才円、逆襲を開始する
女中茶屋には、外に特設の舞台がある。そこで時折、客寄せにミニ歌劇を行うのだ。
今日はそこで、猫女がセクシーにアレンジした武将の衣装を身につけて、踊りながら元気よく歌っていた。彼女が中央の細い管に向かって歌うと、中で反響して、左右の巨大な管から、声が大きくなって響き渡るという仕組みだ。
歌は、今、江戸で流行のカラクリ歌劇『大江戸戦隊、七福連者』の主題歌だった。
「七つの力を一つに合わせてえ~」
猫女のお菓子のように甘い歌声が、江戸の大通りに響き渡る。すると、オタク系の人達が、まるで甘い物にたかるアリのようにゾロゾロと吸い寄せられて来るのだった。
猫女がミニスカートをヒラヒラさせて、楽しそうに踊りまくると、客達はまるで取り憑かれたように、一斉に髪を振り乱しながら、早く激しく体を動かし、雨乞いのような妙な踊りを始めた。これは、どうやら応援の踊りらしい。地面には、客達の魂の汗がいくつも飛び散っていた。
その横では、才円が女中姿で、客達に必死に呼びかけている。
「猫女お姉様の一周年記念という事で、メガネで絵巻好きの男性の方に、抽選で特製パラパラ絵巻を差し上げておりま~す!」
オタク系の絵巻好きの間で、圧倒的に人気があるのが、この『パラパラ絵巻』であった。これは、絵を少しづつ変化させたものを重ねて、一気にパラパラとめくると、絵が動いて見えるという絵巻。ようするに、『パラパラまんが』である。江戸時代には、もちろんテレビもアニメもないので、こういったものが飛ぶように売れていた。
パラパラ絵巻の中で、特に人気なのは、不思議な神通力を使う少女が活躍する、仙女っ娘物などである。
「絵巻の内容ってどんなの?」
いかにもオタクといった風貌の客が、目をギラギラさせて才円に聞いてくる。
「は、はい……あの、猫女お姉様が、実は仙女っ子という設定で、その仙女に変身する場面の『限定版』絵巻なんです」
「仙女っ娘の変身場面! 限定版! 萌え~! 速攻で抽選に申し込むよ」
「有り難うございます。では、こちらに問答(クイズ)の答えを……」
「問答?」
「はい。さて、人気歌劇、『大江戸戦隊、七福連者』の、歌の出だしはなんでしょう?」
猫女の舞台は大成功だった。猫女の部屋には、山のような抽選の申し込み書類が積まれていた。才円と猫女は昼間の疲れが出たらしく、手足を投げ出してグッタリと倒れ込んでいる。窓からは明るい月が顔を覗かせ、まるで二人を癒すように、優しい光を浴びせてくれていた。
「さて、これからが、もっと大変だそ……」
才円はそう言うと、ガバッと起き上がり、腕まくりして書類に目を通し始めた。すると、猫女が猫のようにすり寄って来て、不思議そうに才円の手元を覗き込む。
「あんたの言った通りに舞台をやったんだけど……一体、どんな企みがあったの?」
猫女は目を輝かせて、無邪気に聞いて来る。
「僕に脅迫状を突きつけた人物は、どうもメガネでオタク系みたいなんだ。それで、メガネでオタク系の人達が書いた文字が欲しかったのさ」
「え? どうするの? 文字なんか集めて」
「集めた文字で『筆跡鑑定』をして、その中の誰が、あの脅迫者なのかを特定する為さ。西洋のさいえんす捜査でやってる事だよ」
「ふうん~。それ、どういう風にやるの?」
「人間にそれぞれに癖があるように、書いた文字にも癖がある。だから、文字の癖を調べれば、誰が書いたのかを判断出来るんだ」
「へええええ~~」猫目は大きな目を丸くする。
「例えば、この脅迫状は『じゃまものには し』って書いてある。で僕が、絵巻抽選の問答の答えとして、みんなに書いて貰った字は……」
才円は手元の書類を一枚取って、猫女に見せる。『にしには まものじゃ』
「この『にしには まものじゃ』から、必要な字だけを拾って、組み立てなおすと……『じゃまものには し』になる」
「あ、本当だ」
「つまり、問答の申込書と、脅迫状とで、文字が似てるかどうかを調べて、誰が脅迫状を書いたのかを探しだすんだ」
「なんか凄い! 面白そう、あたしも手伝うよ!」
猫女はそう言うと、柔らかな体をぐいぐいと押しつけて来て、才円を無理に押しやる。
「席、半分開けてよ」
「もう。猫女は、いつも勝手に決めるんだから……」
才円がそう言うと、猫女は舌を出してエヘヘと笑う。才円は、そんな猫女の可愛い笑顔を見て、心に新たな感情が沸き上がるのを静かに感じていた。
(僕は今まで、さいえんすの事ばかり考えていたけど……猫女がいなきゃ、ここまで出来なかった。仲間って……いいもんなんだな)
才円がそう考えながら、猫女の顔をボンヤリ見つめていると、猫女は急に恥ずかしそうに顔をふせた。
「やだ! 子供のくせに……お姉さんに惚れちゃったの?」
「ちっ、違うよ! そんなんじゃなくて……」
「ばあか、冗談よ。やあーい、ひっかかったあ~」
猫女はあっけらかんとした顔で、才円の髪をクシャクシャと撫でる。才円は、なんだか妙に恥ずかしくて顔が耳まで赤くなった。
そして、二人はまるで姉弟のように仲良く肩を並べると、夜の更けるのも忘れ、山のような書類を少しずつ片付けていった。
書類の山が半分くらいにまで片づいた時だった。急に猫女が黙り込み、才円と目を合わせると、口にそっと人指し指を付けた。『静かに』の合図だ。
才円が静かにうなずくと、猫女は身を低くして四つん這いになり、障子の所まで猫のようにそろそろと忍び寄る。
次の瞬間、猫女は目に止まらぬ速さでかんざしを抜き取ると、力任せに障子に投げつけた。かんざしは矢のように障子を突き抜け、外で男のうめき声が聞こえた気がした。
「誰よ! そこで覗いてるのは!」
猫女がそう叫んで、障子を勢いよく開けると、暗闇の中に、庭の草花や茂みがあるだけだった。遠くでは鈴虫がのんきに鳴いている。
「おっかしいなあ、てっきり、愚霊の奴が偵察に来たと思ったんだけど……」
猫女は頭をかきながら、パタンと障子を閉めた。
すると急に、闇の中で、茂みがガサガサと揺れ始め、中からニュウッと背の高い人影が突き出て来て、うっ! と痛そうに肩を押さえた。その肩には確かにかんざしの傷があった。その男は茂みから飛び出すと、高い屋根を、人並外れた脚力で軽々と飛び越え、凄い速さで闇の中に消えていった。