◇告白◇
「いらっしゃいませー!」
大学の最寄りから二駅離れた歓楽街、イタリアンをはじめとした洒落た雰囲気の店が多々ある中、
東上が入ったのは昭和を感じさせる、こじんまりとした大衆居酒屋だった。
東城は通いなれた足取りでカウンターの席に着くと、僕が隣に座るのを待っている。
店内を見渡すと、会社の送別会で盛り上がっている団体客が目についた。
異動か、退職か、いずれにしても主役となる女性が、
花束を片手に頬を赤らめて微笑を浮かべている。
卒業を誰かに祝ってほしい気持ちなどさらさらないが、
送られる側の人間がいつまでも乗り気でないというのも、なんとなくばつが悪い。
僕は気怠さを努めて振り払うと、東城の隣に腰を下ろした。
「生ビール二つ。」
「かしこまりました!」
東城の注文に、威勢のいい返事で答えると、店員は風のように去っていった。
年度末の金曜日ということもあって、忙しいのだろう。
ほどなくして、黄金色が注がれた中ジョッキが二つ、僕らの前に置かれた。
東城はネイルの施された隙を感じさせない指でそれを握る。
あいさつ程度に僕のグラスにそれをこつんとぶつけると、早々に二分の一を飲み込んでしまった。
「相変わらず、いい飲みっぷりだね。」
「それはどうも。先輩もさっさと飲んでください。かわいい後輩が飲みたがっているのに、付き合わないとあっては男の名折れですよ。」
「それは大変だ。まあ、最後くらいこういうのも悪くないか。学内きっての美女の誘いを断ったとあっては、僕も立つ瀬が危ぶまれるからね。」
「…むっ、その件はもういいじゃないですか。済んだことをいつまでも覚えている男はもてませんよ。」
この二年間、彼女とは何度か飲みの席を共にしていた。
といっても、たまたま帰宅途中の居酒屋で居合わせ、
席が近ければ軽い世間話をする程度なのだが。
何度目かで酔いの回った東城にしつこく絡まれ、それ以来、
僕は行きつけだった居酒屋から足が遠のいている。
それからというものの、店の前を通りかかって彼女の姿を確認するや否や、
僕は決まって素通りを決め込んでいるのだが、彼女は僕の姿を発見すると、
店頭まで出てきて一緒に飲むように誘ってくるのだ。
酒を一人で飲みたい身としては、彼女の誘いは鬱陶しくもあり、適当な理由をつけては断り続けていた。
しかしそんなある日、東城の同級生と思われる大学二年生の青年に、僕は突然話しかけられた。
いつも通り、図書館のバイトを終えて、帰路に着こうとキャンパス内を歩いていた時のことである。
「ちょっと、あんた。」
日も暮れて、直に夕闇が訪れかかっている時分、消えかかりの西日が、
彼の胸元に光るネックレスを照らしていた。
「朱美さんとどういう関係だか知らねえけど、あんまり調子に乗ってるんじゃねえぞ。」
それだけ吐き捨て、名も知らない彼は去っていった。
彼女に対して好意を抱く人間だということは、想像するに容易いことだった。
そんなこともあって、時には彼女の誘いに乗ることもあったのだが、
それはそれで具合がよくなかった。
二人で飲み明かしている姿を目撃されようものなら、
別の誰かから似たような言いがかりをつけられてしまうのだ。
そんなことがあった旨を東城本人に報告したところ、
彼女は強引に誘ってくることもなくなったわけなのだが。
「誘いを断ったら妬まれ、誘いに乗っても嫉まれるとあっては、君と関わる男は救いようがないね。」
「まあそんなこと言わないでくださいよ。私に落ち度はありません。文句があるなら、つまらないことで一喜一憂する男どもにいってください。」
自身の美貌が招いている厄災だというのに、それにまったく動じることのない態度は、
ある意味尊敬に値する。
もっとも、僕がそれに巻き込まれている状況については、
まったくもって喜べたものではないのだけれど。
「その点、今日は安心してください。ここなら大学の連中の目につくこともないでしょうし。というか、今日に限って言えば、そんなことは些末な問題なんです。」
気が付くと、彼女は二杯目のジョッキに手をかけていた。
そして何か、重大なことでも語り明かすかのように、真剣な目つきへと変わっている。
「そういえば、聞きたいことがあるって言っていたね。」
「そうなんです!」
若干、酔いも回ってきたのだろう。
彼女は食い気味でそう答えた。
このまま早々につぶれてくれれば手間が省けるのだが、経験上、それは期待できそうもない。
東城朱美は、こうなってからが長いのだ。
「先輩って、うちの大学の大学院生ですよね?」
「うん、なにをいまさら。」
「ということは、うちの大学の卒業生?」
「そうだけど。」
「塚本雅さんという後輩をご存じないですか?」
僕は大学時代の記憶を遡ってみた。しかし、塚本雅という人物に心当たりはなかった。
「知らないな。」
「そうですか…。」
東城は露骨に残念そうな表情を浮かべると、正面の空間をぼんやりと見つめながら、
二杯目のビールを喉に流し込んでいる。
「その、塚本って人、いくつなの?」
「私の二つ年上で、四年生です。この春で卒業します。」
「僕の二つ下か。生憎、交友関係はからきし薄くてね。ましてや学年も違うとあっては、接点を持つほうが難しい。」
「そうですよね…。」
彼女がここまでの落胆ぶりを見せたのは、これが初めてだった。
というよりも、普段は何かに執着する素振りを感じさせない分、新鮮に感じたのかもしれない。
「その人がどうかしたの?」
「ええ。好きなんです。」




