1話
小さい頃の朧げな記憶。
昔住んでいた田舎の公園で出会った可愛い子。
「雅人くんは僕が護ってあげるね?だから…ずっと
これからは一緒だよ?」
「うん。」
「何があっても、絶対に一緒だからね」
頭の中で今日も聞こえて来るあの時の声だけがどう
にも消えない。
顔も今では覚えてさえいない。
それなのに、声だけがずっと耳に残っていた。
「雅人坊ちゃん、そろそろ起きてください。食事の
時間がなくなりますよ?」
「ありがとう。起きてるよ。今行く」
この大きな屋敷には数人のお手伝いさんが一緒に暮
らしている。
霧島雅人。
彼は霧島家次男だった。
まだ小学校の頃だろうか。
いきなり包丁を持って切りかかった実の母によって
殺されかけた事があった。
その時の記憶は曖昧で実は全く覚えていない。
何かの拍子に血に染まった母はいきなり奇声を発し
ながら3階の窓から勢いよく飛び降りたのだ。
その時を知るお手伝いさんはもう、数名しか残って
いない。
起こしにきた彼女もその一人だ。
そんな大事になったにも関わらず、父、直人はすぐ
に新しい母を用意したのだった。
まだ若く、綺麗な人だった。
見た目だけは……。
「お母さん…?」
「ちょっとぉ〜嫌よもう。お母さんなんて呼ばない
でよ。私、こんな大きな子供産んでないもの」
兄は黙って距離をとり、雅人はまだ理解できていな
かった。
父に引き取られてこの屋敷にくる前は田舎の方で母
と暮らしていた。
その時は優しく、大好きだった。
兄も母に懐いていた。
だが、父に引き取られ金持ちになると、兄の態度は
一変した。
母さえも、雅人に構わなくなった。
家で孤立した矢先の出来事だった。
いきなり母親を亡くし、すぐに現れた若い母親。
その事実に雅人はついていけなかった。
「ちょっと、何よ?こっち見ないで、鬱陶しい」
「……」
ただ黙って部屋に蹲った。
中学に上がると溝は余計に深まっていったのだった。
そして今日、久しぶりに父の直人が日本に帰ってくる。
義理母は慌ただしく着飾って忙しそうだった。
義理母は店での名前をキャサリンという。
それ以外の情報を雅人は知らないし、言わないので聞
きもしない。
家族間で、無用な会話はしない。
それが暗黙のルールのようになっていた。
すると、玄関がざわついた。
キャサリンが出迎えると、抱きついていた。
「お帰りなさいダーリン」
「ただいま、息子達は元気かい?」
「えぇ、もちろんよ」
会話というより、体に聞いているような気がする。
キャサリンを抱きしめると食事会が始まる。
父、直人の右横にキャサリン。
左横には兄の永人が座った。
その兄の横に雅人は腰を下ろした。
「永人、もうすぐ高校だが、成績の方はどうなんだ?」
「もちろん、バッチリだよ。父さんの言っていた通
りに余裕で入れそうだよ」
「そうか、なら心配いらないな。キャサリンがよく
面倒を見てくれているおかげだな。雅人、お前は
どうだ?」
「……僕は……………」
何も言えなかった。
学校でも、友人という友人も作れず、ただ作業のよう
に学校へ行くだけの毎日。
家庭教師がついているが、成績は上の中くらいだ。
父が期待しているような大学にはいけないだろう。
まだ高校に入ったばかりなので、そこまで期待されて
も困るのだ。
「なんだ?答えられないのか?キャサリン、雅人の学力
はどうなっている?君がついていながら疎かにしてい
るわけではないのだろう?私は代わりに妻を見つけな
ければならないのか?」
「違うわ。ちょっと貴方がいるから緊張しているだけよ!
とっても優秀なのよ?友人だっていっぱいいるし、結構
この子ったら皆から尊敬されてるのよ〜」
誤魔化すような苦笑いに、雅人といえど嫌気がさす。
面倒など見ていないし、話すことすら毛嫌いしている。
それのどこが、子供の事を知っているのだろう。
結局その夜はキャサリンと熱い夜を過ごし、朝には出ていっ
たのだった。