究極下での審判
エイノさん申し訳ありません。サブタイトル、これ以外にいいのが思いつきませんでした・・・。
彼女は激怒していた。
肩を怒らせ、激しく息を乱した彼女の足元には、デジタル時計が転がっていた。いや、正しく言うとそれは時計ではない。なぜなら、本来時間を表示するはずのディスプレイには、今は何も映っておらず鈍く光を反射している。さらにその上には二つのボタンがついていた。
強く床に叩きつけたはずなのに傷ひとつ付いていないそれを見やり、彼女はため息をつく。
「冗談じゃないわ・・・・」
小さく呟き、彼女は昨夜身につけた寝間着がわりのワンピースを脱ぎ捨てた。
決して大きくはない浴室に、水が滴り落ちる音が響き渡る。
剥き出しになった胸や、腕に当たっては滑り落ちていく水の心地よさを感じながら、彼女はつい先程あった出来事について思いを巡らせた。
『おはようございます』
今朝、目が覚めた彼女の視界に真っ先に飛び込んできたのは、その言葉。呆然とする彼女の目の前で、時計もどきのディスプレイにさらなる文字が浮かび上がる。
『小林 芽衣子様。今日はあなたを試させて頂こうと参りました。
私は、あなたの犯した罪を知っています。』
彼女の顔がみるみる色を失う。確かに彼女はつい一ヶ月前に、あることを実行していた。だが、いったい誰がそれを知り得ただろうか。
『私は、明日の午前7:00に、あなたの行動、その結果起きた全ての出来事をネットにて公開します。さて、ここであなたにひとつチャンスを与えましょう。
緑のボタンをご覧下さい。そちらはあなたが殺した旦那様の命でございます。そちらを選択すれば、あなたの罪を公開いたしますが、もれなく旦那様が生き返ります。
続いて、赤いボタンをご覧下さい。そちらはあなたの社会的な命でございます。そちらを選択した場合、あなたの罪は永遠に闇に包まれるでしょう。ただし、それだけです。』
そこまで読み、彼女は時計もどきを床へ投げ捨てた。タチの悪い悪戯だった。
あの条件、ボタン・・・・否応なく自分が犯したことを思い出し、気分が悪くなる。水を止めると、彼女は浴室の壁に寄りかかり、目を閉じた。
浮かんでくるのは、かつて夫と呼んだモノの残骸。あの時、彼は確実に死んでいたはずだった。彼女自身がそうなるように仕向けたのだから。後悔はしていない。ただ、今更のように悲しみが時折こみ上げてくるのだった。それはきっと、彼が残したあの手紙のせいだと思う。
『愛している』
彼女はゆるゆると目を開いた。浴室の大きな鏡には、とても四十路近くとは思えないほどの美しい女の肢体が映っている。
けれどもあの人は・・・・彼女は再びため息をつくのだった。
石橋 圭吾は家族を愛していた。彼は特別裕福なわけでも、貧しいわけでもない平凡な家庭に育った。
それでも、自分や母親のために一所懸命にはたらく父親を尊敬していたし、そんな父親にも、自分にも優しく、時に厳しく叱っては、自分のために本気で泣いてくれる母親のことを愛していた。
彼は両親が、およそ喧嘩らしい喧嘩をしているところを見たことはなかったから、当たり前のように二人は愛し合っているのだと思っていた――あの時までは。
あれは、彼が17歳になった夜の出来事だった。彼が自分が17年という長い歳月を生きたことに、特に感慨などを覚えることもなく、いつものように眠ろうとしたときのことだった。
「ただいまぁ~」
そんな声と共に、玄関の扉がバタンと開く音がしたかと思うと、どさり、と何か重いものが倒れる音がしたのだった。それは、毎月のように彼の家で起きる恒例行事。ぐでんぐでんに酔っ払って帰ってきた父親のもとへ駆けつけた彼が見たのは、やはり駆けつけた母親の姿。
いつも優しい微笑を浮かべ、父親に声をかけているはずの母親が、恐ろしく冷たい目をして包丁を掲げている姿だった。
間一髪で止めに入った彼が訊ねると、母親はゆっくりと話し始めた。
変化のない生活に耐え切れなくなった。夫との縁を断ち切り、自由になりたかった。どうして止めたのか、と。
それは恐ろしく自己中心的な考えだった。それなら、父さんにそう言えばいい、何も殺すことはないだろう?! そう怒鳴った彼に彼女は力なく首を振りうなだれる。
夫は自分を見てくれない。もう何年も前から自分は夫にとって、妻以上の意味を持たないものとなってしまった。自分が何を言っても夫は聞き入れようとしてくれない。ましてや、離婚なんて言ったら・・・・。彼女はついに声をあげて泣きだしてしまう。彼に出来ることは何もなかった。
彼の母親はそれから徐々に壊れていった。
父親の前では、いつもどおりの笑顔を浮かべ理想の妻として振る舞いながらも、彼の前では幾度となく涙を見せ、すがりついては、どうしたらいいかと叫んだ。
そしてついには自殺まではかった母親を見て、彼はある計画を立てる。それは、母親にとっては自らの手を汚さずに夫を消すことができる夢のような計画であった。
ある朝、彼と母親はその計画を実行に移す。そして、それは全てが母親にとってうまくいった、かのように見えた。
彼は父親を救うための計画を、母親に内緒でたてていたのだ。そしてそれは同時に父親の真意を知ることができるはずの計画。
首を吊ろうとしていた父親のもとを彼は訪ねる。驚く父親に彼は全てを打ち明けた。母親の思い、そこから生まれた計画についてを。そして彼は一番聞きたかったことを父親に訊ねたのだった。
―――母さんを愛していますか。
その問に父親は間発入れずに、もちろんだ、と答えた。その目には迷いや、生き残りたいがための狡猾な意志などは微塵も宿ってはいなかった。
その後、彼は父親を死んだように見せかけると、駆けつけた母親とともにその場を立ち去ったのだった。
そして今、彼は父親とともにある計画を実行していた。
全ては、あの幸せだった日々を取り戻すために・・・・彼はそっと息をついて歩き出した。
次で、完結します。