戻る
俺はただ呆然と教室で立ち尽くしていた。
かつての俺の友達であり、大切な人であり、俺が守れなかった少女、乙川 千尋の前に。
「どうしたの?悠くん。まさか、私のこと忘れちゃってないよねぇ?」
そんな俺の様子を見て、ちーちゃんは笑みを浮かべながら言う。
だが、その表情の奥には一切感情などこもってはいなかった。
どうして?何で、ちーちゃんがこんなところに。
だって、ちーちゃんはあの時、俺のせいで・・・・。
本当はもっと喜ぶべきところなのだろう。
なんせ、もう一生会うことができないと思っていた人とこうやって会うことができたのだから。
だが、俺の感情は再会の喜びよりも、過去に彼女を守れなかった罪の意識、結局、今までのうのうと学園生活を送ってきた罪悪感。
その二つの感情だけが俺を支配していた。
「あれー?もしかして、乙川さんは陰山くんと知り合いなのかな?」
「はい、そうですよ。私、昔ここに住んでいたんですよ!でも、諸事情でこの町から出て行くことになっちゃって。だけど、今は私の父の仕事の都合でまたこっちに戻ってきたんです!だから、悠くんとはその時からの友達、いや、ただならぬ関係・・・・かな?」
ちーちゃんは鈴木先生にそう答えると、クラスの男子どもが、俺に野次を飛ばし出した。
だが、俺はそんなことすら耳に入って来ない。
「そうなんだね。うーん・・じゃあ、乙川さんは陰山くんの前の席ね。ちょうどそこ空いているし」
「はい!わかりました、先生!」
ちーちゃんは先生の言葉に従って、俺の席の前に移動し始める。
その時に、俺はとりあえず気持ちを落ち着かせるために座った。
そして、ちーちゃんは俺の席の前に着くと、突然、彼女は自分の唇を俺の耳元まで持っていき、囁く。
「あとで、屋上に来て」
ちーちゃんはそれだけ言うと、席へ座り、先生のいる方へ身体を向けた。
そして、俺は次の休憩時間になるまで、ただただ顔を俯けていることしかできなかった。
******
朝のホームルームが終わった後、俺はちーちゃんに言われたことに従って、屋上へ向かった。
そして、屋上の扉を開けると、そこにはもうちーちゃんがいた。
空は素晴らしいほどの快晴。
だが、それとは裏腹に、ちーちゃんはどこか遠くを悲しげに見つめていた。
「ちーちゃん。来たよ」
ちーちゃんは俺の声を聞くと、ゆっくりと振り返り、俺の方へ身体を向ける。
「本当、久しぶりだね!悠くん。五年ぶり・・・くらいかな?」
「・・・・そうだね」
ちーちゃんは笑顔で言うが、俺は彼女から目を背け、そんな言葉しか出てこなかった。
そして、しばらく沈黙が続いたあと、俺は少し緊張した声で言う。
「・・・・ごめん」
「何が?」
「いや、その・・・・・」
俺はそこで言葉が詰まってしまった。いや、この先の言葉を言うことができなかったのだ。
何だか、もし、この先の言葉を言ってしまうと、またあの時の自分に戻ってしまいそうだったから。
それで、もし戻ってしまったら、二度と帰って来られないようになるような気がしたから。
だが、俺のそんな思いも彼女は簡単に壊す。
「それってもしかして、悠くんが私のことを助けてくれなかったことかな?」
ちーちゃんは教室で見せたような、あの笑顔で俺に向けて言った。
その言葉に俺は再び謝ることも、言い返すことも、言い訳することすら出来ない。
ただ、俯きながら立っているだけ。
「昔、悠くん言ってくれたよね、私を助けてくれるって。かっこよくさぁ。・・・・・でも、結局、悠くんは何もできなかった。そうだよね?」
「・・・・・あぁ」
ちーちゃんの言葉は俺の心をゆっくりとあの時に戻していく。
そして、俺には何もできなかったということを。
何も力がなかったということをまた思い出させる。
「悠くんはひどいなぁ。・・・ほんと、ひどい」
「・・・・・ごめん」
「ごめん?それ本当に思ってる?」
「・・・・・あぁ」
「それは嘘だよ」
ちーちゃんは冷静に、だけど鋭い声で言った。
その時の、ちーちゃんは俺の目を真っ直ぐに見つめ、そして、その目には少し恐怖を感じた。
「それは嘘。だって悠くん、私が私だって気づくまで楽しそうにしてたもん。とってもね。まるで、私のことなんか忘れてしまっているように。私とのことなんか何一つ無かったかのように」
「・・・・そんなことは」
ちーちゃんの言葉に俺は否定をしようとするが、それはできなかった。
もちろん、俺はちーちゃんのことを一時も忘れた日はない。
だけど、俺はちーちゃんを守れなかった。
ちーちゃんを助けることができなかった。
それなのに、俺はいつの間にか未来のことを考えてしまっていたのだ。
咲と早苗と木の葉とこのままずっと一緒に過ごせたらいいなと、そう思ってしまっていたのだ。
それはもう、ちーちゃんを、彼女を忘れてしまっているのと変わらないのではないか。
俺はそう思ってしまった。
「ねぇ、悠くん。昔、言っていたよね。私のためなら何でもできるって」
黙り込んだ俺にちーちゃんは唐突に言った。
そして、尚も彼女は話を続ける。
「それならさ、やって欲しいことがあるんだけど」
ちーちゃんはそう言ったあと、俺に突きつけるように言った。
「悠くん。私と付き合ってよ」
俺はその言葉に驚きを感じたが、彼女の目を見た瞬間、すぐわかった。
これは恋だの、愛だのそんなロマンチックなものじゃない。
いわばこれは契約である。
彼女は、本当は俺にこう言っているのだ
お前は過去から逃げられないのだと。
お前の罪は決して消えることはないのだと。
そして、お前が幸せになることは決して許されないことだと。
俺がしっかりとした意思を持っていれば、こんなことを言われても動じなかったのかもしれない。
だけど、俺は弱かった。それも情けないくらいに。
だから、
俺はまた過去に戻ってしまうのだろう。




