初恋の味は酸っぱい? 辛い?
────カラン、コロン
バイト代が入るのもまだ先だというのに、こうも厳しい残暑が続くと、つい馴染みの喫茶店へ足が向かってしまう。
ふっ‥‥暑さを理由にした。最近なんとなく気になっている娘がいて、喫茶店で会える事を楽しみにしている。
お気に入りのカウンターに、珍しく可愛らしい女性がいた。鍔広の白っぽい麦わら帽子にショートの茶髪と幼い顔立ちを隠す。麦わら帽子には白いリボンがついていて赤い蝶がさくらんぼのように見えた。黄色のワンピースはどちらかというと薄いレモン色。少女の身体つきにピタリとハマっていて、とても似合う。いつもより少し大人びて見える彼女の眩しい姿に、私は見惚れてしまう。
「‥‥店内で帽子はどうかと思うぞ」
なんだか恥ずかしくなってしまい、惚けてしまった感情は飲み込む。そして照れ隠しに、思ったこととは違う言葉を口にする。
「わたしも来たばかりなんだよ」
彼女はハスキー気味な艶っぽい声、そして少し口が悪い。麦わら帽子の下から現れた顔はほんのり化粧をしていて、艶めかしい。ぷっくりした唇も紅く、ドキリとさせられた。
「それにしても⋯⋯珍しいね」
私は指で自分の頬をトントンと指した。可愛らしい唇までお洒落に口紅をしているのを見ると、何となく理由を邪推してしまい、言葉に詰まる。
「まだまだ暑いからね。日焼け止めついでにいつもと違うのを使ってみたの」
彼女はニンマリと、意地の悪そうなの目で私を見る。何となく心の内を読まれたようで悔しい。化粧のせいか、表情一つ変えただけでドキマギする自分の心臓が憎らしく思った。
夏休みが明けても真夏のような暑さが続いている。彼女は夏の在庫セールで安く買ったセットを、暑い内に早く着てみたかっただけのようだ。流行とか気にせずに、しっかりしている。それに少し安堵した。
「季節はずれだけどさ、暑いじゃん。つい買っちゃったよ」
相変わらず迷いなく、サバサバと言う。買い物まで、決断がサッパリしているようだ。こちらとしても、珍しい恰好を拝めるので、嬉しい気持ちを隠す。
「何頼むの? まだホットコーヒーは熱いよ」
夏の間中、からかわれ続けて来たホットコーヒーの注文。理由はこの店の売り──おかわり自由のホットコーヒーのせいだ。貧乏学生の懐も温めてくれる、この店の売り。だが、暑い。涼を求めて喫茶店に入ったというのに、汗だくになりながらホットコーヒーを飲みたくなかった。
「メロンでも苺でもなくて、ブルーハワイのクリームソーダでしょ」
だから心の内を読まないで、と言いたい。以前は定番のメロンのクリームソーダを頼んだ。苺やコーラやコーヒーフロートもある。私の推しは青いサファイアブルーのクリームソーダ。まだまだ空の青さは濃くなる様子がなくて暑いけれど、綺麗なブルーを見ると、それだけで涼しく感じるのだ。
「そっちこそ、どうせレスカだろ」
「そうね、レスカかもねぇ」
何か余裕に返されたのが悔しい。レスカとはレモンスカッシュの事だ。この喫茶店のレモンスカッシュは、シュワシュワ~とした強めの炭酸が楽しめる。生レモンの絞り汁をカクテルメジャーカップに入れ、足りない分をレモン果汁で足す‥‥はず。
「あれ、今日のレスカ、作り方が何か違くないか?」
厨房には珍しく店長さんがいた。丸見えの厨房での作業工程がいつもと違う。レモン果汁ではなく生レモン百パーセント。氷を入れ、炭酸が注ぎ込まれた。不透明なレモンソーダ水の中へ、レモンティなどに使う三日月切りのレモンスライスが数枚沈められてゆく。見るからに酸っぱい。ロングスプーンで軽く混ぜ、ストローが差された。
レモンを八分の一にカットしたものが、グラスの縁に彩られ、バニラアイスにレモンと砂糖と寒天で作って、ジェル状に崩したレモンゼリーが隙間を埋めている。バニラの横にはミントとホイップクリーム。そしてお決まりのチェリーが乗せられていた。
「お待たせしました。レモンのクリームソーダです」
まさにレモン尽くし。鮮やかなレモンイエローの色合いは、真夏の太陽の残滓を搾り採ったようだ。だいたいそんなメニュー、端から端まで見たのだが、表記にはなかったはずだ。
「ほら、ボーっとしてないで、写真撮ってよ」
