[3/3] 育ててみるのも悪くない
八番街の噴水広場。
約束の半刻前に到着したイグナスは、繰り返し溜息をついた。
――まさか呼び出されるとは思わなかった。
本音を言うと断りたいところだったが、そこはステラ、さすがの駆け引き上手である。
昨夜の手紙に急ぎ返信をしたとしても、一度オラロフ公爵邸内の確認を経るため、ステラの手元へ届くのは最短で翌日の昼頃。
――指定の待合せ日時迄に、返事が間に合わないのだ。
行かなければ待ちぼうけで、ずっと待たせてしまう事になるため、止むを得ず行かざるを得ない。
どうしよう、誤魔化すか正直に言って謝るか。
再び溜息をつくと、豪奢な馬車が横付けにされ、エスコートを受けながらステラが降りてきた。
「あら? イグナス様、こんな所で奇遇ですね。どなたかと待ち合わせですか?」
花束を持って俯き押し黙るイグナスに気付き、ステラは声を掛ける。
「私も丁度ここで待ち合わせなんです。……ああ、もしかして待ち人の代理でいらっしゃったんですか?」
それならそうと言ってくださればいいのにと微笑むステラに、イグナスはキュッと下唇を噛み締めた。
一瞬躊躇う素振りを見せたイグナスだが、意を決したようにステラへと向き合い、無言で花束を差し出す。
「頂いて宜しいのですか? ……ありがとうございます」
嬉しそうに微笑み、無邪気に礼を言うステラ。
別人の振りをしてこの子を騙していたんだと思うと、イグナスは胃がしくしくと痛み、泣きそうに瞳が潤む。
「あの……ッ」
「はい、なんでしょう?」
「あの……その、『代理』じゃ、ないんだ」
唇を噛み締めながら、覚悟を決めて打ち明けたイグナスに、ステラは目を瞠り……しばらく無言で見つめた後、小さく、ふぅと息を吐いた。
「……差支えなければ近くにうちが経営するお店がありますので、ご一緒に如何ですか?」
さぁ、どうぞ。
それだけ言うと、ステラが乗ってきたオラロフ公爵家の馬車に乗るよう促され、件のお店へと移動する。
馬車の中は終始無言。
イグナスは度々ステラを見遣るが、まったく視線を合わせてはくれなかった。
しばらく馬車に揺られていると、お忍びで来る貴族用なのだろうか、人目に付かない裏口に馬車を横付けし、ステラとイグナスは店へと入る。
そのまま二階へ上がると、商談用の応接ソファーに座るよう示唆され、おずおずと腰を掛けた。
広い個室に二人きり。
多少居心地の悪さを感じながら静かに座っていると、ステラが何やら指示を出し、従業員がワゴンを押して入室する。
「……え? 酒?」
そろりと目の端に捉えたワゴンの上には、種々色取取のボトルが並ぶ。
ステラが手ずから氷を入れ、とぽとぽ、と音を立ててグラスを満たしていく飴色の液体は、度数五十度にも及ぶ蒸留酒。
なみなみと注がれたグラスを前に、イグナスは言葉を失った。
「今ここは、人払いをしてあります。……お話の内容如何では、取り乱してしまうかもしれません。さらに申し上げますと、素面のまま最後まで冷静を保てる自信もございません」
酒気を帯びて少し気が大きくなるくらいのほうが、良いでしょう? とステラは微笑み、二人は乾杯の合図に無言でグラスを傾け、喉が焼ける程強い酒を飲み干した。
二杯目の酒は、イグナスが注ぐ。
「……誤魔化す気はない。宛先不明の手紙……差出人は、この僕だ」
ちびりと濡らす程度に舌を湿らせ、イグナスが懺悔すると、ステラは足を組んでソファーに深く座り直し、横柄にふんぞり返った。
「先の夜会でステラ嬢が書いた手紙……あの条件を満たせず鼻で笑われたことが悔しくて、ほんの出来心で返事を書いた」
最初は、少し揶揄ってやろうと思っただけ。
「女性と密に手紙を遣り取りするなど初めてで、段々楽しくなってしまって……ステラ嬢が普段どれほど頑張っているかを知りもせず、ただ対抗心でやった事を今は恥じている」
