第一話「便器さんの便器愛」
第一話「便器さんの便器愛」
話は一週間ほど前にさかのぼる。
桜の花びらがふわりと舞う四月八日、僕は高校に入学した。
ここは日本屈指の進学校、私立雲の上高等学校。同じ中学出身の新入生は一人もいない。だからこそ、僕はこの高校を選んだ。
人生のモットーはおひとり様ライフを全うすること。
中学時代と同じように、この高校でもまた誰ともかかわらず、密やかな高校生活を送ると心に決めていた。
進学校らしい厳かな入学式が終わった。
よそよそしい雰囲気の中、僕たち新高校一年生はぞろぞろと各教室に戻った。
僕のクラス、一年三組。どこにでもある平凡な教室風景の中で、一際異彩を放っているものがある。名前の順で僕の席は窓側の一番後ろなのだが、その一つ隣の席のことだ。
この席には机はあるが、イスが無い。
イスの代わりに真っ白い洋式便器がまことしやかに設置されていた。
その席に、いや、その便器に、制服のスカートを限界まで短くしている一人の女子が優雅に腰を下ろした。
白い便器にふわりと短いスカートが覆いかぶさる。スカートの中から伸びるムッチリとした柔肌のふとももが白い便器に密着している姿はなんとなく卑猥な感じがした。
なぜこの女子は便器に座っているのだろうか。
クラスの全員が疑問に思いながらも、入学初日ということもあってか、誰も口にできなかったこの疑問の答えは、この後すぐに始まったホームルームで明かされることになった。
沖縄が生んだ世界的ボクサーに似ている口髭をたくわえた担任教師が、名前の順に端から自己紹介を促した。
自己紹介は淡々と進んでいき、注目の女子の番になった。
「稲森東子です。なぜ私がイスではなく便器に座っているのか。不思議に思っている人もいるでしょう。そんな人たちに私は言いたい。便器には安心感があるんです。急にもよおしたとき、便器にたどり着いたときの安心感です! 皆さん一度は感じたことがあるのではないでしょうかっ!」
何を言っているのだ、この女子は。基本的に人に興味が無い僕も、思わずこの女子の顔を見上げた。
そして僕は絶句した。
困惑するほどに美しかった。便器とふとももにばかり目が行って、まともに顔など見ていなかった僕は激しく動揺した。
サラリとしたストレートの艶髪に整った色白の横顔が見えた。時折瞬きする大きな瞳に僕の鼓動は高鳴った。スラリと伸びた鼻筋の下にあるぷっくりとした唇は激しく動き続けている。
「便器が持つ美しさ! 安心感! 私は誰よりも便器を愛しています! 皆さん私のことは親しみを込めて、便器さんと呼んでくださいね!」
周囲がドン引きするレベルの便器愛だった。
便器さんは再び便器に腰かけるとき、僕の事をチラリと見てにこやかにほほ笑んだ。
ドキリとした僕は思わず目をそむけた。女子とは、いや、人とは一切縁がない十五年間だったのだ。こんな僕に微笑み返すような高レベルなコミュニケーション能力などあるはずもなかった。
便器さんには絶対に関わらないようにした方がいい。僕の本能が体の内側からそう言っていた。