そう言って持っていた藤カゴのバックから携帯を取り出して、渡して来た。あれ‥‥彼女も携帯買ったのか。レトロな喫茶店の雰囲気に、麦わら帽子の黄色いワンピースの彼女と、レモンクリームソーダが色鮮やかに映える。カウンター席は、バーカウンターの椅子の高さがあるため、横合いから撮ると様になるのだ。
「まさか、このために黄色のワンピースを買ったの?」
そんなわけないが、メニューにないレモンクリームソーダまで出て来たせいで、私は動揺し混乱した。
「試作品を試して欲しいって言われたからさ、ついでだよ」
彼女は前にもこの麦わらとワンピースのセットで店に来たらしい。帽子がアイスとチェリー、服はレモンに見えるから、店長も刺激されたのかも。
「ついでに服を着て来るんかい。こっちも撮らせてもらっていいか?」
「えーーっ、いいよ。可愛く撮ってよ?」
どさくさにまぎれて、私は自分の携帯のカメラで、彼女を画像に収めるチャンスをものにした。
同じ構図で一枚、クリームソーダをストローで吸いながらあざと可愛く目線を向けて一枚、続いてレモンを半かじりに色っぽく一枚⋯⋯
⋯⋯本格的なカメラが欲しくなるくらい、たくさん撮れた。いや、撮らされた。いいのだろうか。携帯は買って正解だったよ。
試作品は店長オリジナルの気まぐれレシピなので名はない。彼女の要望で、レモンクリームソーダが裏メニューとして決まったのだ。ちなみにお値段はパフェと同じ。ただし期間限定というか、近所のスーパーでレモン大量入荷時限定。
恒例になった一口交換。レモンクリームソーダは、甘酸っぱくて美味しかった。何気なく味見と言って、互いの頼んだものを交換していたけれど‥‥これって間接キス? いまさらながら照れてしまう。
「ほら、そういうとこだよ」
「?」
何がそういうとこだったのだろうか、その時はわからなかった。強烈な印象を残した彼女の姿は、それからしばらく喫茶店で見かける事がなかった。
いつでもここへ来れば会えるような気がして、連絡先を交換していなかった自分の奥手ぶりを後悔する。学生同士だから、たまたま会えただけだったのに。
銀杏並木は紅葉の季節になった。学生だった私は、それからも喫茶店に通う。会いたい、そう思うとなかなか会えない癖の強い常連客達とは顔を合わせるのに、彼女の姿だけはそこになかった⋯⋯。
秋の深まって来たある日、私はいつものように喫茶店へと向かった。日が暮れるのが早くなったのもあるが、いつもより遅い時間で街はすっかり暗くなっていた。涼しさも増し、夕方以降は冷える。ホットコーヒーが気兼ねなく頼みやすくなったのが嬉しくて、つい寄ってしまったのだ。
「いらっしゃいませ〜〜」
聞き慣れた声の‥‥聞き慣れない店員の挨拶の声がした。ショートヘアの茶髪、白のシャツに黒のエプロンをつけたハスキーボイスの彼女がいた。
私は店の入り口で固まってしまった。軽いパニックになっていた。
「そこ、邪魔ですからお好きな席にどうぞ」
接客中なのに、以前の気心知れた距離感。肘で背中を押され、貸切状態の店内で、空いているカウンターに座らされた。
「な、なんでいるんだよ?」
いつからとか、どうしてとか、疑問と久しぶりに会えた喜びの感情がごちゃ混ぜになる。聞きたい事はたくさんあるのに、出てきた言葉が残念過ぎる‥‥。
「バイトに決まってるじゃん。週三日、夕方からだけなんだよね」
姿を見なくなったのは単純に学業が忙しく、バイトも始めたからだった。
「どうせ、ホットでしょ?」
晩御飯かわりに何か頼むかもしれないのに、決めつけられた。うぅ、どうせそうなのが悔しい。お水と温かいおしぼりを運んで来てくれた彼女は、働いているせいか、前より声のテンションが高い気がした。
「新しいコーヒー落とすから待てる?」
私は頷く。この時間になると客はあまり来ないらしい。私もこの時間に訪れたのは数えるまでもない回数だ。
働いてる彼女に話しかけるのは悪い気がして、コーヒーの出来るまでのんびりと待つ。あまり見ると涙腺が緩くなりそうで、店内に置かれた新聞を取り気持ちを落ち着ける。
他に客もいないのに、彼女は厨房スタッフと交代して、何やら作業を始めた。レモンスカッシュに使うグラスを取り出す。休憩でもするのかな?
