ここで君と話すこと
桜は疾うに散った。
二年に進級して少しだけぎくしゃくとそれぞれ緊張していたクラスの雰囲気も良いものになり、グループなんてものもできていた。 そうすると自然にクラスでの役割も決まっていく。 誰かが私を推薦した。
委員長。一年の時もしたことあるからいいじゃん。 何がいいのか皆目見当もつかなかったが、断るなんて選択肢は私の頭には存在しない。無理矢理に上げた口角をそのままに了承した。
どうせ、雑用だけだ。それを私がやれば私は居場所を脅かされない。
だから予想外だった。
担任に告げられた私の役目。
「赤月くん」
担任から受け取った屋上の鍵を使い、昼休みの貴重な時間を費やしてまで私がしなければならないこと。 真っ青な空からの陽を受けて眩しいほどに輝く金髪はもう見慣れてしまったけれど、緊張が駆け巡る感覚はなくならない。
私の呼び掛けなんて無いものとしたのか彼はフェンスに背を預けたまま瞼を閉じ続けている。そんなあからさまに陽の当たる場所暑いだろうに、彼は決まってそこに居る。
「赤月くん」
もう一度呼び掛けると少しだけ彼の瞼が動いた。うっすらと開けられ、私を確認するとまた閉じられる。 これも、いつものこと。 屋上に吹くぬるい風で乱れそうになる髪を抑えて、今度はいっそう大きな声を出した。
「赤月くん!」
そこで漸く、彼は気だるげに、瞼を押し上げる。
無造作に流れる金髪を煩わしげに掻き上げて、着崩された制服をそれでも息苦しいとでも言いたげに乱れさせて。
真っ黒な鋭い瞳が強い光を持って私を睨む。
「またお前か」
呆れ返った溜め息と共に眉間に皺をつくった彼の態度は最初と変わりない様で、少しだけ違う。
苛立たしい、そう言いたげな眼差しも不機嫌そうに引き結ばれた唇も、荒々しい所作も同じだけれど、私が彼を見る目が変わったからそんな様子も怖いけれど怖くない。
最初の印象が怖すぎたのかもしれない。
彼が先輩を何人もなぎ倒していく姿。
金髪が荒々しく乱れ、まるで獣の様な鋭い眼光で拳を振るっていた。
怖かった。とてもとても怖かった。恐ろしかった。 けれど先生から頼まれたことをしないわけにはいかない。断りきれず、何度か彼と接触するうちに絵の具の濃さを薄める様に彼への恐怖心が消えていった。
彼は別に沸点が低いわけじゃない。学校が嫌いなわけじゃない。
なんとなくそう思う。
教師は嫌いなのだろうけれど、だからと言って反抗心だけで生きてるわけでもない。
「また、午前中さぼったよね」
「だからなんだよ」
「駄目だよ。授業、でなきゃ」
幾度となく繰り返した会話を飽きもせず繰り返す。 彼はきっと私の言葉なんかじゃ動かないし、私も別に本当に彼に授業に出てほしいと思っているわけじゃないけれど、委員長の役目は全うしなければならない。
そして赤月くんは不良の役目を果たす。
いつだってこの後は完全に私を無視するか、苛立たしげに罵倒を吐き出すか、どちらかだったのに、今日の彼は違っていた。
フェンスの鳴る音がして金色が私の視界を埋め尽くした。黒い瞳が射殺さんとでも言う様に私を捉えて、離さない。
「いい加減、苛つくな」
「あ、かつき、くん?」
聞いたことのないくらい低く荒っぽい声が凄む。
息を吐き出すことすらできず、恐ろしくて唇を噛み締めた。
大きく骨ばった掌がフェンスを軋ませる。
「いつまで、良い委員長する気だ?」
息を飲んだ。
体が硬直する。
「良い委員長、優等生、その上不良の世話まで押し付けられて、先生に頼まれりゃ何でもするってか」
嘲る様な口調とは裏腹に真っ直ぐと注がれる視線が私の心を震わせた。
誰にも気付かれていないと、気付かれたくないと思っていた心の内を暴いていく。
唇が震えるのがわかった。指先も震え、血の気が引いていく。
そんな私を見ても、彼は止めなかった。
「嫌われるのが、そんなに嫌か?周りにどう思われてるかがそんなに大切か」
「や、め」
「俺は、そういう奴が一番嫌いだ」
心臓を切り裂かれる様だった。言われたどんな言葉より最後のその言葉が私の心を貫いた。
侮蔑を浮かべた彼の顔を見たくなくて俯かせた顔が歪む。
灰色のコンクリートに染みをつくる私の涙は一滴では止まってくれなかった。 ぼろぼろと次から次へと流れていく。握り締めたスカートがくしゃりと皺をつくった。
嫌われたくなかった。誰にも嫌われたくなかった。 私はあまり人付き合いが得意じゃない。周りの女子が楽しいと言っている化粧も、かっこいいと騒ぐ芸能人や先輩にも、どうしてか興味がわかなかった。
だから偽るしかなかった。
居場所をつくる為、皆に好かれる為、笑って何でも引き受ける。
それしか方法がなかった。
都合の良いクラスメイト、便利な学級委員長で居ることが私が居場所を守る唯一の方法。
それを否定されたら、私はもうどうしていいかわからない。
嫌われたくないのに。
赤月くんに、嫌われたくない。
赤月くんは泣き出した私に呆れたのか一度大きくフェンスを鳴らした後、そのままの勢いで力強く私の頭を掴んだ。
殴られる、一瞬そんな考えが掠めたけれど、彼は大きな掌で私の髪を乱暴に掻き乱した。ぐしゃぐしゃと両手で乱される髪はみるみる原型を失っていく。
その不可解な行動に涙は引っ込み、呆気にとられた。
「あ、あの、赤月くん?」
「お前、実は天パだろ」
「え、」
「何でわざわざストパーかけてんのか当ててやろうか」
彼はそう言うと、私の顔を両手で挟んで目線を合わせた。
「一年の時、生活指導の矢崎に怒鳴られてたろ。パーマかけてるだろう、お前って」
「……え」
「ムカつくんだよ。押し殺して押し殺して、無理矢理笑ってるのがムカつくんだよ」
ムカつくと言いながら彼は私の髪を掻き撫で続けた。次第に乱暴だった手つきが緩やかになっていき、柔らかさまで含み始めて私は動揺した。
比例する様に彼の険しい表情も少しずつ柔いでいく。
何故、何故、何故。
嫌い、と言ったのに、どうしてそんな表情をするの。
「そのままでいいだろ。俺はお前の髪、嫌いじゃない」
矛盾しているのにそれを言う気にはなれなかった。 心臓を鷲掴まれて、声を発することもできない。
注がれる視線があまりにも鋭くて、あまりにも熱っぽくて、あまりにも優しくて。
一つだけ。先生の言うなりじゃなく、私の意思だと伝えてみようか。
私もたった今、気付いたこと。
連載のネタとして考えていた不良と委員長の話を形にしたくてとりあえず短編投下。連載はするか未定。