私の瞳の中に
「お、糸ちゃん髪の毛明るくした?」
「ふふふ、わかるかね」
バイト先の店長が、制服の帽子の中にまとめきれないで出ている、うなじの髪の色を見ながら、微妙な顔色をする。
ブーランジェリー「まるふく」の自称看板娘として、ここでアルバイトを始めてから、今月で1年が経とうとしている。
バイトの面接時に、髪や爪の色、ピアスの穴などチェックされたことを思い出した。
(むむ、髪を明るくしすぎたかな。といっても地毛は白銀なのだから、茶髪くらいはね)
とも思ったが胸を張って、可愛くなったでしょ。
これでお客様が増える事、間違いなし!
といった、雰囲気を出して煙に巻くことにした。
ここは私の地元である浅葱峰緑地駅前のロータリーにある、パン屋ブーランジェリー「まるふく」。
ここのフランスパンが好きでアルバイトを始めた。
日本語でパン屋、ドイツ語でベッカライ。フランス語でブーランジェリーだ。フランスで修行し、フランスのパンの国家資格を持つ店長さんの焼くフランスパンは外皮がパリパリで内部はふわふわで口溶けが半端なく、ハードタイプなのにとろけるようなフランスパンだ。
店長の焼き上げるフランスパンはファンが多く、もちろん私もその一人だ。いまはしがない自称看板娘の販売アルバイトだが、ぜひ店長の技を盗み、もし万が一異世界に転移した時には異世界王都で焼き立てパン屋を開く野望を持っている。
「いらっしゃいませ」
笑顔で愛想を振りまいていく。すごい美人ではないが、女は愛嬌だと信じる私は笑顔にそこそこの自信を持っている。
今日もブーランジェリー「まるふく」でのアルバイトが始まる。
パン屋は見た目の華やかさと違って、薄利多売の商売。
例にもれず、ブーランジェリー「まるふく」も、少ない人員で多くのお客様の接客を笑顔でこなしていく。パン屋のレジを見たことのある人ならわかってもらえると思うのだが、信じられないような魔術師のような手さばきでパンを次々と包装していく。神速のレジを打鍵して、お客様一人ひとりを丁寧に軽快にさばいていく。
立ち仕事で。
パン屋のアルバイトは、かなりハードなお仕事なのである。
ぶらっくなのである。
そのため万年人手不足の状態のなか、自称看板娘として続いている自分の価値がよくわかっているので、多少の無理は通していただくことにした。
……店長ごめんね。
午前11時頃からお昼のピークがはじまる。
長いレジ打ちの最中、暇を持て余して瞳の中のミジンコをピンピンうごかす。
ミジンコというのは、視界内に泳ぐ小さな半透明の影。
糸くずや、蚊のようにも見える謎の物体。
なかなか思い通りに動かないからこそ、暇つぶしにやるにはなかなか面白い。
医学的には飛蚊症という名前がついているみたいだけれど、どこかで見たミジンコピンピンって名前の方がわかりやすい。
レジに並んでいるお客様1人1人の顔に順番にミジンコを重ねていく。
結構難しい。
ぬるぬると意思を持つかのように動くかと思ったら、急に視界の外へ逃げていく。
思うように動かすのは、熟練の技が必要になる。ミジンコぴんぴんのスキルがあるとするならば、レベルカンストまであとわずかなのでは。
ふふふ。
ブーランジェリー「まるふく」のお昼のピーク時間の売上は最大で1時間12万円以上。
レジ3台で頑張っていると思う。
店内がまさに戦場のような状況の中で、芸術的なレジさばきをこなし、神速でパンを包みながら、トレイを拭き、トングを補充する。
並行して、切り離した意識の中でのんきにミジンコぴんぴん遊びをしながら、お昼の休憩まであと1時間かにやぁと思った時にそれは起きた。
ぶっ
????
目がやぶけた?
窓???
瞳の中に違和感を感じて、凄い勢いで瞬きを繰り返す。目が壊れたかと思った。
眼圧が急上昇したかのような目の熱さに、とりあえずの対応策として欠伸をして涙を貯めてみる。もちろん見た目からはわからないような、顎の骨に力を入れた隠れあくびだ。
それは
瞳の中のミジンコの動きに合わせたように
開いた。
目に見える景色の中の一部のように、視界の中に窓が開いた
瞳の中にRPGのゲーム画面のようなステータスウィンドウが浮かんでいた。
「????」
「なにこれ。」
嫌な汗をかきながら、思わず声が漏れる。目の前のお客様が、訝しげな視線をよこした。
隣でレジを打っている先輩のパートさんが、何かトラブルが起きたか?といった視線と表情を、顔を動かさずにむける。
心が乱れている時ほど、心の動揺に比例して失敗しやすいので、気持ちを落ち着かせるという自分に課してるルールのもと、レジの打ち間違いをしないように、目の前に起きている出来事を冷静に確認してみる。
いや、目の中に起きている出来事かな。
高速にレジを打っているときの私の頭は、非常にクールだ。
この1年で、修羅場をいくつも乗り越え磨いてきた。
レジ打ち間違えたら大変なことになるからね。
頭を冷やし落ち着いて、瞳の中に展開している状況を整理してみる。
視界の右上に細長い縦長のウィンドウ。
左下に薄い横長のウィンドウが開いている。
これはいったい
目が
目がぁ
なんともない