進めない
陰山と乙川が部室から出て行ったあと、部室にはとても重い空気が流れていた。
木の葉は俯いたまま黙り込み、柚原は悔しそうな、悲しそうなそんな表情で「・・どうして」と何回も呟き、桜空は静かに泣き続けていた。
彼女たちは別に覚悟をしていなかったわけじゃないのだ。
陰山 悠人が誰かを好きになることは、いつかは来ることだと思っていた。
だが、それがあまりにも突然過ぎたのだ。
しかも、その相手が今日、急に転校してきた人であったのも、彼女たちがこうなってしまった原因だろう
だから、彼女たちは彼に、陰山悠人に想い人ができたことを受け止めきれずにいた。
そんな中、突然、二回のノックがされたあと、部室の扉が開いた。
「おう。久しぶりに顧問が来てやったぞ。喜ぶがいい」
こんな時に空気を一原子も読まない発言をして、部室に入ってきたのは、第二生徒会の顧問、新川 泉先生だ。
新川先生は桜空たちの姿を見ると、さすがにおかしいと思ったのか、柚原に尋ねる。
「どうした?お前ら」
「・・・・・先生」
新川先生の言葉にようやく柚原は気づいたようで、こっちに顔を向ける。
そして、新川先生のと問いに答えた。
「先生。悠人が・・・・」
そこから数分かけて、柚原は先ほどまでの出来事を新川先生に話した。
乙川が転校してきたこと。
乙川が陰山の昔救えなかった女の子であること。
そして、陰山が乙川と恋人になったこと。
その話をすべて聞いた新川先生は顎に手をあて、しばらく考えると、小さい声で呟いた。
「・・・・はぁ。あいつはバカだな」
柚原は新川先生が何を言ったのかよくわからず、キョトンとしていると、新川先生がここにいる部員全員に話し始めた。
「なあ諸君。君たちは何か重要な勘違いをしているようだな」
新川先生の言葉に、木の葉は顔をあげ、桜空は涙を拭った後、新川先生の方へ顔を向けていた。
新川先生はその様子を見た後、さらに話を続ける。
「柚原、お前はその転校生が陰山の昔、助けることができなかった少女のことだと桜空と木の葉に伝えたか?」
新川先生がそう言うと、桜空と木の葉は驚いた表情で、柚原を見る。
「え、ち、ちがうわよ。別に隠そうとしていたわけじゃなくて、あんまり言いふらすのもどうかなと思っただけよ」
「・・・そう」
「・・・そうですか」
木の葉と桜空はそう言いながらも、疑いの目を柚原に向けている。
「し、信じなさいよ!ホントなんだってばぁ!」
柚原は頼み込むように桜空たちに言った。
何だか、このままだと話が違う方向に行きそうだな、と思った新川先生は手を二回大きくたたく。
「はいはい。くだらない争いはするな。それよりも言っただろう。君たちは重要な勘違いをしていると」
その言葉に再び、桜空たちの視線が新川先生の元に集まる。
柚原が「先生も信じていないのね」とか言っているけど、新川先生はそれを思いっきり無視した。
「・・・・勘違い、ですか?」
桜空が不思議そうに尋ねる。
「そうだ。しかも、そのせいで君たちは勝手に落ち込んでいるんだよ」
新川先生は少し笑みを浮かべながら言う。
だが、桜空たちはその言葉を全く理解できないようで、三人で顔を見合わせていた。
「まだ、わからないのか?じゃあ、特別にヒントをやろう。まず、乙川がこの学校に転校してきたこと。そして、乙川が転校してきた初日に陰山と乙川は恋人になったこと。最後に、乙川は陰山が昔、救うことができなかった少女であること。これでわかるか?」
新川先生は自慢げに言ってやったが、それでも桜空たちは理解ができない、というより、悲惨な現実を再び突きつけられて、またブルーになりかけていた。
そんな様子を見て、新川先生は「・・・はぁ」とため息をついてから言った。
「いいか?結論から言うと、陰山は過去に縛られている。乙川 千尋という過去に。そんな陰山が誰かと付き合うだの、付き合わないだのの関係にまで発展すると思うか?」
新川先生がそう言うと、桜空たちはようやくわかったようで、
「なるほど・・・・・」
「それって・・・・」
「ということは、もしかして・・・・」
彼女たちの目には先ほどの落ち込んだ様子はなく、それぞれ何かを考えているようだ
そして、新川先生はにやりと笑って言う。
「まあ本当は今日頼まれた依頼を解決してもらおうと思ったんだが、部長がいないんじゃしょうがない。君たちには違う依頼を解決してもらうことにしよう」
新川先生は彼女たち一人、一人の顔をしっかりと見た後、言い放った。
「彼を、陰山 悠人を、どうか過去から助けてやってほしい」
その言葉を聞いた彼女たちは思い出す。
どれだけ自分たちは陰山 悠人に頼っていたのかを。
どれだけ自分たちは陰山 悠人に助けられたのかを
だから、彼女たちは決心する。
今度は、自分たちが彼を救ってみせると。
******
俺は部室を出た後、ちーちゃんと一緒に下校をした。
そんなことをしたのも、五年ぶりの出来事だったが、そこには感動も懐かしい感じしもなかった。
いや、そんなことを感じるほどの隙間は、俺の心にはなかった、と言った方が適切かもしれない。
なんせ、俺の心を常に支配しているのは過去にちーちゃんへしたことへの罪悪感と、それを償わなければいけないという義務感だけだからだ。
それ以外の感情など俺には抱いている余裕などない。
俺は途中でちーちゃんと別れ、家に帰ると、そのままベッドに倒れ込んだ。
そして、あの言葉を思い出す。
―『君はこの部活に二度と出ちゃだめだよ』―
正直、俺はこの言葉を聞いた瞬間、そんなことはできない、できるはずがないと思ったのだ。
だが、それを思えば思うほど、ちーちゃんへの罪悪感も大きくなっていった。
俺は思う。
おそらく、俺はそれに逆らうことはできないのだろう。
そして、これからもずっと俺は過去にとらわれたまま、一歩も前に進めないまま、過ごしてゆくのだろうと。