私はレモンのクリームソーダも思い出す。ほんのひと月半くらい前の事なのに、彼女の可愛いらしい麦わら帽子と黄色いワンピース姿は目に焼き付いている。携帯の待ち受けで毎日拝んでいるのだから当たり前だ。
普段は読まない新聞を眺めるふりをして、様子を覗う。手に持つゴツいのは新生姜かな。ある程度処理された生姜をスライスして、ミキサーに投入する。レモン汁とはちみつを入れドロドロにしていた。
グラスには氷を入れ、ロングスプーンと、ストローを差し、ドロドロの液体を入れる。ジンジャーエールの瓶の栓を抜き、泡立つのを収めながら注ぐ。
チラッとこちらを覗うのでサッと目を逸らす。彼女は視線を手元に戻し、アイスクリームを浮かべてホイップを少し搾り、シナモンを軽く振る。最後におなじみのチェリーを乗せるのが見えた。
「コーヒーしか頼まない貧乏学生に、わたしからの奢りだよ。どうぞ召し上がれ」
新生姜のジンジャーエール。ジンジャーエールというと某メーカーのジンジャーエールが有名で、色はシャンパンゴールドの液体を想像する。これは新生姜の分、グラスの底が少し濁っているが、クリームソーダとしては変わっていて綺麗だ。
「辛い⋯⋯生姜多くないか。あと寒いって」
「えぇ~、一所懸命作ったのに酷い」
「味見は?」
「してない。一口もらうし」
そう言って彼女は一口どころか、生姜部分を無視し、アイスクリームとジンジャーの溶け出した部分をパクパク食べ出した。
「季節感は余計だったね。寒さのあとに飲むコーヒーは格別だよ?」
そういって彼女は、新しく淹れたコーヒーを私に持って来てくれた。自分の分と、厨房スタッフの分も淹れ、おかわり用の新しいコーヒーを淹れ直す。
冷たいジンジャーエールのクリームソーダ。辛いけれど甘くて、寒いのに暖かい。
「あっ、せっかく作ったのに写真撮り忘れたよ」
アイスクリームを半分以上食べた彼女が笑う。仕事しないでいいのかよ‥‥そうツッコミたい。でもその前に言う事がある。
「携帯持っていたんならさ、連絡先交換しようよ」
彼女とまた会えたのなら、携帯がなくても連絡手段を聞くつもりだった。バイトしている間はいつだって会える。でもいつまでも会えるかはわからない。
連絡先を交換する理由⋯⋯察しの良い彼女なら、私の気持ちがわかるはずだ。
「いまさら‥‥遅いよぉ」
彼女が泣いた。そうだよ、こんな可愛い彼女を周りが放っておくわけがない。とっくに取られてしまったのか、私はそう思った。
甘酸っぱいレモンクリームソーダの初恋の味と、辛いジンジャーエールクリームソーダの失恋の味。
私も泣きたくなった。
「この鈍ちんが! 初めて会った時からわたしはとっくに‥‥」
────カラン、コロン
彼女が何か言いかけた時に、他のお客さんの来店を告げる鐘が鳴る。
「いらっしゃいませ!」
涙ぐむ彼女は、接客のプロらしく元気に挨拶していた。お客さんを案内した後、動揺する私の席に近寄りチェリーをひょいパクする。
「あっ?!」
「はたひのはひひょうもひぇはそんだびゃつよ」
さくらんぼのように真っ赤にしながら、わざとチェリーを口に含んで何か呟く。しかもテーブルの携帯まで持っていってしまった。素早かったので止める間がなかった。
「あとで返せよ」
仕事に戻る彼女にそれだけ伝える。来客に注文されたコーヒーを運んだ後、彼女はさっきよりも顔を赤らめながら携帯を返してくれた。
「連絡先、わたしも入れたからね」
なんか勝手に怒っているというか拗ねてる? そう言えば携帯の待機画面は彼女の姿だったの忘れてた。
「画面消す?」
「そのままでいいよ」
「それって⋯⋯」
急に身体が熱くなって来た。生姜のせいか、ホットコーヒーのせい?
連絡先は交換出来たが、私も彼女もはっきりした気持ちは伝えていない。
きっと二人とも、卒業までは甘酸っぱい関係を楽しみたかったからだ。
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