発見
快晴の空を四発の発動機を積んだ航空機が駆ける。
眼眼下にそびえるのはただひたすらの大海。そこには陸地の姿は欠片も見えない。彼はそんな空を定規で引いた線のように真っ直ぐ飛行していた。
その機体は両翼に日の丸印を携え、尾翼付近には小さく『海上自衛隊』という文字が確認できる。
「サンダー2より司令部。海上に国籍不明の船舶発見」
「司令部よりサンダー2。了解した。付近を航行中の護衛艦『ふゆづき』を急行させる。貴機は帰投せよ。RTB」
海上に小さな点のような船を視認したパイロットは操縦桿を傾け、基地への帰路へついた。
◇
「──さて。いったいあれはどこの船なのか。韓国か、北朝鮮か」
「どうでしょうね。両国があったはずの朝鮮半島は消滅したということが確認されています。やはり先日の隕石群で蒸発したのではないでしょうか?」
「ふむ」
艦橋で双眼鏡を下ろして会話したのは護衛艦『ふゆづき』の艦長とその部下だ。
2023年某日。地球を襲った隕石群。大小百以上の目視以外のあらゆる方法で感知されない隕石に対処することは不可能に近く、地球人はあまりに急な余命宣告を突きつけられ、それは地球人全員に等しく執行されるはずだった。
だが、なんの運命のイタズラか。隕石は日本には落ちず、そしてある瞬間において日本国外との通信が全て同時に途切れた。そして手始めに航空機が朝鮮半島があった場所を捜索したが、そこには何も無かった。
そんな状況を説明するのに隕石の衝突によって朝鮮半島が蒸発した以外の答えを学者たちはまだ出せていなかった。
「──その可能性は低いだろう。あれだけの数の隕石だ。普通なら津波のひとつが起きてもおかしくない。だというのに今の日本海はいつもより凪いでいる」
猛々しく白波をたてていた日本海の海は、今や太平洋とさほど変わらないまでに変貌している。この前艦上勤務になったばかりの者たちは、船酔いがマシになったと大喜びらしい。
「なるほど。で、どうです? 不明船の状況は」
「酷いな。服も身なりも。それにこちらを警戒しているように見えるが……甲板に出ている人数がかなり多い。身なりからして兵士には見えない、そして女子どもが多いとなると、難破した民間船と思われる。……が」
言いかけたが、果たしてその言葉を口にしていいものか艦長は悩んだ。口にするにはあまりにバカバカしかったからだ。
しかし、紡がれない言葉を部下は補完する。
「耳がありますね」
「耳なら我々にもついているじゃないか。ほら、ああいうのはなんと言ったかな。甥っ子が好きらしいんだが」
「ケモ耳ですね」
「そうだ、それそれ。あれは本物かね?」
彼らは確認するため再び双眼鏡を覗いた。その先には『ふゆづき』よりも小さな船の甲板にすし詰めとなってこちらを指さしている集団がいる。それを見て艦長は二次大戦後の復員兵を満載した船を思い出した。
「カチューシャの可能性もありますがそんなものを付ける理由はないでしょう」
「彼らなりの儀式というのは?」
「可能性は否定できませんが……ですが、こうなると異世界転移でしょうかね」
「なんだ、それは」
「日本が何かのきっかけで別の世界にに飛ばされちゃう、みたいな現象ですよ。そういう小説が一時期馬鹿みたいに流行ったんです。テンプレだとこの後戦争が起きますよ」
「やめてくれ、縁起でもない」
艦長は忌々しそうな表情をして、それからふっ、とため息をついた。
「異世界常識複雑怪奇也……か」
重苦しくなった心を軽くするため、艦長はかつての総理大臣の言葉をオマージュした。
「で、これからどうします?」
「司令部はなんと?」
「静観を求めています」
「だが彼らは見るからに栄養失調だ」
「ですね」
平然と言ってのける部下に、艦長はしばしの沈黙の後に言う。
「臨検隊を派遣する。ローテの隊員に化学防護服を着用させ、移乗させよ。彼らがどこから来たのか調べてほしい。それから食料を持っていくことを推奨する」
「ハッ」
艦長の言葉を聞いた部下は、それを下令すべく動き出した。
◇
『──自衛官として恥じぬ行動を諸君に期待する』
スピーカーから聞こえてくる声を聞きながら、臨検隊は準備を整えていた。
「これメーカーが生産中止したらしいんだよなぁ」
「ウソ、マジ?」
「転移の影響らしいよ。小麦とかほとんど外国頼みだったから」
リュックにお菓子などの食料を入れていた隊員たちがそんな会話をする。それはまるで日常風景のように見えた。しかし彼らは確かに緊張していた。
相手が友好的かわからない。もしかしたら刺されるかも、もしかしたら変な病気を持っているかも。化学防護服なんて本当に役立つのか? そんな不安を隠すための会話だった。
準備を整えた臨検隊は、化学防護服に身を包み短艇に乗り込んだ。
船の隣に横付けすると、隊員たちは乗り込んでいく。
