軟禁
「よし! 今日も頑張ろう!」
今日も今日とて、セシリアはひとりで北倉庫の掃除だ。初めは戸惑ったものだが、今となっては自分で計画立てて徐々に進める作業が気楽で、かつやり甲斐もあって、楽しく感じ始めている。
まだやりたい作業は山ほど残っているけれど、古いテーブルセットの周りを最初に綺麗にしたから、休憩場所にも困らない。朝のうちに厨房に寄って、バスケットに簡単なお昼ご飯も詰めてもらった。こうすれば移動時間も節約できるから、もっと効率的に掃除が進められるだろう。
「今日は額縁を拭いていこうかな」
その折々で掛け替えられるのだろうか、大きな絵が数十点まとめられている。アリベール家はあまり芸術には興味がなかったから、最低限のものしか飾られていなかった。その価値など想像もできないけれど、王城に飾られるというだけで並大抵のものではないのだろう。
花の絵などは季節に合わせて選ばれるのかもしれない。華やかなもの、しっとりと落ち着いたもの、港町の風景や見たこともない荘厳な宗教画。
ひとつひとつ丁寧に移動させては、額縁に積もった埃を落とし、拭き上げていく。
「わぁ……素敵な絵」
外国のマルシェだろうか、沢山の人々が行き交う街並み。親子が手を繋ぎ、店員が笑い、色とりどりの果物が所狭しと並べられている。看板に掲げられた文字は隣国のものに見える。家庭教師にものさしで打たれながら、必死で勉強した日々をほろ苦く思い出す。
「みんな、幸せそう」
綺麗に整備された道。潤沢な食べ物と、清潔な服。この国は豊かなのだろう。もちろんこの絵の一瞬が、全てではないことは分かっているけれど。
「あら……? このお爺さん……」
端に描かれた店の店主をよく見ると、獣化したセシリアと似たような三角の耳が描かれている。
もう一度よく見直すと、街を行き交う人々の中にはふさふさの尾がある者もいれば、獣の耳がある者が多く混ざっている。その誰もが皆と同じように笑い、幸せそうにしているのが分かる。
「……獣人と純人が、一緒に暮らしているんだわ……」
この国では考えられないことだ。でも──同じことができない理由なんて、本当はないのかもしれない。
セシリアがセシリアであることを、隠す理由だって……
────ガチャン
「えっ?」
扉の外で何かが倒れるような音がした。そっと絵を片付けて扉へ向かい、ドクドクと煩い胸を押さえながら扉に手をかけた。
「いやだ……嘘でしょう」
ガタ、ガタ、と諦め悪く何度も押したり引いたりしてみるが、案の定扉は動かない。
閉じ込められたのだ。
一旦、落ち着きましょう。こういう時こそ冷静になるべきだわ。扉の前で深呼吸していると、その向こう側に何かの気配を感じた。あれ、まだ犯人、いる?
「──よ……たが、悪──……」
「そこにいるのは誰? 私をどうしたいのかしら」
「──貴女が、悪いのよ……貴女が、嫌いなのよ!! 何故? 何故貴女は名前で呼ぶ事を許されているの? 何故、貴女にはあんな風に笑いかけるの? 何故、なんでよ! 苛々するの。貴女なんていなくなればいい、消えて! 私の目の前から消えてよ、目障りだわ!」
ドン、と扉を叩く音がして、身体がびくんと跳ねる。マリアナ先輩だ──。エメリックの事がそれほど好きだったということだろうか。私が思っていたより、私は嫌われていたみたいね。
パタパタと走り去る軽い靴音。マリアナ先輩はセシリアを倉庫に閉じ込めたまま、放置することにしたようだ。今はまだ午前中、基本的に毎日ひとりで掃除をしているから、誰かが手伝いに来ることもない。同室のサラは明日と明後日が非番で、リフレッシュがてら今夜から2泊で温泉に入りに行くと言っていた。セシリアも誘われたのだ、「お肌と冷えにとても良いのよ」と。
でも、早朝の訓練所や、仕事中の倉庫に顔を出してはさっと手を貸してくれるエメリックの姿が脳裏にちらついた。休日でも、どこかですれ違ったりするかもしれない──。そんな期待がなかったとは言えない。
このままでは、サラが帰ってくるまでここから出られなくなってしまう。幸いにも昼食用に貰って来た食べ物があるし、ここは2階だからなんとか窓から降りられないこともないだろう。さすがにそれは最終手段にしたいところだけれど。
窓の下や、ドアの強度、他の出入り口──そして使えそうな道具はないかと倉庫内を探る。ごちゃごちゃと詰め込まれた不用物の山の中から、草臥れたロープを発見できた。ささくれているし、セシリアの体重を支えられるほどの強度があるかは分からない。分からないが、そこにあること自体に意味があるのだから、ないよりはよほどマシだ。やっぱり、最終手段を発動させるしかない、ということね。
探索しているうちに太陽は傾き、空腹を覚える。いつまでもここにいるつもりはないから、食べてしまいましょう。腹が減っては戦はできぬと言うもの。
◇
「この刺繍は……祝福、か。ノコギリソウに、ポインセチア……守り?」
なんて繊細で、なんと大きな力だろうか。これほど見事な祝福の紋様を見たのはエメリックにしても初めてだ。
団服のマントにも、かなりの金を払って紋様を入れてあるのだが。
エメリックは強い魔力を持つが、魔力と祝福は別のものだ。魔力は生まれ持ったものだが、祝福は基本的には誰でも使えるとされる。けれど、実際にそれを使える者はかなり少ない。紋様を描くのにかなりの知識と経験が必要であるからだというのが世間一般の認識だが、実のところはそれだけの理由ではない。あれは、心の綺麗な者にしか使えないものなのだ。
祝福とは、つまりは神からの贈り物。やましいところがあればその効果は発揮されない。だからこそ子供の頃は皆祝福を使えるはずなのだが、子供は複雑な紋様を描くことが出来ない。
子供のように綺麗な心のまま成長した者だけが、祝福を使えるようになるのだ。
「──ますます得難い存在だな……」
騎士であるエメリックを想って作ってくれたのだろう。守りと同時に、優しく背中を押してくれるような暖かい力を感じる。
あのサファイアのような瞳から、ぽろぽろと涙を零して。細く白い指先を傷だらけにして働く少女。小さく華奢な身体で、力には自信があるのだと笑って。
「俺も──彼女を、守りたい」
これほどの気持ちを込めて、守りの祝福をくれた彼女のことを。自分も同じように守る権利を貰いたい。
女など皆一様に欲深く、信用ならず、醜悪だとまで思っていた。好きだ何だと言い寄りながら、その実この顔と地位にしか興味はない。クールなところが素敵だと囁きながら、裏では侍らせるには綺麗な方が、と数多の男を品定めしていた事を知っている。
あの女たちはきっと、アクセサリーとしてのエメリックという記号しか知らなかっただろう。見ていなかっただろう。
でも、彼女は──セシーは、違う。
「……会いたい」
きっと今日もくるくると走り回って、あの倉庫で掃除に勤しんでいるはずだ。
また重い物だけでも手を貸して。早く終わるようなら、食事に誘ってみようか。彼女はどんなものを好むのだろうか。苦手なものはあるのだろうか。知りたい──彼女のことなら、どんなことでも。




