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「自分のこととか」

 今更ながら。プロフィールの拡張版というか、ただの自己紹介というか、なんとなく自分のこととかちょっと書いてみようと思ったのです。

 これまで以上に自分勝手な上、だらだら長い特に意味の無いひとりごとなので、お暇な方だけお付き合いくださいませ。




 文章を書くことで生計を立てているわけではないですけれど、それなりに長いことお話を書くことを続けてきた身としては、文章を書くということにそれなりに思うこともあったりしまして。

 自己紹介がてらになんかつらつらと書いてみようかと思います。



 わたしの原点というか初めて書いたお話というのは、小学校一年生の時の国語の授業で書いたものです。

 今でも教科書に載っているのかどうかはわかりませんけれども、教科書に「花いっぱいになあれ」というお話がありまして。このお話の簡単なあらすじを説明すると、「花のたねをつけて子どもたちが飛ばした真っ赤な風船の一つが、山で昼寝をしていた子ぎつねのところに落ちてきた」という感じでした。

 国語の授業としては、「青い風船や、その他の風船はどこに行ったのでしょう?」という風に、お話を考えて見ましょうというものだったのです。

 上に兄と姉がいて、また母が読書好きであったことから、うちには割と絵本や童話の類がたくさんあって、小学校に上がる前から「お話を読むこと」に慣れ親しんでいましたけれども、「自分でお話を作ってもいい」というこの授業はものすごく衝撃的でした。

 ただ作られたものを読むだけではなくて、それと同じものを自分が作れるだなんて、思っても見なかったんです。

 めちゃくちゃ張り切りました。二百字詰めの原稿用紙二枚でいいと言われた課題だったのに、九枚も書いてしまいました。

 タイトルは「白いふうせん」。白い風船を拾ったヘビのポーピが、花をいっぱい育てるお話でした。


 当時わたしの通っていた小学校には親子読書会というものがありまして。そこで手作りの絵本を作るという機会があったんです。「白いふうせん」はわたしの作った絵本第一号になりました。

 思い出の一冊です。

 どういうつてだか関係があったのかよく覚えていませんが、この「白いふうせん」を児童文学作家の長崎源之助先生に見ていただく機会がありまして。「”花のためにヘビをころすな”というこのセリフがいい」と言われたことを今でも覚えています。

 その場面というのは、花泥棒がヘビのポーピを殺して珍しい花を奪おうとしたとき、いきなり神様がでてきて「花のためにヘビをころすな」と花泥棒たちに花を作って渡す、というシーンでして、書いた本人としては花もヘビも同じ生き物なのに、神様に花よりヘビの方が上であるかのように言わせてしまったことに迷いがあった場面でした。

 そこを突っ込まれずに、「単純に生き物を殺すのがよくない」ととらえられたのだと思って、児童文学を書く先生でもやっぱり、そういうところまでは読み取ってもらえないんだな、などとフトドキなことを考えていました。

 ……ちいさいころからひねくれものですね、わたし。

 書かれてもいないことを読み取る人なんかいるわけ無いでしょうに。

 何にせよ、読む人によってこちらが書いた意図と違うとらえ方をされてしまうということに気がついた、初めての経験でした。

 その後も何冊か絵本を作りましたが、流石に手元に無いので内容が思い出せません。

 十冊はいかないものの、四、五冊は書いたと思います。




 絵本的な童話でなく、もう少し今に近い形のお話を書くようになったのも、国語の授業がきっかけでした。

 小学五年生のときだったと思います。「一枚の地図から」という課題がありまして。こちらは「はないっぱいになあれ」のようなお話はなくて、最初から地図が一枚だけ書いてあって、想像を広げてお話を書いてみようというものでした。

 このときに書いたお話は、クラスのとある「のび太君ポジション」の子をモデルに書いたもので、0点の答案用紙で紙飛行機をつくって飛ばしたら、いつのまにかその紙飛行機の上にいて、謎の地図の島についてしまう、というようなお話でした。

