2/11 星に一番近い場所へ
死に様よりも生き様を示せ。
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「ハッピーバースディです。起きてください」
少年はすぐさま覚醒した。
しかし、目を開けているのに周りは真っ暗であるーーおまけに自分の声の反響から個室、公衆トイレくらいの空間に閉じ込められていることがわかる。そして、この個室には心当たりがひとつあった。
「ああ、ここは卵の……」
……中なのか、と独り言をもらす。
コロンブスの卵にボクは乗ったんだな、乗ってしまったんだな、と。
けれど、少年の記憶とはすこしだけ雰囲気が違うーーもっと生命エネルギーにあふれた空間だったはずなのに、いまは閑散としている。一刻もはやく出たい気持ちにさせるほどに。
そう思った矢先、ーー少年は奇妙な音を聞いた。
コツン、コツンと壁を叩く音、ノックする低音である。
「はやく目覚めてください、出番ですよ」
と、ふたたび細く澄み渡った声が響いた。
卵の外から少年を呼びかけに戸惑いながらも、声の主を見てみたいと願う気持ちが膨らんでいくーー狭い個室に閉じ込められたせいで人肌恋しかったことも要因の一つにあげられるだろう。
だが、出口が見当たらなかった。
見渡すかぎり壁で覆われているーー目が慣れてきて、ようやく把握できた。
真っ白い壁、壁、壁を前に手を当てながら思案する。
「この卵は壊してしまってかまいません、元からそういうものなのです。あなたの思ったように、好きな方法で殻を破ってください」
そとの透き通る声はこちらの状況を察したかのように言う。
ーーやはり、この卵のことも知っている。
とりあえず、少年は言われた通りに殻を破ることにしたーーすぐに決断を下す。
真正面の白い壁を、一本拳で殴りつけた。
コロンブスの卵は小気味のいい音を立てて貫通した。薄い窓ガラス程度の強度しかない卵はきもちいいくらい簡単に崩れていく。破壊した穴からはまばゆい光が顔を出す。
「……光、そとの光だ」
何時振りだろう、と少年は思う。光を奪われていたからこそ、壁を叩く力は強くなっていった。
ボロボロ、パラパラと。壁を打つたびに破片が四散していく。
そして、十三発目の拳打でコロンブスの卵は崩壊する。卵が自重に耐えきれず、少年のトドメを待たずに根を上げてしまったのだ。
そしてーー、少年は直視できないほどの光に目を細める。
閃光の中から、歩み寄る影はーー。
「ハッピーバースディ、ようこそセカンドライフへ」
ーーと、クラッカーの爆音と紙吹雪が顔に降りかかった。
サプライズの正体は、ーー清楚な女性である。
声のイメージを裏切らない金髪のグラマラスな女性。聞かぬまでに高貴な生まれであることがわかる煌びやかなドレス。少年が一生話す機会などないと思っていた人間の類いであった。
まるで王侯貴族の風格。
人種として、格が違う。住む世界が違い過ぎる。
「生後十秒程度のあなたはわからないことがいっぱいのはずですよね。私も知りたいことがてんこ盛りです。そんなあなたのために交渉のテーブルを用意しました。あなたが聞きたいことになんでもお答えしましょう。……どうです?」
早い話が、気後れしていた。
否、先手を取られたといっても過言ではない。
「あ、ああーー」
クラッカーと紙吹雪にはノータッチで彼女に譲られた席につく。
少年は自らの置かれた状況を確認し始めた。
とても綺麗な場所ーーホテルのスイートルーム級の清潔さと間取り。なにより幻想的な幾何学模様の壁。理屈や経験の有無を通り越して理解できる圧倒的な存在感に少年は息を呑んだ。
清楚な女性は少年と向かい合うかのように席につくのだった。
「なにから話した方がよいのやら、…………えっと」
「僕は栗柄って言います」
「クリカラ? 変わった名前なのですね」
「……よく言われます」
「そんなことよりも、私は栗柄くんの話を聞きたいですわ。あなたがどういった経緯でここまで来たのか、教えてください。あ、ちなみに私は口は堅いほうですからご心配なく」
ーーなんだか嘘っぽい。
そんな言葉を呑み込んで、少年はここまで来た過程を話し始めたのである。
別に心を許したわけでも、彼女に言われたからでもないーーあくまで彼女を信用させておけば、後に必ず見返りがあるだろう、という下心から生み出されてた行動である。
言い訳する自分に、少年は舌打ちをした。
「えっと、……ここへ来る前には中学校に通っていたんですよ、部活も偏差値も平均的でまったく面白みのない場所でした。そして、とうとう卒業と同時に家を出たんです。自分の見たことのない世界をみるためにね。けれど現実は違いましたーー外へ出れば、だれも助けてくれないしなにも持っていないことに気付かされたんです」
「ふむふむ」
「そして、街をさまよって……」
行き倒れましたーーーなんて、言おうとして少年は口をつぐんだ。
初めて会った人を前に全部話す義理はない、なんて冷たい理由ではなくひねくれた少年にしてはめずらしく純粋に言葉を失った瞬間である。
ーー彼女は涙を流していたのだ。
少年は正直引いてしまうーー理解不能といってもいい。
「なるほど、つらかったでしょう。苦しかったでしょうね。私なんかが想像するよりもずっと」
「……正直言って、混乱しているんですよ。どうしてこんなところに居るのかさえわからないですから」
「それで、状況を把握するために私の呼びかけに応じたのですね。懸命な判断です」
「まあ、そんなところです」
ハンカチーフでウルは涙を拭き取って装いを整えた。
「次はあなたの番です」
「うふふ、わかっています。きっとクリカラくんの期待に応えられると思いますよ。あなたにはすべてを知る権利があります、その結果私があなたに殺されようともかまいません」
「……つまり、あなたが僕を」
「ええ、お察しの通り。あなたを呼んだのは私です。ただ、あなたの力をお借りしたいと思っていたのですーー私が生き残るために」
彼女は凛とした顔で栗柄を見る。
顔をぐっと近づけて、呟いた。
「自己紹介が遅れました。私は『ウル』と申します。表層の殿方さま、どうか私に力をお貸しください」
こうして金髪碧眼の令嬢・ウルは、残酷な真実を語り始めた。
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