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ニブチン  作者: 武井
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みえっぱり

 大学に入って初めてのテストをあと一月程に控えて、右も左もわからなかったぼくは、その日たまたま隣の席に座っていた女子学生に声をかけた。

「ねぇ、テスト勉強ってどういうふうにすればいいのかな?」

その時の彼女の、呆気にとられた顔は忘れられない。そして、その後のセリフも。

「テスト勉強っていうくらいだから、テスト範囲を調べて、その内容を頭に入れればいいんじゃない?」

その声色は少し嘲笑めいていて、ぼくは恥ずかしくなって何も言えなくなってしまった。そんなぼくの様子があまりにもいたたまれなかったのか、それとも怒らせてしまったと思ったのか。彼女は焦った声で続けた。

「あ、あの。わたし過去問いくつか持ってるから、あげる。この授業後にコピーしに行こ」

 その日、コピーさせてもらったあと、お礼にと晩ご飯に誘ったのだけど、バイトがあるから、と断られてしまった。じゃあ日を改めて誘いたいから、とぼくは連絡先を教えてもらった。彼女は山崎ゆかりという名前だった。


 テスト期間までの一ヶ月、ぼくはゆかりさんにメールをたくさんしたし、時には呼び出して、ファミレスでメロンソーダを飲みながら話をした。そして、いろいろなことを知った。哲学とはなにか。経済学の本質は。英米文学の味わい方。三角関数微積分。すべて、テスト範囲の内容だった。ゆかりさんは、すぐにメールの返事をくれたし、バイトがない限りは少し不機嫌になりながらも必ず呼び出しに応じてくれた。そして、単純明快快刀乱麻な言葉を以てして、ぼくの脳髄に必要な知識を染み込ませていってくれた。


 そんなゆかりさんのおかげで、すべてのテストをうまく切り抜けられたぼくは、お礼にご飯をおごることに決めて、メールを書いた。

『山崎さんのおかげで無事にテストを切り抜けることが出来ました。お礼にご飯をおごります。明日の夜、いつものファミレスでどうですか』

『いえどういたしまして、お役に立ててよかったわ。明日はアルバイトだから、明後日ではダメかしら?それに、せっかくおごってもらえるのなら、大学近くの「風雅亭」ってお店に行ってみたいのだけど、どう?』

テストが終わって夏休みに突入していた暇びたしの大学生であるところのぼくに、彼女の希望を断る理由はなかった。風雅亭って、どういうお店なんだろう、高いのかな?などとちょっとかっこ悪いことを考えながら、明後日を待った。


 待ち合わせは、大学の正門前だった。正門の柱に体を預けて時計を見ていたゆかりさんは、すこしだけ嬉しそうな顔をしていたと思う。ゆかりさんは近づいてくるぼくに気づいて小さく手を振った。

「ごめん山崎さん、待たせちゃった?」

「んーん、いま来たとこ」

む、これはなんだか、恋人同士みたいだぞ、ただのテストのお礼なのに、と少し笑いそうなのを我慢しながら、お店のことを聞いた。ここから五分とかからないところで、風雅亭というのはスパゲティ屋さんらしい。問題だったお値段の方は、だいたい七百-千円といったところで、ぼくにも十分対応できる額だった。


 小さな店内は、テーブルが六脚あって、そのどれもが二人がけだった。テーブルの上にはろうそくが置かれていて、店内の照明は暗くて、いわゆるいい雰囲気の店だった。とってもジャジーな音楽が流れている。

「なんだか、かっこいい店だね。こんなの初めて」

ゆかりさんは、そう言うぼくを見て薄い微笑みとともに小さく頷いた。なんなんだろう。もしかして、バカにされているのかも?などと思った。席についた僕らは、メニューを開いた。ぼくは、スパゲティなんてナポリタンかペペロンチーノしか食べたことがなかったから、カルボナーラとか、パルミジャーノとか、ボロネーズとか、見たことのない文字の羅列に密かに圧倒されていた。少しだけ強がって、平気なふりをしていたけれど。

「ねぇ、どれにする?私はね、ペペロンチーノ」

ペペロンチーノと言ったゆかりさんをみて、ぼくは少し安心したとともに、彼女を侮る気持ちが生まれた。ペペロンチーノかよ。ぼくでも知ってる、ペペロンチーノかよ。そこでぼくは気が大きくなって、少し冒険してみることにした。

「じゃあ、ぼくは、スパゲティ・ネーロ」

なんだかよくわからないけど、多分大丈夫だろう。きっとゆかりさんもなんだかよくわからなくて、ぼくを少し尊敬することだろう。ふふ。と思うのも束の間。

「うえ、よくソレ食べれるね。わたし、ちょっと無理なんだよなー」

とのこと。ゆかりさんは「スパゲティ・ネーロ」の正体を知っているうえにそれが苦手…。もしかして美味しくないのかもしれない。そう思うとたちまち不安になってきた。しかし、もうここで引っ込みはつかない。これで押し通すしかない。

「ま、まぁ好みが分かれるところだよね…」

そういうぼくの顔を見るゆかりさんは、少し笑ったような気がした。


 そのうち、料理が運ばれてきて僕らの目の前には温かなスパゲティが並んだが、僕は絶句していた。「スパゲティ・ネーロ」は真っ黒だった。真っ黒いソースが麺に一様に絡められていて、緑の葉が申し訳程度にちょこんと乗っけられていた。一体これはなんなんだ、と思っていると、

「うわーわたしやっぱりこの見た目がちょっとダメで」

とゆかりさんは言った。たしかにこの見た目はダメだ。ぼくもダメだ。どうしよう。と思ったけれど、好みが分かれるかもね…、などとさっき言ったばかりなのでそれこそもう引っ込みがつかない。えいままよと、口に入れてみた。

美味しい。少し生臭いとも言えるけれど、香ばしい海の味がして、例えるなら、いや、今までこんなものは食べたことないけど、美味しい。安心からか、ぼくの顔はほころんで、つい、おいしい、おいしい、と口に出していた。

「そんなにおいしいの?ちょっと、ちょっとだけちょうだい?」

とこちらにフォークを伸ばしてきて、2本くらいの麺を巻きつけて食べた。

「わぁ、おいしい。イカスミスパゲティってこんな味がするんだね。いままで敬遠してたのちょっと勿体なかったかも」

ゆかりさんは言う。イカスミ?これ、イカスミだったのか?うえ、イカスミってこんな味がするんだ!とぼくは心のなかで少し感動していたけど、口には出さなかった。乗りかかった船だ。隠し通すぞ。



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