 国語のノートに書いていたもので具体的な分量がわかりませんが、そこそこの長編でした。

 それまで書いていた絵本のような童話とは違って、SFです。ジュブナイルです。冒険活劇というやつです。かなりドラえもんとかも入っていますけれど。このころはやたらと「海底二万マイル」だとか分厚い本をいっぱい読んでいましたから似非科学満載のとんでもない内容だったと思います。

 内容はもう、ほとんど覚えてない上に、ノートとかなのでたぶん捨てちゃっていて残ってないと思うのですが、書いていた当時はものすごく楽しかったことだけを覚えています。




 中学校に上がって。どこかで書いた気もしますけれど、大学ノート9冊分というとほほな大長編を書いたりしました。それまでは周りにお話を書くような人間はいなかったのですけれど、やはり皆、中二病とよばれる病気にかかる時期なのか。親しい友人はこぞってオリジナルの小説を書いていました。

 わたしが書いていたのはタイム=トラベルという名前の、胴体が時計で下半身が鐘のトラ耳少女が主人公のお話で、時間タイムトラベルというたんなるダジャレから生まれたキャラクターのお話です。 割と黒歴史なので多くは語りませんが……。当時はお互いに書くものを内緒にしていて、昼休みとかにこっそり他人のノートを盗み見にいくのが仲間内での流行でした。

 読むのに成功すると最後のページに感想とか書いたり書かれたりでうぎゃー……。



 ……すみません、取り乱しました。当時のはノートに書いていただけに、挿絵というかちょこちょこ落書きなんかも書いてたりして、結構ダメージでかかったのですよー。

 他にもいくつか、ノートに書いていたのですが、件の大長編をのぞいて全て未完です。

 件の大長編はたしか明確なタイトルなしで、他にタイトルだけ覚えているのは「Fun Quest」、「黄金の食人魔女」、「残骸兵器スクラッパー」など。内容は推して知るべしというやつです。主にSFっぽいのやRPGっぽいファンタジーものを書いていました。

 あと当時のではもうひとつだけ他に完結したのがありました。

 わたしは基本二次創作とかしない人間なのですけれど、他人の小説を勝手に書くという悪い癖がありまして。 友人がルーズリーフで三枚ほど書いたお話の続きを勝手に書いたことがあります。

 ……ルーズリーフで二百ページ強(笑)。紙の枚数にして百何枚か。けっこー分厚いです。重いです。

 当時ルーズリーフでなく大学ノートを使用していたわたしは、その友人にずうずうしくもルーズリーフを要求し、書き続けたのです。

 最初は「一枚ごとに交互に書いてみない?」という約束だったのですが、友人が書くの遅くて「ええ~い全部かいちゃる!」と好き放題に書きまくってしまったのでした。

 ……これもわりと黒歴史なんですけどね? お話自体はけっこう気に入っています。

 「王冠クエスト」みたいなタイトルで、とあるダンジョンに隠された王冠を複数の冒険者のチームが競って探すというお話。

 紙自体友人からもらったものなので全部友人に渡していたのですが、最終的にはまるごともらったので実家のどこかには埋まっているはず……。



 中学生の時分、小説を書いている友人達とはよく昼休みにTRPGテーブルトークアールピージーで遊んだものでした。ご存じない方のために説明しておくと、TRPGというのは紙と鉛筆とサイコロを使って行うゲームです。GMゲームマスターと呼ばれる役割の人がシナリオ進行を行います。サイコロで判定を行いながら会話で行うゲームです。

 D&D、ソードワールドなどといったTRPGのシステムが有名でしたが、わたしたちは独自にゲームの世界とシステム、シナリオを作って遊んでいました。システム上、GMはゲームを楽しませんる方で、プレーヤーはゲームを楽しむ感じになる以上、最初のうちはGMは持ち回りでやることになっていたのですが。いつのまにかわたしばっかりGMやることになっていて。

