おぼえがき
約1年、僕は何度も燻った感情に言葉を充てがおうとしては痺れた指先を仕舞い込んできた。
だが今日はなんとなく、いい感じのタイトルと共に書き始めが浮かび上がってきた。
今や僕の心のアリカ、群青の猫とこの羽宮の存在は10を超える知人たちの目に触れてきた。
――下書きでよかったものをなぜ投稿してしまったのか、消さずに置き去りにしてしまったのか
これから書き記すものはそんな後悔の種にいかにもなりそうなのだが、今はそれでも指先は滑ろうとする。
うむ、別に構いやしないだろう。
ここのところの僕はというと、もう永いこと泣いていない。
100日後に泣き止む僕。というくらい、来る日も来る日も涙が溢れ出していたのが嘘のように、途切れている。
あの子を忘れたわけじゃない。嫌いになったわけでも、割り切ったわけでもない。
好きだ。愛している。側にいたい。僕がこの手で支えたい。
この気持ちが色褪せることはない。
6年半という時間の永さは、僕からすればせいぜい小学校の夏休みくらいのものなのだ。
永いようで短い。振り返れば、CDに入ったひと筋のかすり傷くらいのもの。空白があったにしても、僕という人格の致命傷になることはない。
ある一箇所の傷口が際立って、延々と痛々しいくらいのもの。
今日も今日とて、僕は僕のままなのだ。
それをただ生存報告のように事務的に残す……それだけでもよかったのだが、どうやらまだ続きがあるらしい。
140字では足りない、掃除機でなければ吸い取れないカーペットの抜け毛のような感情の残りカスを、気の向く限り拾い集めてみたい。
――
最近の僕はというと、好きな人がそれなりにいる。
なかなか会えない、或いは会ったことのない人。
とても遠いようで、同じ部屋に住んでいるような、ちょっと特別な人たち。
大切……にしたい人も少し。
彼らの存在が僕の精神安定に寄与していることはいうまでもないだろう。
歳の近い男女がちゃぶ台を囲むような距離感の日常でも、それなりに穏やかな時間があの空間には流れている。
濁りのない本心として、どうかこの日々が1日でも永く続いていくことを願っている。
受験、バイト、就活、仕事。僕とは違って上り坂が続いている彼ら彼女らとは、いつまで変わらずここにいられるだろうか。
横を見ればたくさんの顔がある。
これからの僕が考えるべきことはきっと、
「次会えたなら、どこへ行って何を食べようか」
そんなありふれたことでいいはずだ。
有限の時間を優しく抱きしめることなら、僕は誰よりも得意なんだ。
――
「おやすみ」
その言葉で僕の1日は終わり、夜は次第に白んでいく。
どうかあの子に逢えますように。
霜の降りた冷たい窓の内側では切ないメロディが、
眠りから覚めるその時まで、
絶えず奏でられている。




