ボン・ヴォヤージュ
それにしても、いつ見ても不気味な館だ。トキトを起こして、一旦、荷物を部屋へ持っていくため、館へ入る前にそんなことを思う。
前に連れてこられた(むしろ拉致?)ときは、じっくり眺めることができなかったので、改めて思う。
屋敷の周りの柵には、ツタがいたるところに絡まっており、バラやその他得体の知れない植物がそこらじゅうに植えられている。これはこれで、ガーデニングの技術が使われているのだろうか? 適当に植えられているように見えるが、全体を見回すと、整合性が感じられる。
屋敷は年代物を匂わせる豪奢な造りで、昔行ったことがある地方都市の歴史的な洋館に似ている。それから、なんだが黒を連想させる。
この辺には他に建物がないようで、広い庭園の外にはなにもないように見える。見えるのは森ばかり。一度入ると二度と出てこれないような、深い深い蒼を感じさせる森だ。
荷物を置いて、屋敷から出てくるまで一言もしゃべらなかった。トキトは寝起きでまだ血圧が低いのか、それとも他のなにかがあるのかわからないが、アンニュイな表情を浮かべている。
「どこへ行くの?」
家の周りを紹介すると言っていたが、周りは森ばかり。まさかこの中へ入っていくというのではない……よね?
「う~ん、ベタかもしれないけど、ひ・み・つ」
口元に指を当て、クネクネとポーズをとる。アンタがしてもかわいくないっつうに。それにしても――。
「マジでその格好で行くの?」
「家に帰るとこの格好なんだ。見た目以上に動きやすいんだけどな」
上下ともに黒い、スラックスとジャケット。中には白いシャツ。それからこれまた黒いネクタイ。と、革靴。どう考えてもなにかの式典に出るかのような格好だ。まぁ、なんていうかイメージどおりの吸血鬼というかなんというか。
そんな外へ出る様子でもないのに「じゃあしゅっぱーつ!」なんて右手を挙げて、元気良く発進するトキト。少し寝たおかげか元気になったようだ。
私が危惧していた森の中に立ち入るということはせず、とりあえずは館の周りの庭園を散歩することになった。
しかし、これだけでもかなりの広さだ。グルリと館を囲む庭園には、噴水、温室、バラ園、果ては日本古来の枯山水のようなものや大きな滝まである。なんかまとまりが悪い。曰く、執事さんであるセバスチャンの趣味らしく、管理は全て彼一人でしているらしい。
「どう? 我が家自慢の庭は?」
「イヤ、まぁ、たしかにすごいけど……これを見せるために呼んだの?」
だとしたら拍子抜けだ。執事さんには悪いけど、私はガーデニングの趣味はない。花より団子なのは否定できないお年頃なのだ。
「そうか……けど、こっからが本番さ」
そう私に待ってるように言ってから一人で古い小屋のほうへ歩いていく。すると中からエンジン音が聞こえる。そして、小屋の扉が開いて出てきたのは……ヘリコプター!? ものすごい音が周囲に響く。
トキトがこっちへこいと手招きをする。おそるおそる近づくと、手をとられ、2人乗りのシートに乗せられてしまう。
「なにこれ! ヘリコプター!? あんた操縦なんてできんの!?」
「これはヘリじゃなくて『オートジャイロ』って代物さ。セバスチャンに操縦方法習ってるから大丈夫!」
「免許は!?」
「あるわけないじゃん!」
そう言うが早いか、機体は高く浮き上がった。
※※※※※※※※※※
空の旅を快適に。ボン・ボヤージュなんてエスプリの効いた言葉はきっと、実は快適ではないからがんばっての意味で使われているのではないか? そんなことはどうでもいいけれど、とりあえず今私はまったく快適なんて言葉とは対極の場所にいる。夕日が沈む様はキレイだが、鑑賞に浸る余裕はない。
「どう? 気持ちいい?」
「んなわけないでしょーが!」
高所恐怖症というわけではないけれど、下を見たくないのでうつむいたまま足元を凝視してしまう。
「こいつはさ、親父がとあるスパイ映画を見て、買ったものらしいんだけど、その映画の中でスーツケースを組み立てて作るらしいんだ。さすがにそれはできなかったけど、ほら、前のところにミサイルが付いてるだろ? これ発射できるらしんだ」
なんかこの『オートジャイロ』について説明しているみたいだけど、正直、耳に入ってこない。
「いいから、早く降りてよ!」
そう叫ぶくらいしかなかったが、トキトはそんな私の悲痛な叫びにもカラカラと笑いながら操縦していた。
そんな空の旅が20分ほど続いた頃、高度が落ちてきているのがわかった。
「着陸するから、衝撃に備えてね。舌だけは噛まないようにね」
ドスンと着陸したオートジャイロはそのプロペラを止めた。それと同時に、そこから飛び降りる。
「はにすんほほ!」
若干、舌を噛んでしまい、私の非難はどうも間の抜けたものになってしまった。
「ハハハ、どうだった? 初めての経験だったでしょ?」
「笑い事じゃないわよ! ……ってここ、どこ?」
周りは木だらけ。ここだけくり貫かれたように空き地になっている。それから、目の前には池とコテージがある。
「ここは俺の秘密基地。だから秘密って言ったろう?」
たしかにキレイな場所だ。自然が溢れているというか、神秘的というか。こんな景色はきっと日常生活を営んでいるうちには決して見れないだろう。だが――。
「どうやって帰るのよ。私、もうイヤよ、それ」
ジェットコースター気分はもう十分だ。
「まぁまぁ、とりあえず迎えは呼ぶけど、それまでここでゆっくりしよう」
そう言って、コテージの中へ誘うトキト。なんとなくイヤな予感はしたけれど、それでも中に入らざるを得なかった。
……なんか今日は私の意思が通らない。