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紫陽花(あじさい)と鴨(かも)  作者: ろいやるぱふ
紫陽花
10/41

◆仮面◆

私は、どちらかといえば人見知りをするタイプの人間だった。



本来、初対面の相手と話をするときは、何かと気を遣う。



ましてや、年齢の離れた異性が隣の席に座ろうものなら、

落ち着いて話そうなどと思いもしないだろう。




しかし、彼の見透かすような瞳のせいだろうか。




彼に限って言えば、初対面というのが、むしろ都合の良いことのように思えてくる。



彼は私のことを何も知らない。



知っているのは、好尚台中学に通う中学生ということと、東城の紹介でここに来た、ということだけだ。



私の過去、性格、生い立ち、それらに対する先入観を持っていないのである。



よく考えれば、これほど話しやすい相手もいないだろう。





いっそのこと



最近自分が感じていた焦りや不安



混沌とした感情のすべて



吐き出してしまえば、少しは楽になるのではないだろうか。









意を決して、私はそれを話そうする。




ところが、声がのど元まで来かかったところで、彼の言葉がそれを遮った。





「冬月さんさ、ペルソナっていうゲーム知ってる?」



藪から棒に、これまでの話の流れを逸脱した質問に、私は彼の意図が掴めなかった。



「いやね、仕事柄色々な人と話をする機会が多いんだけどさ。子どもがそのゲームばかりやって、勉強もろくにしないっていう親御さんがいるんだ。生憎、この年だと若い世代の流行には疎くてね。」




ペルソナ。



聞いたことはあるが、私もその手の流行に詳しくなかったので、彼の要望には応えられそうもない。



「クラスの男子の間で、その言葉を聞いたことはありますが。ゲームはやらないので、私にはちょっと。」



「そっか。」


「あの、仕事というのは?」



私は少し気になったことを訪ねる。


考えてみれば、これだけ客足の少ない喫茶店だけでは、とても生活ができないだろう。


それぐらいのことは、子どもの私でもなんとなく想像がつく。



「ああ。東城くんに聞いたかもしれないけど、大学院で心理学をやっていてね。その流れで、最近は民間企業のカウンセラーをやっているんだよ。お察しの通り、さすがにこんな店の経営だけでは食っていけないからね。この店は半分趣味みたいなもんさ。」



相変わらず、わたしの考えていることはすべてお見通しなのだろう。


そういえば、彼がこの店に入ってきたとき、「梶原の連中も随分落ち着いた。」なんて言っていたような。



「梶原グループ…。」



確証はなかったが、私はその大手企業の名前を口に出していた。



「なかなか鋭いね、正解だ。今日は梶原生命の帰りでね。ビジネスカウンセルっていえば分かるかな。まあ会社専属のお悩み相談室みたいなことをやっているんだ。」



なるほど。東城が私にここを紹介したのにも、それなりの根拠があったのだろう。


大手企業から信用を得ている人物であれば、頼ってみようと思うのも頷ける話である。





「冬月さんは、今、会いたくないなって思う人いる?」





これもまた唐突な質問である。


出会ってまだ数分だが、まだ彼の会話運びには慣れそうもない。


でもなぜか、私の頭は彼の質問に対して、律儀にも答えようとしてしまう。



まるで、彼の発する言葉や問いかけ、その一つ一つに、大切な意味があるように思えてきたのである。






頭の中に、二人の姿が浮かんだ。




一人目は千鶴だ。



心配してくれるのは嬉しいが、今会えばきっと、なんだか申し訳ない気持ちになってしまう。





二人目は母だ。



私が少し陰湿なのだろうか。


先週、病院の検査に付き添ってもらったとき、仮病を疑われたことを、私はどこかで根に持っていた。




「多からず、心当たりはあります。」


「うん、世の中の大抵の人間はそんなもんさ。でも、人並みに生活をしようと思ったら、会社の同僚にしろ家族にしろ、顔を合わせないわけにもいかないだろ?会社の上司やお客さんを無視したら、最悪首になるし、家に帰らなかったら寝る場所だってないんだ。」




彼の言っていることは何となくわかる。


きっと最近の悩み相談というのも、人間関係にまつわるものだったのではないだろうか。




「そういった状況に帳尻を合わせるため、人間は心に仮面をつける。会社に行くときは会社用の仮面、家に帰ったら家庭用の仮面、といった具合にね。この仮面のことを、僕らの業界では『ペルソナ』っていうんだ。」




