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紫陽花(あじさい)と鴨(かも)  作者: ろいやるぱふ
紫陽花
7/41

◆猫◆

病院を出ておよそ十分、私は寂れた住宅街の路地裏をうろついていた。


老朽化が進み、閑散とした面持ちの家々が並んでいる。


庭の手入れが行き届いている家もまばらで、背の高い雑草が生い茂っている家が少なくない。


五十年以上も前に都市開発が行われたとされるこの町は、還暦を迎えた老夫婦たちが、細々と暮らしているような気配を漂わせている。


きっとこのあたりにも、梶原病院に通う患者が住んでいることだろう。





名刺に記された場所の通りまでやってきた。


道幅はおよそ二メートルといったところだろうか。


砂利道の半分は陽の光が差していて、もう片方は住宅の影でひんやりとした空気だ。



通りの入り口には、木でできた電柱と、街灯が立っている。


とても、店のある気配は感じられない。


仮に車で来ていたとしたら、大通り沿いにある廃れた駐車場を利用するほかないだろう。





半信半疑になりながらも少し歩くと、陽が差している側に、平屋の古民家が見えた。



その手前にある土地は畑だろうか。



土の上に、葱やニンジンの葉のようなものが顔を出しているのが見て取れる。




その場所は一見、住宅街の雰囲気に馴染んでいるようにも感じられる。


しかし、他の家に比べると、俗っぽい気配がそぎ落とされていて、

寺や神社を彷彿とさせるような異彩を放っていた。





家の前までやってきた。


二枚合わせの木製の門が、片方だけ開いている。


閉じているほうの木の扉に、小さめの焼き板が取り付けられていて、白文字で店名が書かれている。



表札には「辻」と刻まれていて、店舗兼自宅なのだと分かる。



赤い瓦屋根のその平屋は、一見すると普通の一般住宅と遜色がない。


けれども、木製の門の先には、両脇を緑色の芝生で彩った道があり、一種の神聖さを放っている。




不思議と、私の足は誘われるように玄関へと向かっていった。




 