 友人達に「あんたのシナリオが一番おもしろいから」といわれたのは嬉しかったですが、プレイヤーやった記憶がほとんどないのはわりと「むむむ」な感じです。

 このGMというお仕事なのですが、コンピュータのRPGなんかと違って、好き勝手に自由な行動が出来てしまう人間が相手なだけに、かなりのアドリブを要求されます。

 シナリオとして「ここにモンスター配置して、ここに罠仕掛けてー、この順番でこうすればー」みたいな流れを考えていても、ひねくれものの友人達は平気で「よし、ここの壁に穴をあける!」とか言い出します。囚われのお姫様を前に、「それよりお宝はどこじゃー」とかいって見捨てようとしたりします。たしかこのときにはモンスターそっちのけでお姫様と助けた時の謝礼交渉とかはじめちゃってハチャメチャになった覚えがあります。

 ……こういう友人たちを相手にしていたおかげで、今、好き勝手な行動をする登場人物になんとか対応できているような気がします。



 歳がばれそうですけれど、わたしが中学生のころにはまだラノベという言葉がなく、現在のような学園物全盛ではなくてファンタジー物がほとんどだったため、冒険小説あるいはファンタジー小説と呼ばれていました。

 第一次ラノベブームとでもいうのでしょうか。角川文庫の一部が角川スニーカー文庫と呼ばれるようになり、富士見ファンタジア文庫が創刊されたころです。それ以前は今は亡き朝日ソノラマ文庫がいわゆるジュブナイルと呼ばれる類のSFなどを細々と出しているだけで、他にはそういう類の文庫というのはほとんどありませんでした。

 今、世の中に山のようにあふれて、月に百冊以上もラノベが出版されている状況というのは、現在の若い子達にとって幸せなことなんだろうかとたまに考えることがあります。

 おこづかいで、買えるのかなーって。

 わたしの子供の頃の夢は、一万円札を持って好きなだけ本を買うことでしたが、社会人になった今では、普通に一回の買い物で一万円超えちゃいます。月に何十冊かラノベ買っちゃいますので。

 出版社も出版数も少なかった昔は、友人同士で「わたしこれ買うからあんたこれ買って」みたいな分担したりとかしてたものですが、今みたいに大量にでる中でそういうことできるのかなって。

 まあ、こんなところで出版関係者でもない人間がつぶやいてもしょうがない話ですね。




 高校の頃。TRPGの関係からそっち系の同好会に入ったわたしは、文化祭の時に出す同好会誌にお話を書きました。こちらの「小説家になろう!」でも公開している「母をたずねて三千年」です。

 向こうの後書きでいろいろ書いているのであまり語りませんが、このお話はわたしのなかでかなり転機になりました。

 まずは初めて書いた一人称ということ。それからそれまで書いていたものとは違って、第何話という形である程度のまとまりがある点です。

 それまでは、書くもの書くもの最初から大長編構想で、いつまでたっても書き終わらないしそのうち飽きて放り出しちゃうの繰り返しだったのですが、第何話という形である程度の起承転結を持たせた上で続きを書く、わりと当たり前の形式にようやくたどり着いたのがこのお話だったのです。

 高校の時に書いたものは結構、こちらでもさらしているので他に語ることはあまりないです。

 「アースレンジャー!」とか「夜空のきらめき」で書いたものとかこのあたりですね。


 高校のときは、中学の時もそうだった気がしますが三年間図書委員で図書館にこもってました。図書館だよりという校内紙があって、そこのとあるコーナーに書いていたのがわたしの800字小説の原点でしょうか。