先ほど、彼の話にあったゲームタイトルの名前だ。



彼が興味を抱いたのも、ただの興味本位というよりも、

自身の専門分野にかかわる言葉だったからに違いない。




「仮面がうまく機能していれば、大概の場合、人間関係はうまくいく。逆に、あまりにも長い時間、同じ仮面をかけ続けないといけなかったり、その仮面が攻撃を受ける場合もある。例を挙げるとすれば、長時間、嫌いな人間と一緒にいることや、不快な言葉を浴びせられることなんかがそう。そうするとね、人間の心は仮面だけを置き去りにして、心がどんどん仮面から離れようとするんだ。殻の小さくなったヤドカリが、新しい貝殻を探すようにね。」


「……ヤドカリですか。」


「例えが分かりづらかったかな。」




 彼は、少し反省した様子だった。




「いずれにしても、人間の体っていうのはそう都合よくできていない。心がいくら逃げようとしたところで、肉体という枠から逸脱することはできないんだからね。結局のところは、仮面も、心も、肉体も、すべては繋がっているのさ。仮面を傷つけられたら、心が痛み、苦しさのあまり暴走する心はやがて、肉体をこじ開けようとして、体が悲鳴をあげることになる。」


「えーと……。人間の心がヤドカリの本体で、肉体が貝殻で……。」


「無理にヤドカリにあてはめなくていいよ。」




彼は諭すように言った。



「なんの話でしたっけ?」


「ペルソナ。仮面の話さ。」



私が混乱から立ち直るのを待った後で、彼は話を続けた。



「この仮面の持っている性質ってのが、ことのほか厄介でね。感情を外に出そうとする力がめっぽう強いんだ。自覚的にも無自覚的のもね。他人の仮面なんて、遠慮なく踏みにじっていく。いわゆる、言葉の暴力ってやつさ。」





言葉の暴力。





他人と程度の違いこそあれ、私もこれまで生きてきて、それを全く経験していないわけでもなかった。


しかし、今後もし、今まで体験したこともないような大きな力でそれが襲い掛かってきたとしたら、

そのときはどうすればいいのだろうか。



「人に何か嫌なことを言われたとして、相手の非を指摘したり、不満を言い返すことでは解決できないのでしょうか。」



 私が恐る恐るそう尋ねると、彼は言った。



「罵声を浴びせられた人間が、瞬発的にまともな反応ができるとでも思うかい?せいぜい、歯を食いしばるようにして耐え、ダメージを最小限に抑えるぐらいが関の山だろう。それに、被害者側の人間ってのは、火に油を注ぐような真似をするほど愚かじゃない。」



そう言ったあと、彼は少し寂しそうな表情をみせていた。



「さっきも話した通り、人の心は肉体から飛び出すことができない。一度虐げられた人間はね、一生その傷の痛みに耐えながら生きていくんだよ。けれど、それにも限界があってね。行き場を求め、体内で暴走する心は時として、弊害になっていた自身の肉体という殻を破ろうとする。これはさすがに、何を意味するか分かるね……?」




心が、肉体という殻を破る……。




これはすなわち、肉体が崩壊していくということ。


もしくは、自らの手でもって、肉体を完全に破壊することを意味している。



ここまできて、彼の会話運びの意図が、なんとなく掴めてきた。





「君はさっき、初対面の僕に対して、普段つけている仮面を外そうとしたんだろう。そのほうが、ある意味話しやすいからね。けれど、それはとても危険なことさ。君がとった、仮面を外そうという行為はね、狂気に満ちた仮面をかぶることと同義だよ。」



「……………………。」







私は返す言葉が見つからなかった。





こんな辺鄙な土地に住んでいる人間相手になら、心の内をさらけ出してもかまわない。



今後の日常生活で、不評がたつこともない。


心の奥底で、私はそう思っていたのではないだろうか。


少なくとも、自身を襲う不快な現象から逃避することに気を取られ、

無意識のうちに彼を利用しようとしていたことは明白だった。





「……すみませんでした。」



 私は顔を俯けながら、かすれた声でそう言った。



「まだ中学生の私に、なんでそんなに難しい話をするんですか。」




私の声色が涙ぐんでいるのに相反して、彼は淡々と言葉を紡いでいく。




「これは僕なりの自己紹介。それにね、子どもは大人が思っているほど子どもじゃないし、大人は子どもが思っているほど大人じゃないんだ。」




それを聞いたとき、自然と涙が頬を伝った。



彼の言葉が、相手を突き放そうとしているというよりも



私の紅潮した頬


そして体温を


ゆっくりと冷やそうとしているのを感じる。






彼の名は辻夏樹。




私は彼の名前から、かつて紫陽花の花を連想していたことを思い出す。





そういえば昔、植物図鑑で花言葉を調べたことがあった。












あなたは冷たい。
















皮肉にも、彼を表するにふさわしい言葉だ。



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