空飛ぶソファ
目の前に広がるのは、倒れた木々。赤く染まる池。そして、壊された車。
ダダダダッ。
誰かが階段を駆け上がる音が聞こえる。
「坊ちゃま! ご無事ですか!?」
「……セバスチャン! どうした、なにかあったのか?」
「それが、オオカミの群れが……私がここに到着したときには、すでにこのコテージを取り囲んでおりまして。なんとか目に映る範囲は退治しましたが……他にも潜んでいる可能性があります」
オオカミの群れ!? そうか、地下にいたから気付かなかったのか。それにしても、一体なぜ?
オオカミってのは群れで行動する。しかし、その数はせいぜい15匹程度。セバスチャンの言うように、このコテージの周りを囲むような数では行動しない。それに、お互いの群れの縄張りというものが存在する。それぞれの縄張りには立ち入らないのが暗黙のルールだ。
それを破ってまで、ここに襲い掛かるようなことはしない。……扇動者がいない限り。
「もしかしたら、アイツらが動いたのかもしれません。なぜ、そのようなことをしたのかはわかりませんが……」
セバスチャンもその可能性に気付いていたらしい。
「そうだな。でも、今はそんなこと言ってても仕方ない。急いで屋敷に帰るしかないな」
オオカミと吸血鬼はお互いに天敵同士だ。だからこそ、その間には厳密で繊細なルールが組み立てられている。争い合わないように、今から何代も前のお互いの頭首同士で決めたことだ。それが、今、破られてしまった。ただ事で済むわけがない。
「オートジャイロは?」
「完全に壊されていました。それでも、坊ちゃまと私の二人なら、新城様お一人運ぶこともできるでしょう」
「そうか、仕方ないな。この姿はあんまり見られたくないんだがな……」
※※※※※※※※※※
目を覚ます。なんだか身体が軽い。まるで飛んでいるみたいな――。
「うえぇぇぇぇぇ!?」
本当に飛んでる!? 疑問より先に恐怖が頭の中を駆け巡る。
「ユキ、最悪のタイミングだけど、おはよう。できれば、その、暴れないで欲しい」
上からトキトの声が聞こえる。そして、今、自分がソファに寝ていることに気づいた。
「新城様、説明は後でしますので、できれば騒がないでいただけますか?」
下から執事さんの声がする。二人が私を乗せたソファを持っている。それから……飛んでいる。
執事さんの背中には大きく、黒い、トゲトゲしい羽が。それからトキトの背中には、執事さんほど大きくはないが、それ以外は変わらない羽が付いていた。
「あ、あ、あ、は、羽?」
「俺らは吸血鬼だからね。中には飛べないヤツらもいるみたいだけど、俺らは飛べる方。どう? 行きとはまた違う空の旅は?」
そんなの堪能できるわけがない。どうしてこうなったのかが一切わからない。混乱状態だ。誰か私をパーティアタックしてくれないかな?
「ほら、もうすぐで屋敷だ。中に入って休もう」
そう言うトキトの額には玉のような汗が浮かんでいる。飛ぶことに慣れていないのか、執事さんに比べて、ずいぶんと疲れているようだ。ん? それとも私が重いってこと?
「とりあえず、庭に降りましょう。それから、私は辺りを警戒いたしますので、坊ちゃまは新城様を部屋へ」
わかったと答える元気もないのか、うなずくだけで返事をするトキト。なにがあったのかを今すぐ聞きたいのだが、そんな体力は残っていないみたいだ。
それからソファは庭へ軟着陸した。
「大丈夫?」
ヘトヘトになったトキトを支えながら、部屋へ運んだ。執事さんの言っていたことと逆になってしまったが、まぁ仕方ないだろう。今は背中にあった羽もしまっていつもの人間と変わらない姿になっている。
「あぁ、ありがとう。それから、済まない、こんなことになってしまって……」
「何があったの?」
「話せば長いんだが、襲撃があった。狙いはわからないけど、俺とユキがいるコテージにオオカミが大群で押し寄せてきた。それから、セバスチャンが到着したんだが、車もオートジャイロも壊されてしまったからこうやって運んできたんだ。……できれば、お姫様抱っこしたかったんだけどね」
こんな状態でもそんな冗談を言えるところは感心する。
「オオカミの大群?」
「そう。オオカミの大群。誰かが俺たちがコテージにいることを知って、襲撃した。誰がやったのかは検討もつかないけど、こんなことができるのは限られている。……それはユキには関係ないな、とりあえずこの周辺が安全かどうかをセバスチャンが確認しているから、それが終わったら、家に送るよ」
なんか気になるけど、大変な事態であること、それから私が居ても仕方ないことはわかる。だから、ここは素直に言うことに従うことにした。それにしても――。
「羽なんてあったのね。いつもは完全に人間の姿だから、吸血鬼ってこと忘れてた」
「これでも空を飛ぶ訓練してきたんだけどね。人間の生活に慣れてしまったら、使う機会もないし、それに――」
「それに?」
「ユキにはあんまり見られたくなかったんだ。これで全然違うってわかっちゃっただろ?」
言いながら顔を背けるトキトの横顔は、悲しかった。でも、なんていうか。
「今さら過ぎるわね。大体、アンタが吸血鬼ってのは、その、あの、……血を舐めてるときとか牙があることで分かってることじゃない」
精一杯のフォローをする。なんでそんなことをしなくちゃならないかわからないけど、それでもなにか答えなくちゃと思った。
「……ありがと」
トキトの横顔は、月明かりに照らされてわかりづらかったけど、少し笑顔に変わったように見えた。