悪魔は微笑み、猫を殺す
コテージの中は整然としていた。木目調の壁や暖炉、2階へは螺旋階段となっていて、リッチな感想を抱かせる。コテージを持っているというだけでリッチなのだけれど。
こんな経験をしたことがないせいか、心が躍る。ただ、入るのに渋っていたせいもあって、はしゃぎたいのを我慢しているという具合だ。
「好きなようにくつろいで」
「あぁ、うん。わかった」
ここの主人のお達しも出たところであれやこれやと探索してみることにした。やっぱり我慢なんてできない。
キッチン、バス、トイレ、それからリビングへ戻って、螺旋階段を上り2階へ。寝室が3つ、もう一つトイレ、そしてベランダ。あー、なんて素晴らしい空間だろう! 我が家より大きいのではないか。ブルジョワは休暇中にはこんな優雅な場所で生活しているのだろうか?
探検しているうちにキッチンに変な取っ手があることに気が付いた。最初はスルーしていたのだが、どうしても気になって引っ張ってみることにした。すると――。
ガシャン。
くだりかいだん が あらわれた! おりてみますか? →はい いいえ
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私は割りと昔から男っぽいと言われる。外見ではなく性格が。好きな言葉は活発。嫌いな言葉は女々しい。こんな階段が目の前に現れたら、本能に従うまま降りざるを得ない。それに反抗するは自己の否定。アイデンティティの崩壊と言ってもいい。
それでも、その本能に従って成功した試しは少ない。そう、今みたいに。猫は死んだ。
「な……にこれ……」
目の前に広がるのは、ワインセラー……のようなもの。ワインのボトルが並べられているからそうだと思う。なんだつまらないと引き返そうとした。しかし、悪魔は微笑んだ。奥に扉が見えてしまった。
鉄製の頑丈な扉の向こうに広がるのは、なにかの装置。そこに――。
「ひ……と……?」
人らしきものが筒状のガラスの中に閉じ込めてある。らしきものとしか判断できないのは、人の形はしているが、まるで作りかけの泥人形のように目、鼻、口、髪というものがない。マネキン以下だ。
そのガラス管からは何本かホースが伸びていて、その先がどうなっているかはわからない。
「そこから血が流れていって、さっきのワインボトルに溜まるようになってるんだよ」
バッと振り向く。トキトがこちらを見つめている。普段のおどけた感じはない。
イタズラが見つかった子どもどころの騒ぎではない。死というものを予感させる、そういった類の瞳で見つめられる。
「あ……あう…あ」
言葉は形にならなかった。その代わり、彼から少しでも遠ざかろうと後ずさる。
「こんなところにあったのか……どおりで見つからないはずだ。灯台下暗しとはよく言ったものだね」
そう言うと、こちらへ少しずつ歩み寄ってくる。
「い……いや……こないで。謝るから、まさかこんなところにこんなものがあるなんて知らなかったの! 謝るからっ!」
プシュー。
蒸気が抜ける音がする。
「なにを謝るって言うの? むしろこれは感謝をしなきゃならない。ありがとうユキ、見つけてくれて」
「へ? あ、どう……いう……こと?」
「これは見ての通り、血を培養する装置なんだ。こうして人を生贄にしてね。ただ、毎回毎回、人を攫ってくるのは面倒だからこうやって生かさず殺さずで培養するのさ」
そんな……それはもう……殺しているのと同じ。そんなことを、ここで。そこで気付く。もしかして、トキトも……?
「俺はやらない。こんな卑劣なやり方は絶対しない。そして、噛まない。そう、こんな風に――」
後ずさりをしたときに足を挫いたのか、血が出ている。そこにトキトの顔が近づいて、そして、舐める。
その様はまるで、赦しを乞う家来と女王。しかし、そこにはいかがわしさも卑しさも感じない。それゆえ、振り払えない。
「……ふぅ。だから俺は許さない。こんなやり方をする親父や母親を。さぁ、ここの装置は後で壊しておくから、上へあがろう」
手を引かれその場を後にする。胸に残るのは恐怖ではないドキドキとした動悸だった。
2階の寝室へ入る。少しベッドで横になれば? と言われ、その通りに横になる。それから、執事さんが来たら呼ぶと言って、トキトは私の側を離れようとした。
「ん?」
「あれ?」
でもトキトは足を止める。イヤ、止められている。私がその腕を掴んでいるから。
ただただ無意識だった。自分でも掴んだことを認識できなかったように、無意識のまま。
「わかったよ、セバスチャンが来るまで俺もここにいるから。安心して休んで」
「……ごめん」
目を閉じる。すぐ傍にいるのが気配でわかる。それだけで安心した。
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「寝たか」
ユキが寝たことを確認する。まだ顔色は悪いが、ゆっくり休めば回復するだろう。
「……仕方ないな」
約束してしまった以上、ここから離れることはできない。約束を反故にするのは紳士的ではないと昔、セバスチャンに叩き込まれたっけ。
セバスチャンは俺の親父代わりだ。俺がこの世に生を受けてから、親父より親父らしく俺を育ててくれた。吸血鬼として、貴族としての振る舞い方を徹底的に教え込まれた。それに反発したこともあったが、今では感謝している。
しかし、教えてくれなかったことも多かった。人間との接し方。両親のこと。だから、俺は自分で知ることにした。セバスチャンの猛反対を押し切って、人間の学校に通うこともできた。そして――。
バタバタバタ。
音がする。使い魔ではないコウモリでも飛んでいるのだろうか?
気になって、窓から外を伺ってみると、そこには異常な光景が広がっていた。