1.正義の死にざま
「ご、ごめんなさい………」
言葉尻をすぼめていく女に男は愉悦を感じていた。また一人、悪の道を進もうとしていた人を救った。本気でそう考える男は女の肩を叩く。
「もうこんなことをしちゃいけないよ」
男の言葉にびくりと身を強張らせ、全力で首を縦に振る。
満足した男は立ち去っていく。残された女に隠れていた男が近づいていく。
「災難やったなぁ」
「ほんとよ。何なの、あの怪物」
「そーやな。わしも怪物やと思うわ」
男達に限らず、去っていった男は怪物と呼ばれている。所詮は高校生のはずなのになぜか誰も逆らえない。それは小学生のころから積み重ねられた、狂人的なエピソードの数々に由来する。
「もう関わりたくないわ」
「そーやな。でも、すまんな。最低でももう一回は接触してもらうで」
「何でよ!?」
「しゃーないやん。でも、これで終いや。今回であの怪物を倒すで。怪物退治や」
関西弁の男は怪物の去った方を睨みつける。女は涙目になりながら溜息を吐いた。そして、女は怪物の名を口にする。
「安藤圭一」
安藤圭一。16歳。
某県の中にある進学校に通っており、その中でも成績はトップクラス。全国模試でも常に上位1%に入っており、全国1位を取ったこともある。
スポーツも万能で運動神経抜群。どんなに初見のスポーツでもルールを教えてもらえれば勝率8割超えを叩き出し、プロ相手でも善戦できる。実践空手やボクシング、剣道などの武術はプロにも勝っており、スカウトされたこともあるのだとか。
顔もイケメンで、街を歩いているときにスカウトされて雑誌に載ったこともあるのだとか。モデルにはなっていないので、載ったのはその一回だが、ネットではこのイケメンは誰、と騒がせた過去がある。体型もモデル並みで筋肉があり美しく、SNSに載せれば1時間でいいね!が1万を超える。
お金持ちでもある。中学の時から始めている、お小遣い稼ぎ感覚の事業が成功したのだ。今は月に百数万から数百万ほど稼いでいる。その稼ぎのほとんどは趣味に費やしているが。
眉目秀麗、有智高才、勇猛果敢、一騎当千、陶朱猗頓。そのすべてを兼ね備えているのが安藤圭一という人物だ。しかし、圭一は女にもてない。もてたことがない。圭一は女を必要としていないので何も思ったことがないが、もてたことがない。
理由はその性格だ。自身に絶対の自信を持っているのだ。自分の正義を貫き通そうとする絶対の芯が圭一にはあった。狂人的なまでに。
最初は小学生の時だった。小学生の時に見ていたヒーローのアニメに憧れた圭一は、正義の味方になろうと努力した。正義の味方は頭がよく、運動ができる。好き嫌いもない。その日から勉強を頑張り、体を鍛えて、何でも食べた。
圭一は小学4年生の時に事件を起こした。公園に屯する不良に鉄パイプを持って特攻した。5人いた不良のうち3人の頭を殴り、2人にボコボコにされた。警察が取り押さえに来たとき、やっぱり僕は正しいんだと思った。しかし、圭一自身も取り押さえられた。その理由は未だに分からない。いくら警察から理由を聞かされても意味が分からなかった。
その後、圭一は少年院に連れていかれた。小学校卒業までの2年と少しを更生に費やし、社会常識を学ばせられた。それでも圭一は変わらなかった。それどころか、むしろ圭一の考えは加速した。学べば学ぶほど社会にはヒーローの存在が大事に見えた。
中学生の時、ヤクザと繋がりを持つ後輩がいた。圭一にとって、相手が何を考えていて、どんな事情があったとしてもその後輩は悪である。いくらヒーローでも特攻を仕掛けないことは圭一も分かっていたので、最初は観察から始めた。
その後輩は阿部航平という名前であったが、圭一は犯罪的な手段でもってそれ以上の情報を調べ上げた。
阿部航平。12歳。
成績は平均的であり、中でも英語が苦手で赤点ぎりぎり。その代わり数学は学年200人近くの中でもトップ10に入るほどの成績だった。他の教科は平均点の2,3点上くらいの成績だ。
運動神経はいい方だが、運動が得意とは言いにくいほど。まぁ、平均よりはできるといったところだろう。100点満点中50点が平均としたとき、67点くらいな印象だ。
顔は凡庸だ。顔面偏差値もそんなに高いわけでも低いわけでもない。中学校全体生徒600人近くいて、航平の顔が好みだというのは120人くらいだろう。20%もいるので同級生受けはするのだろう。圭一は600人中550人が好きな顔であり、ファンクラブも存在している。
