[1/3] 欲望まみれの妄想手紙
公爵令嬢ステラ・オラロフは、酒を片手に天を仰いだ。
百年以上の歴史を持つ天井画。
当時の姿をそのままに、色鮮やかにが描かれた女神の世界は一点の曇りもなく美しく、ステラを別世界へと誘ってくれる。
「さすがはラーゲル公爵家……なかなかのものだわ」
ラーゲル公爵家主催の夜会は、宴もたけなわ。
気付くといつも一緒にいる親友は誰もおらず、ステラは一人ぼっちで壁の花になっていた。
強い酒を喉へと流し込み、再び天井画を見上げると、ぐるぐると女神が動き微笑む。
「素晴らしいわ。まさか天井画が動き出すなんて……まるで星々が落ちてくるよう」
「ステラ、大丈夫か? お前は何を言って……うわっ、顔が真っ赤じゃないか」
ふらりふらりと揺れ出したステラを目に留め、慌てて駆け寄ってきた兄のキールに、ひょいと抱きかかえられる。
「あんな状態で一人でいたら、何があるか分からないぞ? お前はもう少し危機感を持ったほうがいい」
小さめの客室を休憩室として開放してもらい、泥酔してぐったりとソファーにもたれかかるステラの隣に腰掛け、まったく何をやっているんだとキールが小言を言った。
「……危機感? そんなもの、先程一人でお酒を飲んでいた時も、話しかけてくる男性すらいませんでした。何の心配もございません」
何をおっしゃいますやらと、据わった目で反論するステラ。
……話しかけたい令息は実は沢山いた。
だが、強い酒を浴びるように飲みながら、天井画に向かってブツブツと独り言を言うステラに、声を掛けるのを逡巡していただけである。
「それに、お兄様。私先程、天井画を見ていて天啓を得たのです」
「は? 天啓?」
ベロベロの回らない舌で世迷いごとを言い始めた公爵令嬢ステラ・オラロフは、テーブルの上にあったメモ用の紙とペンを手元に引き寄せ、そのままインク瓶にペン先を浸すと、徐に何かを書き始めた。
「女神様が微笑み未来の旦那様がこう、頭に浮かんで……お手紙を認めれば汝幸せを与えられん、と」
まだ見ぬ旦那様に書く手紙だから、一年後くらいの設定がいいわね、と呟くと、泥酔しているせいか、ふらふらと頭が揺れる。
そんなバカなとその様子に顔を顰めながら、今夜のホストであるラーゲル公爵家次男、イグナスが部屋に入ってきた。
給仕係から水を受け取ると、「好きに設定が出来るなんて便利な『天啓』ですね」と、作業に没頭するステラを呆れ顔で見つめながら憎まれ口を叩く。
ステラよりも二歳年下のイグナスは、物心付いた時から家門同士で交流のある弟分。酔っぱらいは見守るに限ると、独り言ちる。
「ええと、大陸一の美男子で、頭も性格も良く、優しくて背が高い私の王子様へ」
あ、これは比喩ではなく本物の王子様ね!
ご機嫌で解説するステラのとんでもない一行目に、見守っていたイグナスが紅茶を噴き出した。
「公爵令息ともあろうお方が、何たる無作法。……まぁいいわ、そうそう、逞しい方が良いわね。武術大会の優勝おめでとうございますっと」
残念ながら我が国に武術大会は存在しない。
一体どこの国の王子様なんだと、キールが溜息をつく。
「お兄様、楽しい気分が害されますので溜息は禁止です。そうねぇ、包容力があって、口癖は『だめだな、お前は』……困ったように微笑む、とかどうかしら」
うふふ、最高だわと笑いながら、書き足していく。
酒が回りすぎて最早焦点が合っていない状態のため、文字も段々崩れてくるが、ステラはまったく気にしない。
「あ、でも待って『困った子だな』のほうがいいかしら? そうなると年上ね。眉尻を下げて、少し困ったように笑うのよ! 大きな手で頭をポンポンしてくれたら言う事無しだわ!」
自分で書いて、素敵! と悶絶し始めるステラ。
二人の公爵令息は、死んだ魚のような目で見守っている。
と、そこへ元騎士団長のルークがやってきて、心配そうに部屋を覗き込んだ。
「かなり飲んだようだがステラは大丈夫か?」
駄目です、この有様ですとイグナスが答えると、ステラが手招きをした。
「ルーク様、こちらへどうぞ。……私の頭をポンポンしながら、『困った子だな』と仰ってください」
「は?」
ルークは言われるがままステラの元へ歩み寄り、頭をポンポンしながら「困った子だな」と声を掛けると、ステラは噛み締めるように目を閉じ、「ああ、いいわね、これです」と呟いた。
「……中々良いです。ルーク様は頭が少々悪そうですが、その他条件は大体満たしております。今後も精進なさってください」
「はぁっ!?」
心配して来てみたらなんなんだと、文句を言いながら部屋を後にするルーク。
上から目線の公爵令嬢は、次にキールへと視線を向けた。
「はい、次はお兄様」
「うえぇっ!? 僕もやるの!?」
感想が怖いなぁと呟きながら、同様に声を掛けると、ステラはまた目を閉じ、「ああ、なるほど」と呟いた。
「悪くはありません。ですがこう……手の大きさのせいですかね? なんかこうルーク様に比べると安心感が足りません。殴られたら、一撃で吹き飛んでしまいそうな弱々しさが否めませんが、好い線は行っています。諦めず頑張ってください」
いやだから、お前は何目線なんだと、頬を引き攣らせるキール。
「次は誰にしようかな……アレク様とかも良いわね。あのレベルであれば諸条件はオマケします。ポンポンされてみたいです」
貴族令嬢がこぞって憧れる宰相補佐アレク・ゴードン。
想像したのかご満悦で、『アレク様にポンポンされてみたい』と追記するステラ。
結局最初の条件は何だったんだと、イグナスが白い目で見ていると、「最後にイグナス様です!」とステラが声を掛けた。
二人兄弟の次男イグナス。
弱冠十六歳と若いが、王立学園在籍中に発表した学術論文が認められ、博士号を得た程の秀才である。
だが、如何せん勉強ばかりしていたため、年頃の女性と触れ合う機会など滅多にない。
幼い頃から接しているステラであってもやはり意識してしまうのか、顔を赤くしながら恐々と頭を撫で、聞き取れない程の小さな声で「困った子だな」と呟いた。
その様子を微笑みながら見守っていたステラは、イグナスの両手を掴み、優しく告げた。
「……伸びしろは感じます。日々努力を怠らず、邁進してください」
「え、ひどっ、酷すぎる」
もっと何かしらあるだろうと、目を剥くイグナスに興味を失くしたのか、そのまま眠ってしまった。
「ったく、寝息すら酒臭い……ステラがすまなかった。世話になったな」
馬車の準備が出来たと報せがあり、ステラを抱き上げたキールに謝られ、「……伸びしろに期待するので大丈夫です」とイグナスが溜息交じりに答えると、薄目を開けたステラが口元に指先を当て「ぷっ」と吹き出すのが見えた。
「……ふぅん、そう。……へぇ」
ステラの不遜な態度に、イグナスは冷ややかな視線を向ける。
酔った勢いで書いた、欲望まみれの妄想手紙。
イグナスはそっと手に取ると、キールの腕で寝ぼけ眼のステラに向かって、不敵な笑みを浮かべながらひらひらと振った。




