさせる。
ぼとぼとと空中から落ち始めるバグズウィプスにノアたちが驚きを隠せない表情で見つめているのを見届けたアリアは、彼女たちから徐々に距離を取り、そのまま隠れるように前線を離脱するのだった。