申し訳ないと頭を下げるイグナスに、ステラは少し驚いたように佇まいを正した。
「最初の一通目は揶揄う為に書いたけど、ステラ嬢の手紙を読んで自分自身思うところがあり、二通目からは本心からの返事だ」
一通目は偽りの恋心を、二通目からは近況とステラを励ます心からの言葉を。
「君がどんなに頑張っているかを思い知るにつれ、『日々努力を怠らず、邁進せよ』との言葉が身に染み、今は反省している。本当に申し訳なかった」
深々と頭を下げるイグナスに、ステラは少し考えるように口を開いた。
「二通目からは、嘘じゃなかった……?」
「……嘘じゃない。誓ってもいい」
イグナスは眉毛をハの字に下げ、終始申し訳無さそうに三杯目の酒を注ぐと、ステラはあっという間にグラスを空にした。
「え、ちょっとステラ嬢、ペース早くない?」
思わず本音が零れたイグナスをギリッと睨んだステラが、三杯目を飲み干すよう顎で促し、イグナスもグラスを空にする。
胃が燃えるように熱くなり、心無しかふわふわと良い気分で満たされた。
どうせなら四杯目は美味いワインをと、イグナスはワイングラスを二つ手に取る。
片手でボトルを傾け、香りを損なわないよう空間を多めに残しながら、ステラのワイングラスに緩々と注ぐ。
捻るようにボトルを起こすと、自分のワイングラスにも同様に注いだ。
イグナスが途中から決して揶揄っていた訳ではないと知り、多少留飲を下げたステラはお酒も入り、少しずつ饒舌になる。
「そういえば、自分で書いた手紙の中身をまったく覚えていないのですが、どんな内容だったのですか?」
すっかり気分も落ち着き、元気を取り戻したステラが尋ねるので、「一年後の設定らしい」と前置きし例の手紙を手渡した。
** 大陸一の美男子で、頭も性格も良く、
** 優しくて背が高い私の王子様へ。
** 武術大会の優勝おめでとうございます。
** 包容力があって、口癖は『だめだな、お前は』
** ……あ、やっぱり『困った子だな』にします。
** 大きな手で頭をポンポンし、眉尻を下げて
** 少し困ったように微笑む貴方。
** アレク様にポンポンされてみたい。
「……これを、私が?」
ミミズがのたうち回った様な、残念な文字で書かれた手紙。
最後の一行はただの願望なので、無かった事にする。
「これを、イグナス様は自分に宛てた手紙だと?」
貴女から私に宛てた手紙ではないかと推察し……と、図々しくもイグナスは一通目に書いた。
自分の事はすっかり棚に上げ、「王子様ねぇ?」と呆れたように呟くと、ステラは徐にその手紙を破いた。
ビリビリと破き、また重ねてビリビリと……小さく細切れた破片を、紙吹雪のようにぱぁっと宙へ舞わせたステラは五杯目の酒を呷り、何を思ったかイグナスの横へと移動する。
「!?」
今度は何だと固くなるイグナスを、またしても酩酊しかけているのか、微妙に焦点の合わない瞳で見つめるステラ。
「最初の動機はともかく……手紙、本当は凄く嬉しくていつも励まされていたの」
ほんのり顔を上気させ見定めるような視線を向けながら、ぺろりと唇を舌で濡らすステラの言葉に、イグナスは嬉しさを感じつつも嫌な予感がして後退る。
「んー、過ちを認める実直さに、及第点の包容力。深い見識に、釣り合う身分……確かに将来は有望。伸びしろは大いに有りそうなのよねぇ」
先日の交渉事で円滑にコトが進んだのは、イグナスのお陰と言っても過言ではない。
そのまま細い腕を伸ばすと、イグナスを閉じ込めるようにソファーに手を突いた。
「欲しい逸材ではあるわね……いっその事、育ててみる?」
幼い頃から大人と一緒に過ごす事の多かったステラは、何を隠そう耳年増……聞きかじった知識だけは人一倍豊富である。
