残酷
俺はちーちゃんを救うと決めたあの日から、それを成し遂げるための方法を必死に考えそして思い付いた。
その方法はこうだ。
まず担任の先生に何らかの理由で授業一つ分の時間をもらって、その間に教室で俺がクラスのみんなにちーちゃんのいじめをやめるように説得をする。
しかし俺が説得をする間、先生とちーちゃんにはどこか教室とは別の場所に移動してもらうようにするというものだ。
なぜそうするかというと、先生にいじめの件を明かすとエスカレートするとよく聞くし、あとちーちゃん本人がその場にいたらちーちゃんが傷つくかもしれないからだ。
つまり俺はちーちゃんと先生がいないその授業一つ分の時間にどうにかしてみんなを説得するということだ。
こんなんで上手くいくのかと思う人もいるかもしれないが、俺はなぜだか自信があった。
なぜなら俺は確かに自分の幸せのために人の役に立てることをしてきたつもりだ。
見返りを求めようなどとは一度も思ったことはない。
だがちーちゃんを救いたいという、ちーちゃんを幸せにしたいという願いを聞き入れてもらえることはできるのではないかと。そう思ったからだ。
もし俺が誰かの役に立つことができていてその誰かが俺へ感謝という気持ちを抱いているのならば、それをちーちゃんのために使ってくれるのではないかと。そう思ったからだ。
だから俺はこの手段でちーちゃんを救おうと考えた。
これがちーちゃんもクラスのみんなも俺も全員幸せになれる。
唯一の方法だから。
******
もうすぐ夏休みに入るというある日、俺は計画通り担任の先生から授業の一つ分のクラスのみんなを説得する時間をもらった。
ちなみにどうやって先生に時間をもらったかというと、ちーちゃんがもうすぐ誕生日だからプレゼントをクラスのみんなでしたいので、その相談をさせてほしいと頼んだら快く時間をくれた。
もちろんちーちゃんの誕生日なんてのは嘘である。だが、そう言うことで自然に説得をする時間はちーちゃんも教室にはいないことになる。
誕生日プレゼントの相談に本人がいては元も子もないからな。おそらくそこだへんは先生が上手く連れ出してくれるだろう。
よしこれで準備は整った。
あとはちーちゃんを救えるかどうかはすべて俺にかかっている。
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そしてその日はやってきた。
予想通り先生はちーちゃんを連れて教室から出て行ったので、これでちーちゃんや先生にはこれからする話を聞かれる心配はなくなった。
俺は念のため廊下に出てちーちゃんと先生が本当にいないことを確認すると再び教室に戻り、黒板の前にある教卓に立った。
先生が急にちーちゃんを連れていなくなったこと、俺がなぜか教卓に立っていることもあって、教室にいるクラスメイトは少し戸惑っているのかざわついていた。
俺はそんなざわついているクラスメイト全員に聞こえるように言った。
「みんな聞いてくれ」
俺がそう言うと、一人の男子生徒が反応する。
「どうしたんだよ悠人?なにかのサプライズなのか?」
「サプライズというわけじゃないんだ。みんなには少し真剣な話がある」
俺はまだざわついているクラスメイトを静めるように声のトーンを落として言った。
俺がそう言ったあと、ようやく話の重さを察したのかクラスメイトは誰も話さなくなる。
そしてしばらく沈黙が起きたあと、さっきとはまた別の男子生徒が俺に言った。
「悠人それで話ってなんだよ?」
「話っていうのはな、このクラスで行われているいじめの件だよ」
俺が少し強い口調でそう言うと、一気にクラスの空気が変わった。しかも全員が俺から目を逸らす。
俺はこのとき初めて知った。
俺はクラスメイトの何人かだけがいじめをしていると思っていた。
だが、おそらくそれは違う。
ちーちゃんをいじめていたのは何人かじゃない。
このクラス全員でちーちゃんをいじめていたのだ。
あんなひどい目に遭わせていたのだ。
俺は一瞬怒りでどうにかなりそうになってしまいそうだったが、それをどうにか抑え、話を進める。
「俺はちーちゃんへのいじめをなくしたいと思ってる」
「ちょ、ちょっと待てよ。まさか俺らがいじめをやってるとか言わないよな」
男子生徒が明らかに動揺しながら言う。
「お前ら以外誰がいるんだよ。俺は全部知ってるんだ。いまさらどんな嘘言ったって騙されないよ」
そう俺は知っている。
ちーちゃんがどれだけの悲惨なことをされていたかを俺はこの目で見たのだ。そして俺はちーちゃんを救いたいと思った。
だから俺はこの場にいるんだ。
俺の放った言葉に男子生徒はおろか、他のクラスメイトも言い返すことができなかった。
「なんでみんなはあんなひどいことをするんだ。どうしてだ」
そう。
なぜちーちゃんがいじめられるのか俺にはわからない。
だってちーちゃんはただ優しすぎるだけの一人の女の子というだけなのに。
なにも悪いことはしていないのに。
だから俺は決めたんだ。
そんな彼女を救いたいと。
「お願いだ。もうちーちゃんへのいじめはやめてくれ。俺はちーちゃんの辛い顔苦しんでいる顔は見たくないんだ。だから、だから頼む」
俺は頭を下げてクラスのみんなに俺の気持ちがしっかり伝わるように強い声で言った。
