黒煙
時は、日本とティアーダ王国とで、ちょうど外交交渉が行われている真っ最中──。
その護衛艦の艦橋はいやに静かだった。
全長およそ250メートルの海に浮かぶ鉄の城。空母化に伴い直角となった飛行甲板の艦首部分。巨額の血税を注ぎ込まれ造られたその艦は、今はゆらゆらと波に揺られるままにその身を持て余している。
いつもであれば要因がつめている艦橋も、今はその男ただひとりである。
特に何か起きるわけでもなく、起こるわけでもない。男に与えられた任務は何か起こることなど考えられない状況下で、何か起きないか、ただ見続けること。
となればこんな感想もあくび混じりに出てくるものだ。
「──暇なもんだなぁ」
誰かに言うわけでもなく、ただボヤいた不満とも言えないようなちょっとした文句。誰かの返事なんて期待しておらず、むしろ返事があれば困る類いのもの。誰かの返事がないとわかっているからこそ言った言葉であり、憂さ晴らしだった。
「そんなに暇なら陸での仕事を見つけてこようかね?」
だからこそ、有り得るはずのない『返事』があった時、男は心臓が飛び上がるような気持ちになった。
「み、三笠群司令?!」
慌てて敬礼すると、いいよいいよと初老の男は手を振った。
「そんなドギマギせんでいい。実際、この艦みたいな大飯喰らいは、燃料事情が改善されるまでお役御免だが、最低限の要員は必要だ。ヒマだろうが我慢しておくれよ。……まったく、この艦も原子力ならもりもり働けるんだがなぁ」
艦橋の窓から見えるのは、灰色の空の下、主を失ったまま係留されている巨艦の姿だ。その大きさは海上自衛隊最大級の護衛艦である、この『いずも』よりも巨大である。
世界最強の海軍を持つアメリカ合衆国海軍の、その象徴たる巨艦は、今もそこに無言で鎮座し続けるのみである。
「ところで、尉官はおらんのかね?」
「ハ」
「ここは君ひとりか? 艦長と副長は?」
「ハ。おふたりとも現在上陸中です」
「上陸……そうか……。様子はどうだね。元気かい」
「あまり会う立場にないので正確かどうかわかりませんが、良いとは言えませんね」
三笠の言葉に躊躇いの表情を見せたあと、ややうつむき加減に言った。三笠は、2人とも子どもはいなかったからなぁ、と呟く。
「嫌な時代になったもんだ……。戦争しとるわけでもあるまいに」
「しかし、辛いのは皆一緒です。こんな時代。大切な人を失ったのはあの2人だけではないのに。これでは士気に関わります」
「ま、今は存分に愚痴りたまえ」
やれやれ、と言うと男は何かを見つけたような声を漏らした。
「ン……?」
「どうした?」
「いえ。雲の切れ間に何か……生き物のような」
「鳥か?」
「もっと大きいです」
「ならなんだ?」
「……すみません。見間違えかもしれません」
彼の言うように鳥かなにかを見間違えたのか、三笠はしばしの間思案する。
「日本海では『ふゆづき』が一戦やり合ったそうだったな」
「ハ。戦闘は収束したという話でしたが」
「…………念の為、CIWSに実弾を装填するよう各艦に通達せよ。それから他の艦橋要因を直ちに呼び戻せ」
◇
「──我らは誰か」
くぐもった声は魔信を通じて兵共に届いていく。
強い風が頬を撫でる。冷気を極限まで凝縮したような風は彼らに覚悟と勇気を与える。
「神は仰った。我らは支配者。蹂躙し、この地を統べる者。我らの前に敵はなく、我らの後ろに敵はなし。我らの下にいるのみである」
兵共は手綱を握る。その時は刻一刻と迫っている。
「総員──突撃せよ」
◇
「──なっ?! なんだよあれッ!」
群司令の鶴の一声により要員の戻った護衛艦いずもの艦橋。雰囲気はどこか忙しなく、ピリついている。しかし艦長副長の姿はない。彼らはまだ戻っていなかった。時間的にも、基地の中にいる人間を呼び戻すだけで精一杯だったのである。
そこで双眼鏡を覗いていたWAVEが強ばった声を漏らす。
だが、衝撃も束の間に彼女は報告する。
「右舷の雲より未確認機が接近中。ど、ドラゴンです」
「なんだとッ!」
WAVEから双眼鏡を取り上げるようにして空を見た三笠は絶句した。
雲の隙間より大挙して現れた飛行体。それらは正しくドラゴンであったからだ。
全長はおよそ10m。色は様々だが赤や黒が多い。
『CICより艦橋! レーダーコンタクト、未確認機。200以上! 距離近すぎます! なぜ今まで──接近を探知できませんでした!』
寝てたのか貴様ら。喉元まで出かかった言葉を腹の底に押し込みながら、三笠は命令を飛ばす。
