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紫陽花(あじさい)と鴨(かも)  作者: ろいやるぱふ
許容
41/41

◆10年後◆



 結婚式当日、黒崎健人の隣で、私は人生最大の緊張を味わっていた。



 分不相応なウエディングドレスや、非日常的な空間のせいもあったけれど、披露宴のスピーチが近づくにつれて、その緊張は高まっていた。



「大丈夫?」



 強張った私の表情を察して、黒崎健人が心配そうにこちらを覗き込んでいる。



「うん。大丈夫。」



 ほぼ身内だけの披露宴とはいえ、相手方の両親も来ているこの場面で、彼に恥をかかせるわけにはいかない。


 ついに、そのときがやってきた。



「みなさま、今日は私たちのためにお集まりいただき、本当にありがとうございます。私事ではございますが、少しお時間をいただいて、手紙を読ませていただくことをお許しください。」

 


 この日のため、あらかじめ文章を手紙にして書きおろしてきた。



 この手紙を一語一句間違いなく読めば、式は滞りなくやり過ごせるだろう。

 


 私は、手紙の続きを読もうとした。


 でも、どういうわけだろう。



 今に至ってなお、例の虚無感が私を襲った。



 その手紙を読むことに、かつてない違和感を感じ始めたのだ。



 ただでさえ奥手な私のことだ。



 こんな機会でもなければ、本心を伝えられる場面なんてそうそうないだろう。



 今となっては私の一番の理解者である黒崎健人に目を向けると、彼はいつものように軽く微笑んだ。



 私は意を決して、マイクに口を近づける。



「手紙を読もうと思いましたが、それよりも、今この場所で思っていることをお話ししたいと思います。」

 


 これは私のわがままだ。


 でも、たとえ恥をかいたとしても、当たり障りないあいさつでその時間を使うことより、今の私にとってそれは大切なことなのだ。



 過去を受け入れ、決別するために。



「お母さん、そして天国のお父さん。今まで私を育ててくれてありがとう。最近になってやっと、私はそう思えるようになりました。お父さんがいなくなってからの私は、いつも泣いてばかりで、お母さんを困らせていました。本当にごめんなさい。お母さんも辛いんだって分かっていたけど、涙が溢れて止めることができませんでした。でも、ある日を境に、私は泣くことをやめました。私が泣くと、お母さんに余計悲しい思いをさせてしまうと思ったからです。でも、今になって思えば、本当にそれでよかったのか分かりません。私がそんな風に強がっても、お母さんに心配をかける一方だったからです。感情を隠して大人のふりをしても、きっとそれはぎこちないだけだったと思います。気がついたら今日にいたるまで、私はずっと歪んだ愛情表現しか出来ていなかったように思います。もしかするとお母さんも、それに似た歯がゆい思いをしたかもしれません。それでも、今日私が生きていられるということは、お母さんが見放さずに見守ってくれたおかげだと思います。私はまだ親になったことがないので、子供を育てる親の気持ちも、その苦労も、本当の意味では分かりません。いい親ってなんなのかも分かりません。でも、少なくとも私にとっては、あなた以上の母親はいません。お父さんのことを愛していたのと同じくらい、お母さんを愛しています。私は成績が特別いいわけでも、秀でた才能があったわけでもありません。これまでの人生で、特に誇れるものもありませんでした。でも、お母さんとお父さんの子供に生まれたことだけは、胸を張って生きていきたいと思います。そして、こんな私を好きだと言ってくれた健人さんを、私は愛しています。これからは二人で、夫婦として生きていきます。まだ未熟な娘ですが、これからもどうか見守ってください。最後になりましたが、健人さんのお父さん、お母さん。健人さんを産んでくれて、本当にありがとうございます。何かと至らないこともありますが、これからよろしくお願いいたします。」

 




 ああ、言葉というのはなぜこうも不完全なんだろう。





 どれだけ伝えようと思っても、その気持ちにぴたりと当てはまる言葉なんて、この世界には存在しないのかもしれない。




「愛している」という言葉も、口にした途端にチープな響きにしか思えてこない。




 ならばいっそ、この胸に大切にしまっておいた方がよかったんじゃないだろうか。




 気の迷いで、素直な言葉を連ねてはみたものの、それには想像以上の羞恥心を伴うことを私は知った。



 きっと、文脈もめちゃくちゃで、幼稚なこともたくさん言ってしまっただろう。




 けれど、不思議とその後悔は清々しいものだった。

 



 母も、黒崎健人も、目に涙を浮かべて微笑んでいた。




 それを見て、私は思いなおす。



 恥も、後悔も、私のくだらない自尊心が招いている産物に過ぎないのだと。






 そんなもののために気持ちを抑え込むくらいなら、醜く泣き叫ぶ鴨のように、私はこの身をどこまでも汚濁に染めていたい。


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