 それはウソ本のあらすじを紹介するコーナーでして。


「我輩はコネである」 夏目葬式

 我輩はコネである。裏口ではない。


「おっちゃん」 夏目掃除機

 小さい頃からフケ顔でいつも損ばかりしている。


 みたいな小ネタをいくつか書いたのを覚えています。




 大学一年生の夏休み。「そうだ、二ヶ月もあるんだしなんか書いてみよう」と思い立って、長編を一本書きました。構想五年、執筆一ヶ月の超大作(笑)。

 昔からなのですが、わたしは平気で思いついたネタを何年も寝かせることがあります。

 このとき書いたのは中学二年生のときに突然頭の中に落ちてきた強烈なイメージをもとにしたモノでした。

 それは土砂崩れで埋もれてつぶれた車が、クレーンで引き上げられる場面で。

 どこをどう広げたのやらまったく自分でも理解できませんが、それは「眠り姫」というタイトルのSF物のお話になったのです。ガケから車ごと落ちて、目が覚めたら西暦でいうと二千六百年だった、というお話。

 今読むとかなり黒歴史だったりするのですが、書いた当時は当時の自分の最高傑作だと思っていて、当時の富士見ファンタジア大賞とかに応募しちゃったのです。

 ……かすりもしませんでしたけどね?

 こうなったら来年も書いて送ろう!なんて思って書き始めたお話が……「もうひとりの君へ まだ見ぬあなたへ」だったりします。未だに書きあがってなかったりします。だめだめですねー。


 「かちかち、きぃきぃ」もこの辺り。細々と「母をたずねて三千年」の続きなんかも書いていたりしたのですが、二十歳こえたくらいはなんかもうファンタジーは違うな、という感じがして。かなり実験的にいろいろな物を書いていました。

 描写一切なしの会話文だけでお話が進行していくやつだとか、主人公二人が交互に一人称で語るお話だとか、まったく同じ内容のお話を登場人物四人の視点でそれぞれ語ってみるだとか。

 ……結局みんな未完成だったりするのですが。





 就職して一人暮らしするようになったときにワープロを持ってきたので、しばらくは細々と書いていたりしたのですが、日々の忙しさにいつのまにかぱったりと筆をとめてしまって。

 再び書き始めたのは、2ちゃんねるネット実況版にたったとあるスレの影響でした。

 「今日から本気でラノベ作家をめざす!」というそのスレッドにはいろんな人がいろんなお話を書いては「こんなのどお?みてみて?」という感じでかなり居心地が良かったのです。

 そのうちに三題話という、三つのお題から短編を書く遊びが始まりまして。

 「三毛猫の三題話」のシリーズとして公開しているものは、ほとんどこのときに書いたものです。

 一日にひとつのお題でひと月半ほど、ほとんど毎日書いてました。

 この時期に書いたもののうち、「とある通行人の悲劇」は何度も改稿を重ねた上で、ひさしぶりにやってみよっかーと勢いで第18回の電撃大賞に応募しました。

 ……やっぱりかすりもしなかったんですけれど。

 今は流石にあの時の勢いでは書けないですね……。書ける時で一日に1万文字くらい書いてましたけれど。



 その後texpoというサイトと出会いまして。

 cssが使えたり、文中にリンクが貼れたりと、けっこういろいろ出来て、また作家さんにも個性的な方が多くて、独自に企画をしてテーマにそったお話を募集して、参加者で投票して賞を決めたりする方とかいましていろいろおもしろい所だったのですが。

 わたしが参加して一年と一ヶ月でサイト閉鎖されてしまいまして。

 たまたま知る機会のあったこちらの「小説家になろう!」にお引越しすることになったのです。

 シゾワンぷー様やジュニー様、冬雨様などtexpoの時分にお世話になった何人かの方がこちらの「小説家になろう!」でも執筆されていますので、よろしくお願いします。



 非常に遅筆というかムラがありすぎな上に、基本的に「書きたいものを書く」だけで読む人のことを考えてない困った人間ですが、多少なりとも気に入っていただけたお話がありましたら、またよろしくお願いします。


 ここまでだらだらと取りとめも無い昔話にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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