「CIC狼狽えるな。致し方ない。群司令より艦隊全艦に達する。総員持ち場につけ。緊急出港用意! タグボートなしだ。荒く行け!」
「全艦に緊急出港を命令。護衛艦隊司令部に緊急連絡! ワレ、アンノウンとコンタクト」
戦闘に備え巨艦はその身を寝床より離す。だが、その動きは遅く、苛立ちが募る。
「司令、ドラゴンの上には人が跨っています! 真っ直ぐこちらに向かってきます。大勢……! 多すぎます!」
「人だと? では何かしかの勢力による意識的な行動というわけか。対空戦闘用意を下令! 場合によっては戦闘になる。だがまだ敵と決まったわけじゃない。命令あるまで発砲を禁ず。繰り返す。命令するまで絶対に発砲するな。戦闘は専守防衛に限られる。気を引き締めつつ訓練通りやってくれ」
戦闘になるだろうか、三笠は自問する。しかしその答えを彼が出すことはなかった。
「ドラゴン接近、止まりません。口の中に炎が、あ──っ!」
直後、『いずも』の艦橋は巨大な炎に包まれた。
◇
DDG-179、護衛艦『まや』の艦橋から、その風景はハッキリと見えていた。その方向を見つめたまま固まった航海科員の眼鏡には燃え上がる炎がハッキリと写っていた。
突如として現れたドラゴンたち。そのうち少なくとも10騎がいずも艦橋に接近、一斉に口から火の玉を吐いて火達磨にしたのだった。
その映像はCICのモニターにも映し出されていた。目の前の出来事はまるで映画のように思われた。
「艦長──!」
「対空戦闘発令ッ!」
耳に届く怒号が、CICの艦長席に座ったまま動けなかった彼の意識を現実へ戻した。
カンカンカンカンカンッ、と甲高いベルの音が鳴り響き、艦が戦闘状態に入ったことを乗員らに伝える。定員より明らかに少ない兵士たちは、それでも彼らにできる精一杯をするために持ち場へと急ぐ。
「未確認機は敵機と断定。対空戦闘いつでもいけます」
砲雷長の力強い言葉。あとは指示を出すだけでこの戦闘艦は持てる全ての術を以て敵をたたき落とす。
艦長の拳に汗が伝った。
自衛隊は軍隊ではない。甘いと言われようがなんだろうが、この艦長は実戦を想定したことがなかった。自衛隊の任務なんて、精々が周辺の敵対国の監視と災害派遣──そんな考えでいたのだ。
それでも意を決して命令を飛ばそうとしたときだった。
「──っ! 艦長、敵騎市街地上空侵入。今落とせば民間に被害が出ます!」
艦長は咄嗟に判断を下せなくなった。市街地上空で敵を落とせば、もちろんその残骸は街に降り注ぐことになる。人に当たればタダでは済まない。もしも死人が出たら大々的にバッシングを受けることになる。
「いずも、艦橋、甲板に被弾。艦橋の被害大きい。大火災です。通信途絶ッ! 現在敵の攻撃が集中! 三笠群司令の安否不明です! 艦長指示を!」
他の要員がそんな報告をする。要約すれば攻撃の要求だ。一方は攻撃を控えさせたいような報告、もう一方は攻撃を促すような報告。燃え盛る『いずも』を映したモニターを見つめた時間は、おそらく1秒に満たなかった。
彼は静かに帽子を被り直した。
「……対空戦闘継続。繰り返す、対空戦闘継続! 座して待っても民間の被害は拡大する。ならば我々は我々の仕事を全うするべきだ。全力迎撃よォーい!」
「対空戦闘用意了! 全対空兵装撃ち方用意よし!」
下された決断に自衛官らはコンソールに向かい直す。生唾を飲み込んだ者も少なくない。古参でも新兵でも初めての戦闘なことに変わりはない。
「艦長、第1護衛隊、第6護衛隊各艦対空戦闘用意よし」
「LINK16接続完了。各艦目標再割り当て! 三笠群司令の安否が不明な今、本艦が指揮を継続する。各艦へ伝えよ」
「ダブりはなるべく減らせよォ。弾薬の在庫は少ないんだ」
艦隊ネットワークによって各艦に目標が割り当てられる。
現在この横須賀には第1護衛隊4隻(うち1隻『いずも』は炎上中)、第6護衛隊4隻の総勢8隻がいる。それらの艦隊としての戦闘準備が整った。
「──主砲、CIWS、対空ミサイル、対空戦闘攻撃始め。全自動で全て叩き落とせ!」
人の手を介さないシステムによって迎撃は最適化される。
5インチ単装砲は連続して火を噴き、CIWSは近づいてきた対空目標へ向け、ミサイルは白煙を散らし、無差別に鉄の塊を殺到させる。
◇
「第六竜騎士小隊、キロゼ。敵の対空兵器は予想以じょ──っぐ!」
「火炎弾発射! 死ぬ前に攻撃しろ! 奴ら数の暴力には弱いはずだ」
「生意気な人間共め。血祭りにしてやる」
「殺せ! 蹂躙せよ」
「第十三竜騎士小隊、横列突撃! 火炎弾発射用意」
「2番騎、3番騎被弾! あ、4番機も!」
