3.それぞれの道~教師となった天才を超える凡人~
カツ、カツと静かな教室に、チョークが黒板を叩く音が響く。黒板に三行ほど書くと、後ろを向き、教卓に置いた教科書を確認する。
もう慣れてしまったが、もし両手があったならば、左手に教科書を持ち、右手にチョークを持つということができただろう。不便だ。
ちなみにアストロが担当している授業は、魔力史だ。
本授業においては、歴史を時系列に沿って知るだけではなく、世界中で繰り広げられた人間社会の事象と、魔力の使用という行為の関係を、現代社会の神力に紐づけながら学ぶものだ。「温故知新」ではなく、「温故創新」を標榜し、現代社会の人材を育成することが目的とされている。故きを温ねて新しきを創るのだ。
アストロは内心溜息を吐いていた。
アストロは自身の経験から、軽めの飲食や少しの私語なら容認している。
それはガイダンスの時に説明しているのだが、誰もしない。というか、空気が重い。この状態で話し出す奴などいないだろう。
そういう生徒が集まっているのかと思えば、そうではない。他の先生の授業ははしゃいでいる。
そう、私の時だけ。なぜだ? 私ってそんなに怖いか?
カツ。
アストロは書き終わると、生徒達の方を向いた。
「現在帝国歴3010年となりましたが、さて、魔力がやってきたのは何年でしょう。約何年前、という答え方でも構いません」
「「「……」」」
「どなたか、分かる方は手を挙げて下さい」
「「「……」」」
誰も手を挙げない。
「誰も手を挙げないようなので……」
「「「……っ!?」」」
「では、アンドレア、お願いします」
名前を呼ぶ時に、輝かんばかりの笑顔を向けるのを忘れない。
アンドレアは慌てながら立ち上がる。異性に対する緊張というわけではなく、恐怖の大王を前に発言する者の緊張だ。私はそんなに怖いのか?
「あ、え、えっと、あの、ご、ご、510年前です」
「正解よ。よく勉強しているわね」
笑顔を忘れない。アンドレアは目を伏せ、急いで席に着いた。恐怖で揺れる瞳、滝のように流れる冷や汗。なぜ?
アストロは一気に体を落とした。お尻を着けない体育座りの状態だ。
「え?」「え?」「何?」「うん?」「どうしたんですか?」
「皆教えて!? 私の何がいけないの!?」
「「「っ!?」」」
アストロの魂の叫びを聞き、生徒達は驚愕の顔をする。
「私だって、皆と仲良くしたいよぉ。こんな思い空気耐えられないよぉ。よくこれで二か月も保ったよ、私!?」
アストロが片手で頭を抱えて、涙声を出している。もし勇者一行として一緒に旅をしていた、あのメンバーが見ていたならば――
「プ」
――そう、今のように笑うか、生徒達のようにドン引きするだろう。あのシキでさえ。
というか、生徒達が、誰が笑ったのか、の犯人探しを始めてしまった。
「そこ、レイヴェニア。邪魔してこないから見逃していたけど、今日は帰って」
「おうおう済まんの。いや、まさか”あの”お主がそんなことで、今更悩んでおるとはな。ぷぷぷ。いや、済まん。笑ったのはヴェーじゃ。さて、アシドやコストイラ、エンドローゼあたりにでも教えてやろっプギャ!?」
「いいから出てけ」
ニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべるレイヴェニアに苛つき、アストロは綺麗に神力を当てた。
「皆、気にしなくていいわ。あれはレイヴェニア。私の魔力の先生であり、神力の師匠でもあるわ」
「そんな方が」
アストロの説明を聞き、生徒達はレイヴェニアの消えた扉を見ながらざわつき始めた。
「さて、残りの授業時間は二十分くらいね。もう進める気が起きないわ。後は、そうね。私への質問タイムにしましょう。授業のことでも、普段のことでも、何でもいいわ」
「胸腹腰の大きさを教えてください!」
「言いたくない」
勢いよく手を挙げて叫ぶ男子生徒に、これまで以上の笑顔で恐怖を与えた。
「じゃ、じゃあ、彼氏はいますかぁ?」
「彼氏はいないけど、夫はいるわ」
教室が一気に騒がしくなる。
これだ、これを望んでいたのだ。
「そういえば、夫については聞かれれば答えるけど、その前に聞きたいわ。皆は私の何に恐れていたの?」
「えっと」
滅茶苦茶答えにくそうだ。そこで一人の生徒が手を挙げた。クラス委員長のアリアだ。
「どうぞ」
「先生は冒険者なんですよね。しかも、高名かつ、上位の」
「高名かどうかは分からないわ。それは他人の評価だし。上位なのはそうね、認めるわ」
「上位の冒険者って、荒くれ者というイメージがあります。それにアストロ先生は片腕を失くし、少し怖いです」
「これか! これがいけないのか!」
アリアの説明に、生徒全員が頷いた。アストロは自身の左手を掴んだ。
「ひ、ひ、一つ一つ解決しましょう。高名に関してはもうどうしようもできないわ。過去のことはもう変えられないし」
「良い噂も悪い噂もあります」
「りょ、両方教えて」
アストロの顔がこれまで以上に真剣になる。
「まずいい方が、世界中に張り巡らされている街道の指示をした、というものです」
「えっと、ごめん。それは私が知らないわ。土木関係とかは専門外よ」
「悪い方は、怒った際に国をいくつか滅亡させた、というものです」
「あぁ~~、ごめんなさい。そっちも知らないわ。というか、身に覚えがないわ。国の崩壊に関わったことはあるけど、あれは救う側だし、まぁ、気付いていないだけで、崩壊側に導いてしまったことはあるかもしれないわ」
アストロが片手で頭を抱える。生徒達の間で、微妙な空気が流れている。あれ? アストロ先生って、そんなに怖くない?
「あれ? 誰か来たみたいですよ。車椅子に乗っています」
「そうね。それは貴方達が聞いてきた。私の夫よ」
生徒達は興味津々に窓の外を覗いていた。