お金は持っていない。基本的に財布を持っているのは航平のお付きの人だ。お付きの人がいる段階で、本人がお金持ちでなくても実家がお金持ちなのだろう。
圭一は航平の実家の様子も観察していた。戦力が明らかに強大であっても圭一は怯まなかった。2年の時をかけ、戦力を蓄えた圭一はヤクザに単騎で決戦を仕掛けた。
圭一は異常者であり、ヤクザの戦力の半分を削ったところで取り押さえられた。航平の家族が属していたヤクザは圭一のその一面を大いに気に入り、殺害は免れた。圭一にとって、それは屈辱であり、精神の凌辱だった。
高校の入学1週間前に圭一は戦力を回復させ、もう一度単騎でヤクザに仕掛けた。2度目の襲撃はそのヤクザを壊滅させるに至った。圭一のこのヤクザ襲撃事件は全国に名を轟かせるのに十分だった。しかも、さらに異常だったのはその準備期間の際にも、毎日のようにパトロールをしており、コンビニ前に屯する不良や援助交際をしている女子高生を殴り飛ばしていた。
高校1年生。圭一は正義活動により一層精を出していた。
そして、冒頭、売春をする女子高生たちのビジネスを後押しすることで収益を生んでいた女子高生を殴り飛ばしたのだ。
「で、怪物退治ってどうするわけ?」
女子高生は殴られた箇所を消毒しながら男に聞く。
「そーやな。罠に嵌めへんときついからな。やっぱ、これやろ」
男は内ポケットからハンドガンを取り出す。
「それって」
「せや。奴も怪物っちゅーても人間や。わしらが集中砲火しちゃればあっちゅーまやろ」
「上手くやってよね。私だって協力するんだから」
「当たり前や」
男――阿部航平は左目下の傷に触れながらハンドガンを睨みつけた。
その日、売春をする女子高生たちのビジネスを後押ししていた女子高生から連絡がきた。他にも仲間がいるという内容だ。それを圭一に伝えるということは正義の心に目覚めたということだろう。圭一は嬉しいという感情と同時に、まだそんなことをする仲間がいるのかという怒りもわいてきた。
指定された場所は少し離れた位置にある倉庫街の一角、倉庫の一つだ。女子高生が仲間を呼び出して一斉検挙しようというのが今回の作戦だ。
指定していた時間は17時。日が傾いて空がオレンジに染まる時間帯だ。圭一は16時に着き、監視する。16時45分に女子高生が着いた。倉庫の中に入っていく。17時になったが他に誰かが来る気配がない。圭一は時計を気にしながら監視を続ける。
17時15分。刃物を持っているかもと言われて用意した木刀を握る力が増した。誰かが来たわけではないが、倉庫に近づくことにしたのだ。もしかしたら、圭一が着く16時よりも前にいたのかもしれない。
倉庫の入り口からそっと覗くと、中に女子高生以外に男がいた。やはり、誰かが来ていた。正義に目覚めた女子高生以外は男が5人、女が2人、武器らしいものは持っているように見えない。
圭一は木刀を振り上げ、一気に近づく。
「おぉうっ!」
2m近い身長の男を殴り、意識を落とさせる。その瞬間、男の一人が圭一の顔を殴った。拳にはメリケンサックがつけられており、圭一の頬が裂けたが、圭一は木刀で殴ってきた男を殴り返す。女がバッグで叩いてこようとしてくるのを見て、突きで腹を押し込み、蹲らせる。
その後もインファイトが続いた。味方であると思っていた女子高生も敵として参戦している。圭一は裏切られたのだ。ショックを受けた圭一は女子高生をぶん殴る。
後輩を何とかするのは先輩であり、ヒーローである者の役目だ。そう思った時、ズタンと音と衝撃があった。見ると、航平は拳銃を構えていた。
「あ?」
誰が出した声かは分からない。力が抜けて俯せに倒れる。
航平たちは痛みを放つ個所を押さえながら、逃げ去っていく。
くそっ。体が動かない。眠気まで来た。いい、大丈夫だ。顔は覚えた。次に目を覚ました時、絶対に更生させる。
圭一はゆっくりと目を閉じた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
航平は荒く息をする。そして、ガッツポーズをして喜ぶ。
「やったぞ。あの怪物を倒したぞ」
「まてよ。ぬか喜びすんなよ。ちゃんと死体を確認してからだ」
男の一人が頭を押さえながら冷静に発言する。
「そうだな」
航平は左目下の傷に触れながら倉庫に戻る。そこには圭一の死体があった。駄目押しに体にナイフを突き刺してやったが、動くことどころか、血が勢いよく飛び出ることもなかった。
安藤圭一、享年16歳。高校2年生。それは望まれるべくして訪れた死だった。