魔信は混乱を極めていた。
戦闘による損耗は、彼らの当初の予想を遥かに超えていると言えた。
そんな中に吉報が訪れる。
「第三竜騎士小隊、目標『イズモ』到達! 占拠開始」
見れば、敵の灰色の巨艦に一騎のドラゴンが降り立ち、高くそびえる構造物へ剣を片手に迫っていた。
その光景が彼らの士気を高める結果となった。
◇
「目標群I、全騎撃墜! 続けて目標群Hに照準合わせ!」
レーダーを眺める要因の声がCICに響く。
レーダー上に示される敵の光点は間違いなく減っている。しかしそれでも尚多い。
「ちぃっ! 数が多すぎる! あといくつだ!」
「残存目標およそ100!」
「気を抜くな! 奴らはレーダーに映らず突然現れた。第2波がきてもおかしくないぞ」
「相手はプロペラ機並の速度なのに、どうしてハズレが多いんだ!」
「動きが不規則過ぎるんだ。システムは敵の未来予想位置を計算して弾を撃つが、生物相手にすることを想定して作ってない」
ドラゴンの動きは機械兵器のソレと比べるとキテレツに過ぎた。
急上昇、急降下、急停止に、無茶と思えるような方向転換。その動きの数々に超音速での戦闘を前提としたシステムが対応できていなかったのだ。
「CIWS残弾なし!」
「再装填にどれほどかかる?」
「再装填?! そんなことしたら作業員はSPYレーダーをモロに受けることになりますよ! 健康被害の可能性が」
「我々は自衛官だ。そして今は有事だ。直ちに取り掛かれ」
「──っ! ……恨まれても、いいって、言うんですね」
出した言葉は撤回できない。今撤回すれば混乱が生まれてしまう。
もし今、誰かが撤回するなら今ですと、そう言ってくれれば。そんな風に望んだところで、いざその言葉をなげかけられても、返す言葉など決まっているというのに。
誰かを犠牲にしなければ戦争はできない。何かを犠牲にしなければ、降り注ぐ火の粉は払えない。それが砲弾か人間かという、ただそれだけの些細な違いということに、いつになったら気づける?
危険だとしても、彼らを行かせなければ、さらに多くの人間が危険に晒される。お国から賜った艦を沈めてしまうことになる。天秤にかければ、大切なものは明白だ。
──恨まれてもいいって言うんですね!
ならば私はどうすれば良かった……?
CICの中にも音が響いていた。
それは砲が咆哮する音であり、ミサイルが発射される音であった。
CICという、外部の一切を目視できないそれは、自らが戦地に身を置いていると実感出来る唯一の感覚だった。
だが、答えは出ない。こんなことばかりだ。人生は、こんなことばかりだ。
「CIWS再装填完了!」
「よし、直ちに退避させろ。作業員が安全域に戻り次第、CIWSの全力迎撃開始!」
ブゥゥゥゥゥンッ!
凡そ銃弾を発射する機構が出す音とは思えない轟音が響き渡る。
しかし安心はできない。
バルカン・ファランクスの弾数はおよそ1500発弱。対して毎分辺りの発射数は4500発に達する。つまり発射しっ放しの場合、単純計算で弾は30秒と満たない。
敵に接近を許してしまうこの現状では、あまりに心もとない状況であった。
その時、CICに嬉しい報告が飛び出る。
「艦長! 友軍機接近中。これは……百里のF-2です! 機数6、後続にF-15、機数6!」
誰もが思った。これで助かった。
誰もが安堵した、次の瞬間だった。
ドンッ、と鈍い振動が艦を襲った。
「前部VLS被弾! ……っ! ミサイルが露出しています!」
なんだと、と艦長は身を乗り出す。
一瞬にして頭が真っ青になり、出すべき命令がわからなくなる。
まやの前部に敵の火炎弾が命中。それによりVLSの蓋が破損し、ミサイルの弾頭がむき出しになっていた。
「敵騎最接近。前部VLS当たります! 誘ば──っ」
1度離脱したドラゴンが最接近し、火炎弾を吐いた。それは吸い寄せられるように露出したVLSのミサイルの弾頭へと向かい、炸裂した。
激しい誘爆により、まやの艦体が1度浮き上がる。直後には大量の海水が流入し、多数の隊員が抗うすべもなく飲み込まれていった。
その後の戦闘は、航空自衛隊の援軍の活躍もあり、敵を迎撃することには成功した。
しかし、この日、自衛隊から出た被害は甚大であった。
護衛艦まやは艦首断裂、浸水し前部から海底に突っ込むようにして着底。乗員の4分の1が殉職した。護衛艦いずもが大破着底。艦橋の大火災の影響で、幹部クラスの多くが殉職した。他多数の護衛艦も大なり小なり損害を被った。また、乗員帰国のまま放置されていた米第七艦隊所属艦数隻も被害を受けた。