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紫陽花(あじさい)と鴨(かも)  作者: ろいやるぱふ
白鳥
13/41

◇白鳥◇

僕が言葉を失ったのは、なにも彼女が同性に好意を抱いているせいではなかった。



ただ、それを物憂げに語る彼女の横顔に、不覚にも見惚れていたのだろう。






「そっか。」






しばしの沈黙が、僕らの間に訪れる。



がやがやとした店内の雑音(ノイズ)だけが、その時間を繋ぎとめていた。






すると(おもむろ)に、東城は飲み干したグラスをカウンターに叩きつけた。




「そっか…。って、それだけですか?」


「うん。」


「はぁ…。まあいいです。私、先輩のそういうところ、嫌いじゃありません。」




彼女の上から目線の物言いには慣れているが、どうやら今は覇気も薄れている。


らしくないというか、努めて平常を装っているように感じるのは、おそらく杞憂ではないだろう。



「先輩、図書館で初めて会った日のことを覚えていますか?」



僕と東城が初めて出会った日。


大学の付属図書館に颯爽(さっそう)と現れ、

カウンター越しに僕の読んでいた本を貸し出した日のことを、

僕は鮮明に記憶していた。



「ああ、覚えているよ。」


「先輩の専攻って臨床心理学ですよね?なんでまた、西洋哲学なんて読んでたんですか。」


セーレン・キルケゴール著、死に至る病。


僕はただの気まぐれでその本を手に取り、読み耽っていた。



「別に、専攻している学科の本しか読んでいけないなんて決まりはないだろう。君だって、そのジョッキの中身がビールじゃなくて、ただのアルコールだったら気が滅入るだろう?」



彼女は一瞬その光景を想像したのだろうか。


微かに眉間に皺を寄せた後、三杯目を口に流し込んでは、にこりと笑って見せた。



「それもそうですね。」



魔的な魅力を兼ね備えたこの屈託のない笑顔に、

これまでどれだけの男が儚い幻想を抱いたことだろうか。



彼女の同級生に言いがかりをつけられたことはあったけれど、

彼らにはむしろ同情の念が込み上げてくる。



「さっきの話に戻るけど、君に言い寄ってくる男連中がてんで相手にされないのは、君の趣向に理由があったわけだね。」


「いえ、仮に私が真っ当な性的感性を持っていたとしても、私が彼らと時間を共有するなんてことはあり得ませんね。」



彼らの無念を供養する意味も込めてかけた言葉は、容赦なく一刀両断されてしまった。



「それこそ、海の底の白鳥というものです。」


「その場合、君が白鳥ということでいいのかな。」


「まさか。あることないこと勝手に想像して、欲望という名の海で溺れかかっている愚かしい連中の例えですよ。」



本来、ありえないことを揶揄するはずの諺を、どうすればここまで湾曲した解釈ができるのだろうか。



「それもそうか。君が白鳥なら、海に溺れるなんてこともなさそうだね。ただ、海の上を漂っている。そんな感じだ。」


「どういう意味ですか?」


「若山牧水。海の(こえ)。」



いつだったか、彼女の要望に応えて貸し出したことのある歌集に、こんな(うた)があった。







白鳥は かなしからずや空の青 海のあをにも染まずただよふ







東城は、どうやらその詩を覚えていたらしい。


僕も、少し酔いが回ってきたのだろうか。


軽い言葉遊びのつもりだったのだが、今の彼女には少しばかり悪ふざけが過ぎたようだ。






「先輩、それは的を得すぎて笑えないです…。」




 

空として、男として生きること。



海として、女として生きること。



そのどちらもできず、彼女はただ孤独という名の水面を漂流している。





言い得て妙ではあったが、落ち込んでいる東城の姿を見て、僕は少しばかり憂鬱な気分になった。



人間、誰しも腹に一物抱えているというが、それを聞かされたところで、

他人がどうこうできないことがほとんどだ。



これは持論だが、救済は当事者が自ら手にするものであり、

周囲の人間がそれを救おうなどという考えは、

(おご)り以外の何物でもない。



誰かを頼りたいという感情、祈りや信仰も、一時的な現実逃避でしかなく、

他力本願的な思考は、一種の依存性を伴って、彼らを盲目的な生へと誘うことだろう。






故に僕は、この手の告白に対する共感を拒み、関与することを(はばか)ってきた。










そう、あの日が訪れるまでは――。

 



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