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いつもそうだ。
いつまでも夢を見るな。そんなことばっかり言っていると、オカルト信者としか思われないぞ。お前は現実を見たらどうだ?
父さんも母さんも。先生も友人も。
自分だって分かってはいるんだ。
「……でも、絶対できると思うんですよね」
私は小さくぼやいた。それに頷くのは佐上教授だ。佐上教授はふかしていたタバコを側溝に投げ捨てると、ベンチに座った。そして、カバンの中からプリントを取り出して私に見せてきた。紙のはしが折れて肝心の題名が見えない。
どうやらプリントは細かなアルファベットで書かれた記事の切り貼りのコピーのようだ。私は苦笑しながら、紙を開いた。
「世界の事例……?」
「そうだ。この記事は世界各地で過去から記録されている、生身の人間の浮遊事例の切り貼りだ」
教授はそう言いながら私にそのプリントを渡してきた。
「1879年、フェルサスで少女の身体が浮く事件が発生、幸い2メートル程度で落下したため命に別状はなし。1926年、イムト中部の寺で修行僧の身体が浮き渓谷に落下、この事件は眉唾としてフェルサスに切り捨てられているが」
その記事を読み始めた私に教授がなにやら話しかけてきたが、もはや私にはその話を聞いている余裕などなかった。黙々と記事を読み進める。
そんな私に教授は横から私の読み進める記事のとある部分をトントンと指で叩いてきた。
「90年代でも各地で姿が確認されているぞ。1999年イェキティト、ネオティラタン遺跡でも約4000人近くに空を飛ぶ人型が目撃されている。……これはUMAとして有名じゃないか?」
「……フライング・ヒューマノイドですか?」
その話は知っている。UMAだUFOだ、そういうものが流行った時代にでてきたひとつとして有名だったと思う。しかし、それより早くこの記事を読み進めたいんだけども。
そんな気持ちが顔にでていたのか、教授に苦笑されてしまった。しかも持っていた記事を奪われた。……むう。
恨めしげな視線を送っていると、教授はぷっと吹き出した。
「そう焦りなさんな、小峰君。確かにこの話は世間を賑わせたし、もはやイェキティト名物と言って差し支えないだろう。むしろ娯楽的な印象を受けてもしかたないかもしれないが、目撃者をみてくれ。4000人だぞ、4000人。それだけの人数がみているんだ」
教授はそう言うと目を輝かせた。そしてプリントをくしゃりと握りつぶす。
「何も私とて、一時期のUFOブームの際に出た事例を鵜呑みにして現実には不可思議な力が満ち溢れているんだ! などとオカルト信者のようなことを言っているわけではないのだよ。長い歴史のなかでも科学では説明しきれないことはたくさん起きている」
そうだった。教授は歴史、ひいては考古学を専門として史学科の教鞭をとっている。別にオカルト信者でもなければ、SFオタクでもない。私はそれをハッと思い出して教授を見た。
教授はいつも通り、疲れたような無表情だったが、少し得意げな雰囲気を醸し出していた。
「史学とはどんな学問だ?」
「歴史を研究する学問ですよね?」
「半分正解。だが、ではどのように?」
「……それは――」
唐突な質問に私は押し黙った。そんな私の反応を予期していたのだろう、教授は咎めることもなく、指をたてた。
「史学とは多数存在している史料――まぁつまり伝記だとか古典の日記とかいろいろ見た上でどれが事実か判断していく学問と言っていいだろう。なにしろ人が書くもんだ、筆者の間違いや事実の捏造はたくさんある。その中から正解と思われるものを取捨選択して物語を組み立てるパズルゲーム。まあそんなところだな。……私がいつも授業の導入で言っていることなんだが」
「ごめんなさい」
私は素直に謝った。専攻しようともしていない授業に毎回でるほど私は真面目な生徒じゃない。……今度からはでるようにしよう。今日だけで、いろいろ佐上教授にはお世話になってしまったことだし。
「長い人類の歴史で、到底情報が伝わらないような環境で、各地には空を飛ぶ人間という同じ物語が多数語られている。この、フライング・ヒューマノイドに関してはおいて置くとして。――それだけで、史学的にいえば『人間が空を飛ぶ』という『発想』自体は史実、つまり真実の歴史として扱っていいのだよ」
「世界各地で……」
「そうだ。どう考えたっておかしいだろう? まったく同じような発想を、事実じゃないとしたら離れたところにいた人間がどうやると言うのだ? 小峰君、君は肋骨少女やノアの箱舟の話を知っているな?」
「はい。有名じゃないですか。肋骨を食べる少女の話ですよね。あとノアの箱舟はー……神を怒らせた罰で大洪水を神が起こして、唯一ちゃんと信仰をもっていたノアが箱舟つくって動物と一緒に助かる話ですよね。こっちは聖書でしたっけ?」
唐突にでてきた有名な神話に疑問符を浮かべながらも答える。教授は満足そうに頷くと、立ち上がった。
「これらは聖書以外にもでてきてな。アフリトの奥地とか、アマゾフの民族とか、イムトの高山地帯とか。外の世界と交流をもっていなかったところの民話に似たようなのがたくさんあるんだよ。これを肋骨少女現象と私は呼んでいるのだがね、とまぁ教授らしく自分の科目の宣伝をしとこうじゃないか。では、私はこれで失礼する。今日は史料の納入があるのでね」
そう言って伸びをした教授はベンチに座ったままで教授の行動に慌てる私に手を振ると歩き出した。思わずぽかんと呆けてしまう。そして距離が随分と離れてしまったところでハッとして立ち上がった私に、教授は振り返ると指を向けてきた。
「鳥だって巣立ちのときに失敗して落ちる奴もいるんだ。今度からは平地で練習するように! 間違っても屋上から飛び立とうだなんて考えるなよ!」
そう言ってウィンクを決めた教授だったが、はてしなく似合っていなかった。