木が縁取ったガラス製の引き戸を、私はゆっくりと開けた。





からん、と乾いた呼び鈴の音が鳴る。





戸の上には、黒猫をモチーフに作られたベルが取り付けられているようだ。



思いのほか、店内には心地よさそうな空間が広がっていた。



天井や床の色は、暖かみのある茶色で統一されている。



正面にはカウンターがあり、椅子が三脚。



縁側には深緑色のソファーが四つ、それぞれテーブルを挟む形で、二組分分用意されている。



外からの差し陽と、オレンジ色をした照明の明かりが混ざりあった空間は、なんとも艶めかしい。



いわゆる、近年巷で噂されているような、古民家カフェと呼ばれる類いのデザインなのだろう。



外観からのイメージとは、かなりギャップのある内装だった。


おそらく、もともとあった空間をリフォームしたものだろう。


年季の入った柱も、もはや独特の味を放っている。




私はその空間に半分魅了されていたのだろう。


気付けば、入り口でスリッパに履き替えると、店内の様子を見て回っていた。





それにしても、客はおろか、店員の姿すら見当たらない。


いくら平日とはいえ、これだけ整った空間が持て余されていることに、

私は寂しさにも似た、無性に切ない気持ちになる。




すると、カウンターの奥にある、厨房と思われる場所からだろうか。


何やら人のいる気配と物音がする。




勝手に上がり込んでいることに若干気は引けたが、私はカウンター席から覗き込むように様子を窺った。




同時に、木造の床が私の足元で、ぎいっ、と軋んだ音を立てる。



それに反応するように、茶色い髪を後ろで一つに束ねている女性の後ろ姿が、こちらを振り返った。




「あ、ごめんなさい!いらっしゃいませ。」



 その女性は慌ただしく厨房から出てきた。



「すみません、ついぼーっとしてて。お好きな席にどうぞ。」



愛想のよい笑顔と、申し訳なさそうに縮こまらせている細い肩が印象的だった。


年はちょうど三十歳位だろうか。


黒いタートルネックを着ていて、その上に掛けられたワインレッドのエプロン姿が、

とてもよく似合っている。




私は迷うことなくてくてくと歩き、一番奥にある縁側のソファーを選んだ。


なぜだろう、昔から私は隅っこが好きなのだ。


例えば、バスに乗る時なんかも、一番後ろの角の席を好んで座る。


後ろから誰かが襲い掛かってくるわけでもないのだが、全体を見渡せる場所にいると、

不思議と落ち着くのだ。




吸収されるように沈んでいくソファーの感触を堪能すると、私はひじ掛けに手を置いた。




中学校の椅子とは大違いだ。



なんとなく、私のいない教室で授業を受けている、クラスの光景が脳裏に浮かぶ。


誰も、今頃私がこんなところで羽を伸ばしているとは思うまい。


悪くない気分というか、むしろちょっとした優越感さえ覚える。


そう、これはサボりではない。


検査のためとはいえ、こちらは老人がせめぎあう病院の待合室で、一時間も拘束されていたのだ。


これくらいの報酬があってもいいだろう。


そもそもここに来たのだって、東城という学校公認の養護教諭が指示したことなのだから。





私を問い詰めてくる人間などいないと知っておきながら、

頭の中で言い訳がましく御託を並べていると、先ほどの女性が水を持ってきた。




「はい、こちら、メニューになります。基本的に和食が中心なんですけど、苦手な食べ物があったら言ってくださいね。」



「えーと……グリーンピースがだめです。」



私がそう言うと、ポニーテールの女性はなぜか微笑むように少し笑った。




「はい、わかりました。」




私はそれを見て、はっ、とする。



苦手な食べ物と聞かれてとっさにそう反応してしまったが、和食と縁のある食べ物かどうかまで考えていなかった。


しかし、本当に昔から好きではないのだ。


あのぱさぱさとした食感と、もさっと舌触りが。


それはさておき、この女性の表情から察するに、グリーンピースを使った料理は最初からなさそうだ。



「他にはなにかありますか?」


「いいえ、あとは特にありません。えーと……セットランチでお願いします。」



少し恥ずかしくなっていた私は、そそくさと注文を済ませてしまった。


こーいうお洒落なお店で、いかにも子供らしい幼稚な発言は失態だった。



冷静に考えてみれば、平日のこんな時間帯に、制服姿の女子中学生がカフェでランチとは、結構なご身分である。


不良だと思われていなければいいのだけど。



「はい、じゃあ少し待っていてください。ゆっくりしていってね。」



そんな私の邪推を打ち消すかのように、にこやかな笑みを浮かべると、彼女は厨房に引っ込んでいった。




なんというか、距離感が上手で、よくできた人だと思った。


ここで「学校はどうしたの?」などと聞いてこようものなら、

私はきっと彼女を鬱陶しく思っていたに違いない。



ましてや「グリーンピースは使っていないので大丈夫ですよ。」なんてはっきりと言われた日には、

二度とこの店に来ないことを決意していただろう。




彼女は辻夏樹の奥さんなのだろうか。


そう思うと、私が会いに来た夏樹という男にも、少し興味が沸く。




ほどなくして、木のプレートに乗った料理が運ばれてきた。



「お待たせしました。」



彩り、栄養、そのどちらも丁寧に計算されていると思われる、

見るからにバランスが整ったランチである。


玄米や味噌汁、焼き魚、海藻類の煮物やお浸しなど、健康そうな品々が食欲をそそる。



「ごゆっくりどうぞ。」

 


そういうと、彼女はそそくさと裏にはけていった。





静かに味噌汁をすする。



慣れ親しんだ母の作る味噌汁よりは若干薄く感じたが、野菜のうまみがそれを補っている。



美味しい。



私はほっと息を吐きだすと、窓から差す秋の陽を浴びながら、少し遅めの昼食をゆっくりと愉しんだ。


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