[2/3] 知らなかった沢山の事
飲みすぎて頭が痛い……。
翌日、ステラは二日酔いで痛む頭に悩まされながら、一通の手紙を受け取った。
裏返すと、赤い封蝋印はあるものの肝心の家紋が押されていない。
「……どなたからでしょう?」
「ラーゲル公爵家に準ずる身元の確かな方と伺っていますが、差出人の希望により、名前は秘されております」
「……?」
手紙を持参した執事からよく分からない説明をされ、恐る恐る封書を開けると、手の平ほどの便箋に美しい文字で、こう書かれていた。
* 昨夜は楽しい一時をありがとうございました。
* あの後偶然手紙を拾い、失礼ながら拝読した処
* 貴女から私に宛てた手紙ではないかと推察し、
* こうやって返事を認めています。
* 故あって名前は明かせませんが、
* 貴女に恋焦がれ、想いに枕を濡らす一人です。
「もしお許しいただけるのなら、手紙を交わしたく……えええ、誰なの!?」
誰になんの手紙を書いたかも覚えていないが、そもそも名前も分からない方にどうやって返事を出せばいいの?
そう思って執事を見ると、「お返事が頂ける場合は、私を通すよう仰せつかっています」と安心させるように頷いた。
当然父であるオラロフ公爵の許可のもとに届けられている手紙なので、身元は確かなようだが……。
どんな方なのかしらとワクワクしながら何度か目を通すと、「ちょっと待っていなさい」と執事に命じ、少し酒の残った頭で早速返事を書くステラ。
かくして、名も知らぬ差出人との文通が始まったのである――――。
***
二日と日を置かず届くその手紙は、少しずつ忙しいステラの日常を満たしていった。
交渉事が得意なステラは、オラロフ公爵家が持つ『ドラグム商会』を手伝う事も多い。
大陸を跨ぐ国内随一の商会が扱う商品は多岐に渡り、交易部門を担当するステラは他国の取引先と交渉に当たる事も多く、商談を纏める手腕は大人顔負けである。
だがその一方で、やはり貴族社会は男性上位。
王国の四大公爵家とはいえ、女性であるステラが交渉の席に着くことを良しとしない者達も依然多い。
** 今日はサルード王国の商団が来訪しました。
** 男性上位の男社会、未だ女性には敷居が高く
** 日々苦しく、夜中に目が覚める事もあります。
いつもは勝気なステラだが、相手が見えないからこそ言える悩みもある。
誰にも言えない心の内を吐き出す場として、その手紙は大いに役立ち、そして彼女が唯一弱音を吐ける場所となっていった。
* 君ならきっと出来るから、心配せずとも大丈夫。
* 泣き顔を見せず、人知れず頑張る君を知る度
* 傍で慰めてあげられたらと心から思います。
ステラは寝台に仰向けになりながら、今日の手紙を読み終えると、そっと胸の上に置いた。
いつも手の平サイズの便箋で届く、数行のメッセージ。
そのどれもが温かく、優しさに満ちていて、苦しい時に読むと涙がにじむ。
「名前を明かせないって事は、結婚されている方なのかな……」
ラーゲル公爵邸の夜会では、途中から泥酔してしまったため、誰と何を話したかも覚えていない。
ましてや手紙も……自分で書いた内容すら記憶にないのだ。
「あーあ」
親友の婚約が次々に決まる中、自分は顔も名前も知らない……実る見込みが無さそうなこの手紙の差出人に、心惹かれてしまった。
はぁ、と溜息をつき寝返りを打つと、窓の外に大きな丸い月が見えた。
***
「こんなに忙しいのか……」
一方、仕返しをしてやろうと軽い気持ちで始めた文通だったが、いつの間にか楽しくなって、ステラに返事を送ることが日課となったイグナス。
ステラの近況を読むにつれ、彼女が如何に忙しく、儘ならない男社会に歯を食い縛りながら、重い業務を日々こなしているかを思い知る。
家門から学者を多数輩出しているラーゲル公爵家。
例に漏れずイグナスもまた、日夜学び研究に精を出してはいるが、ステラのように対人ではないため、気苦労と言っても高々知れている。
泥酔したステラに、『日々努力を怠らず、邁進してください』と言われた理由が、今なら分かる。
「……日々苦しく、夜中に目が覚める事もあります、か」
もっと早くに身分を明かしていれば、もしかしたら直接話を聞いて、力になれる事があったかもしれない。
二歳年下の自分であっても、慰めになるくらいなら出来たかもしれないのに。
「あーあ、なんでこんな事しちゃったかな……」
ちょっとした対抗心でやった事なのに、見えなかったものが見えて来るにつれ、自分の浅はかさが浮き彫りになり、最早後悔しかない。
はぁ、と溜息をつき外を見遣ると、大きな丸い月が煌々と輝いていた。
***
ラーゲル公爵家は様々な専門家集団を抱えており、真贋の鑑定や鉱物の調査等、その場で判断が必要な場合に、『ドラグム商会』の要請を受けて現場に行く事も多い。
サルード王国の商団と新しい航路を開くため、オラロフ公爵家を代表してステラが交渉の席に着く。
そして新しい航路を開くにあたり、海図の再確認や補給物資の供給等、安全な航海を期すための助言をすべく、海洋に詳しいイグナスもまたその場に呼ばれていた。
これまでステラと仕事をすることは数える程だったが、緩急付けた巧みな交渉術と、ギリギリのラインを見極めるその手腕に驚かされる。
イグナスはそれを影から支えるように、技術的な助言が必要な場面では適宜合いの手を入れ、ステラが相手のペースに吞み込まれないよう助け舟を出してあげた。
「イグナス様、ありがとうございます」
小声でお礼を言うステラがなんだかとても可愛く見えて、イグナスは困ったように小さく頷く。
無事交渉を終え、それぞれ代表者が記名をした契約書に、イグナスもまた最終立会人として日付を記載し自署すると、ステラがその場にいた皆に見えるよう掲げ、契約締結の宣言をした。
「それでは本日今この時を以て契約を締結し、明後日を本契約の効力発生日とします」
交渉開始時は女と侮り、驕傲な態度を取っていたサルード王国の商団長も、ステラを認めたのか柔和な態度に変わる。
前日まで度々目が覚めるほど悩み苦しんでいたが、見事打ち勝ち、やり遂げたステラが余りにも眩しくて、イグナスは目が離せなかった。
すべてが順調に終わったかに見えた本会議。
イグナスは気付かなかった。
――最終立会人の署名欄に目を留め、ステラの顔が一瞬強張ったことに。
***
二日後の夜――――。
これまでと同様、執事を通してステラから、一通の手紙が届いた。
** 手紙を書くのは、これで最後にします。
** 短い間でしたが、貴方の言葉に励まされ、
** 何度勇気付けられたか分かりません。
** 願わくば最後にお会いしたく、明日の正午
** 八番街の噴水広場にて、お待ちしています。