◇
臨検隊か船に乗り込んでからおよそ30分が経過した頃、ふゆづきCICには以下のような情報が流れていた。
・臨検隊は特段の混乱もなく乗船に成功した。
・船に乗っていた者たちは身なりからして奴隷と思われ、極度の栄養失調状態にある。
・奴隷の中には幼い子どももいる。
・奴隷たちとは言語の壁があり、意思疎通は困難。
・船を動かしていた要員たちは見当たらない。
・奴隷たちはお菓子を美味しそうに食べている。
・言語の壁はあるものの、とりあえず友好的な関係は構築に成功した。
・奴隷の中には重症の者が何名かおり、現在対応中である。
「要員が見つからず、あれは奴隷船。となるとおそらく」
「殺害されているでしょうね。アミスタッドです」
「あれは確か何人か生き残らせていただろう。だが今回は……話によると、奴隷──は言い方が良くないか。彼らは操舵室に入れてくれないのだろう?」
「ええ。現在臨検隊との睨み合いが続いております。実力行使に出ますか?」
「君ぃ、いくらなんでもそれはマズイだろう。我々は自衛隊だよ」
「ですが、このままでは無駄に時間が過ぎるのも事実です。私は実力行使を具申します」
艦長はため息をつく。彼は血の気が多くてイカン。だが、こうして極論を出してくれるからこそ、冷静な答えも見えてくる。
その時、臨検隊からの無線が入った。
『臨検隊よりCIC。不明艦の艦橋にて多数の死体を発見。おそらく要員のものと思われる……ッ』
CICに緊張が流れる。
皆心のどこかで確信していたとはいえ、現実になると受ける衝撃は違う。
だが畳み掛けるような衝撃が、今度はCIC内から飛び出た。
「これは……レーダーに感あり! 艦数3。巡洋艦クラスと思われる。真っ直ぐこちらに向かっている」
「近隣を航行予定の海自の艦は!」
「予定にはありません! アンノウンです!」
「上空警戒中のSHより報告! 接近中の艦艇は軍艦と思われる、です」
一瞬、奇妙な静寂が部屋を包み込んだ。聞こえたのは空調の音くらいだった。誰もが一気に変化した情勢を受け止めるのに時間が必要だった。
「艦長。臨検隊は船内に重傷者が多数おり手が離せないと。……どうします?」
艦長は深くため息を吐いた。どうしたものかね、とでも言いたげだった。
見捨てれば後の世に国民に非難されることは必至だ。しかし踏み留まれば明らかに良くないことになる。
あの船はおそらく奴隷船。それも船の乗組員たちを殺害している。近づいてきている艦がもしも、この奴隷船の所有国のものであれば彼らのその後の処遇はいったいどうなるのか。
「曳航するのは如何でしょう?」
「相手方の意思確認もできていない中でそれをすると、後に拉致と批判される恐れがある──だそうだ。なに、手足を縛られるのはいつもの事だ」
伝聞の形の言葉に部下は、はてと思ったが、おそらく群司令あたりに言われたのだろう。
「この右も左もわからない状況で一番マズイのは偶発的な戦闘が起きてしまうことだ。臨検隊は撤収。我々はこの海域を後にする」
「あの船とそこにいる重傷者を見捨てる、と?」
「致し方あるまい。接近中の彼らが紳士的であることを望むことしかできん。それから接近中の艦に無線で警告せよ」
「内容は如何します?」
「貴艦は我が国の領海へ向け航行中である。直ちに転進せよ──以上」
◇
薄暗い部屋の中。電子の海のような空間の一席に座るのは、逞しい顎髭を蓄えた歴戦の海軍艦長だった。
「艦長、前方に艦2。友軍のものではありません。無線も入っておりますが、不明な言語です」
「この先にあるのは新大陸のみ……となると奴らの軍艦か?」
「一隻はどうやら奴隷船のようです」
「であるなら拿捕し南部植民地に横流すとしよう。もう一隻は?」
「無線はその艦より発せられたもののようです。詳細不明です。しかし、仮に敵艦であっても我らに適うものではありません」
傍らに置いてあった海軍帽を被り、無言で艦長は同意した。それは戦闘開始の合図であった。
「この世界に飛ばされ2年……遂に奴らに反撃する時が来たのだ」
「転移後の混乱中に受けた奇襲が原因で、我々は今まで防衛で手一杯でしたからね。この日まで、本当に長かった」
噛み締めるように彼は口にする。あの日のことを彼は忘れはしない。始まりの日、全ての憎しみの始発点である。胸元から取り出したロケットペンダントを開くと、そこには金髪の小さな女の子が天真爛漫な笑みを浮かべている。だが、その笑みが彼に向けられることはもう二度とない。
全てはあの日、あの時、奴らの卑怯な攻撃のせいで──
「前路掃討が我らの任務だ。攻撃開始。敵艦を没せしめよ。対艦ミサイル、攻撃始めッ!」
艦長の命令により、不明艦3隻から対艦ミサイル群が発射された。吹き上がる白煙は、この戦争開始の狼煙となった。