このとき俺はクラスのみんなを信じていた。
間違った選択はしないと。正しい道に戻ってきてくれると。
だが、あとになって考えてみると、俺は間違いだとか正しいだとか信じるだとかそれっぽい言葉を自分の心の中で並べて自分の行動に自己満足していただけだったのだろう。
あるいは自分自身を過大評価していたのかもしれない。
人の幸せを考え行動してきた自分ならば誰かを助けられると。
そんなバカげたことをその時は思っていたのだろう。
だから俺はちーちゃんを、彼女を、
救えなかった。
「バカじゃねーの。俺たちには俺たちの事情があんだよ」
一人の男子生徒が言った。
「そうだよ。だいたいあの子、私全然好きじゃないから仲良くなんて無理だし」
一人の女子生徒が言った。
「ってか悠人。ちょっとなんでもできるからって調子乗りすぎなんじゃねーの」
そして最後に一人の男子生徒が言ったあと、クラス全員が一斉に俺を非難した。
俺はその瞬間、頭が真っ白になった。
どうしてこんなことになってしまうのだろうか。
俺はただ一人の女の子を救いたかっただけなのに。幸せにしたかっただけなのに。
この時俺はようやく気付いた。
俺は・・・・・・・・・・・・・・・・・無力だ。
この日の俺の行動から得た結果は、いじめられている少女の件は解決しないまま、ただいじめられる少年が一人増えただけだった。
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夏休みまで残り一週間となるある日、俺はいつも通り学校に登校して靴箱に向かうと俺の靴はそこにはなかった。
あの説得を失敗した日から一週間、ほぼ毎日こんな感じだ。
最初は探すのが面倒だったが今はもう慣れたもので、大体隠されている場所の見当はついている
俺は一階の低学年の教室に着くと、そこにあるゴミ箱を開けた。
そこには予想通り落書きでボロボロになっている俺の上靴があった。
俺はそれを当たり前のように履くと、自分の教室に向かった。
俺は階段を上がりしばらく歩いて、自分の教室に着くとそこには一人の少女だけが座っていた。
その少女の後ろ姿はとても寂しそうな雰囲気が出ていた。
「ちーちゃん」
俺がそう言って声を掛けるとちーちゃんは座りながら上半身だけくるっと俺の方に向ける。
「あ、悠くんだ」
ちーちゃんは元気よくそう言うと、今度は椅子ごと俺の方に身体を向ける。
俺はちーちゃんがそうしたので、自分の席ではないが、今だけちーちゃんの後ろの席に座ることにした。
「ちーちゃん。今日は何して遊ぶ?」
俺がそう尋ねると、ちーちゃんはなぜか急に悲しげな顔をした。
「?どうしたのちーちゃん?」
「悠くん。どうして私を助けようとしたの?」
俺は彼女の唐突に放たれたその言葉に驚きのあまりなにも言うことができなかった。
「ねぇ。どうして私なんかを助けようとしたの?」
「な、なんのことだよ。俺は何もしてないぞ」
「・・・・私ね、知ってるんだ。悠くんが私を助けようとして、そのせいで悠くんが今ひどいことされていること」
俺はちーちゃんの言葉を聞いて思った。
たぶんちーちゃんにはどんな隠し事もできないのだと。
もうそこまでの関係になっているのだと。
だから俺はもう隠すのはやめることにした。ちーちゃんのために。
「俺は確かに今ひどいことをされている。しかもたぶんその原因はちーちゃんを助けようとしたからだと思う」
俺の言葉にちーちゃんは顔を俯かせる。
「でもな」
俺がそう言うとちーちゃんは顔を再び上げた。
「俺はちーちゃんを助けようとしたことに微塵も後悔はないよ。だって、ちーちゃんは俺にとって、とても、とても大切な人なんだ。だからその大切な人を救うためなら、俺はどんなことだってできるよ」
俺は少し笑みを浮かべながらそう言ってちーちゃんの顔を見ると、ちーちゃんは泣いていた。
そして泣きながら俺に言った。
「ゆ、悠くん。ありがとう。でも・・・でもごめんね・・・・ごめんね」
「なんで謝るんだよ。別にちーちゃんは何も悪いことはしてないんだ。だから謝らなくていいんだよ」
「でも・・・・でも・・・」
ちーちゃんは言葉にならない言葉を言いながら、ぼろぼろ涙を流している。
そして俺はそんなちーちゃんの姿を見て決断した。
「ちーちゃん。俺はどんなことがあってもちーちゃんを守るよ。絶対に」
俺がちーちゃんの目を真っ直ぐ見つめて言うと、ちーちゃんは涙をぬぐってから笑顔になって言った。
「お願いします!」
そう俺は決めたんだ。
ちーちゃんを、彼女を守っていくと。
たとえ俺がどんなひどい目になろうとも彼女だけは守って、いつか、いつか助けたい。
だが、俺のそんな願いはこの世界によって簡単に消えてしまう。
明日から夏休みというある日、俺はいつも通り起きて用意されている朝ごはんを食べていると、急に台所にいる母親が話しかけてきた。
「そういや悠人。あんた知ってるかい?」
「何が?」
「あの、あんたとよく遊んでる女の子いるでしょ」
「あぁ。ちーちゃんね」
「あの子ね、転校するんだってさ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・え?