ぐぐっと顔を近付けられ、同じく酒の回っているイグナスは顔を真っ赤にして、遮るように手で防ぐ。
「ま、待て、待て待てステラ嬢! おち、落ち着け! 自分をもっと大事にしなきゃ駄目だ」
わーわーと恥ずかしそうに騒ぐイグナスに、ほんのりと嗜虐心をくすぐられたのか、顔を背けた隙にその頬へと口付けた。
「うわーーーッ! 何をするんだ君は!? もう飲むな、正気に戻れ」
「この程度で酔うとでも? ふふふ……因みにイグナス様、あと一手あれば文句無しなのですが、医学の知識はおありですか?」
「勿論だろう。医師免許もそのうち取る予定だ! だがそれが何だ!? いいから一度離れてくれ」
仮にも公爵令嬢ともあろう者が、何て如何わしい……ふしだらな真似をするなと、ステラの両腕に閉じ込められたイグナスは、わたわたと狼狽えている。
「イグナス様……私実は今回開いた航路を使い、ニ十歳になったら自分の商会を立ち上げ、販路を拡大したいと思っていたんです」
まだ誰にも言っていないので内緒ですよ、と顔を近付けて、そっと囁く。
「海に詳しく、頼れる船上医がいれば最高だな……と、そう思っていたところなんです」
ニッコリと微笑むステラ。
「イグナス様、お手紙を拾ってくださり、ありがとうございます。我が王国の法律では、拾得者は逸失者に、一割の報労金を請求する権利があるはずです。……今からお渡しします」
「~~!? いっ、いらない! いや待て何を渡すつもりだ!? 請求するかしないかは拾得者の判断に委ねられているはずだろう! けっ、権利を放棄します」
汗だくで涙ぐむイグナスに、ちゅ、と小鳥が啄むようなキスをする。
「あら、ごめんなさい。一部を受け取ってしまったら、受諾したと見做されて放棄は出来ないんだったわ」
「~~~~!?」
うっかりしてたわ、と嘯きステラが腕に力を籠めると、革張りのソファーがギシッ、と音を立てる。
なおも首を横に振るイグナスの頭をポンポンと軽く叩き、「困った子ね……あ、自分で言うのもなかなか良いわね」とステラは独り言ちた。
「大丈夫、イグナス様は将来有望……何も心配ありません。勿論ご自身での成長に期待もしますが、私が育てて差し上げます」
イグナスに、またしても柔らかい唇が落ちてくる。
勝気だけど、弱さを見せず人知れず頑張る公爵令嬢、ステラ・オラロフ。
仕方ない。心惹かれていたのを認めよう。
だって今、本当はすごく嬉しい。
観念して……でも恥ずかしくて堪らないイグナスは、薄目を開けてステラを見つめる。
男としてはちょっとアレだけど……勉強する範囲を少し拡げ、次回はリード出来るよう頑張ろう。
イグナスはステラの細い腰を慣れない手つきで抱き寄せると、恥ずかしそうに笑い、今度は自分からキスをした。
***
一週間後。
イグナスはオラロフ家に婚約を申入れ、宛先不明の手紙から始まった縁は、幸せな形で決着した……のだが。
「ステラ、愛してるよ」
さらりと腰を抱き、頬に口付けるイグナス。
年下の困った子は勤勉にも、その後種々様々な手管を書物で学び、残念ながらあの時の可愛さを失いつつあるが、これも悪くない。
頭を撫でられ、幸せ一杯のステラは今日もまたイグナスとともに、強い酒を飲み交わすのだった。
目を留めていただき、ありがとうございました。
[ 婚約者探しの夜会で『適当に』出会いのハンカチを渡した騎士様が、後日領地へ押しかけ求婚してきた ]の【番外編】イグナス × ステラです。
※別建てのほうが本編が綺麗にまとまったため、3話完結として別投降させていただきました。
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