俺は母親の言葉を聞いた瞬間、自分の何かが崩れる音がした。
ちーちゃんが・・・・・・・転校?
「それって、本当?」
「あぁ。本当さ。なんかいじめが原因らしくてね」
「母さん転校っていつするかわかる?」
「え、えっと・・確か今日の朝って言ってたような・・・・」
バンッ!
俺は勢いよく自分の席を立って家を出て行った。
そして全力で走ってちーちゃんの家へ向かう。ただひたすら全力で。
そして俺はちーちゃんの家の近くまで着くと、一台の車が見えた。
俺は最後の力を振り絞ってその車まで走っていくと、そこにはちーちゃんがちょうどその車に乗ろうとしているところだった。
「ちーちゃん!!」
俺はちーちゃんに聞こえるようにちーちゃんの名前を叫ぶ。
そうすると、ちーちゃんに届いたようでちーちゃんは俺の方を向いてくれた
「ちーちゃ・・・・!?」
俺がもう一度ちーちゃんの名前を呼ぼうとしたとき、俺はちーちゃんの表情を見ると呼ぶのをやめてしまった。
ちーちゃんが俺に向けた表情は涙であふれていた。
その涙は今までで一番悲しく寂しいものだった。
そしてちーちゃんはその表情をさせたまま俺に言う。
「悠くん・・・・・・・・・・ごめんね」
これが俺とちーちゃんが交わした最後の言葉だった。
俺はちーちゃんを乗せた車が見えなくなるまでその場に立ち尽くしたあと、俺は最後に俺に見せたちーちゃんの最後の表情を思い出していた。
悲しみ、苦しみ、寂しさ、辛さ、そういうものがすべて含まれた表情。
そしてちーちゃんをそんな表情にさせてしまったのはこの俺だ。
俺はちーちゃんを守れなかった。
俺はちーちゃんを救えなかった。
俺はちーちゃんを幸せにできなかった。
俺は・・・・・・・・俺は・・・・・・・・。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
俺は空に向かって叫んだあと、ひたすら走った。走って、走って、走り続けた。
そして俺はしばらく走り続けたあと、なぜか俺が通っている道場に入った。
バンッ!
俺が道場のドアを勢いよく開けると、そこには俺の伯母である新川さんがいた。
「どうした?悠人?」
「新川さん。俺、おかしいんです」
俺がそう言っても、新川さんは俺の言葉を理解できないような表情をしていた。
「俺・・・・・・・・真っ白なんです」
「?なにがだ?」
「真っ白なんです。俺の・・・・見ている世界が」
そう。
俺の目に映る世界はその言葉通り真っ白だった。
よく生きている意味がなくなった人や、つまらない日常送り続けている人が灰色の世界などというが、それは違った。
本当は灰色なんかではなく真っ白なのだ。
そしてただ真っ白なだけで、建物も景色も何も見えない、何もわからない。
ただ俺という人が真っ白な世界にポツンと一人いるだけ。
それが俺の見ている世界。
俺はなぜこんなことになっているのかは何となくわかっていた。
おそらく俺はこの世界を、現実を、諦めたのだろう。
期待して裏切られるより、諦めてこの世界を見ないことにしたのだ。
そして俺はこの時ようやく気付いた。
世界は――――――――――――――――――――――――残酷なのだと。




