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人生初めての試練

 江戸の賑やかな通りをちょっと外れると、まるで台風でも通り過ぎたように荒れ果てた貧しい通りがある。そこには屋根だけの簡易的な家や、ボロボロの長屋(昔のアパート)などが、肩を寄せ合うようにしてひっそりと建っていた。ここは貧乏人達が最後に行き着く場所と言われていたが、貧しいながらも、みんな、それなりに楽しく暮らしていた。

 才円は、ここにある長屋の一角で、静かに一人暮らしをしている。彼は毎日、寺子屋に行く前に、早起きして近くの川に釣りに行き、釣れた魚を売っては、細々と日々の生計を立てていた。彼は幼くして、既に両親を亡くしていた。

 そんな働き者の才円も、朝の布団の暖かな誘惑には、いつも苦戦を強いられていた。部屋の日時計は、とっくに釣りに行く時間になっている。

「ああ、もう行かなきゃ……でも、あと、もう少しだけ……」

 才円がそうやって、布団の中で出たりもぐったりを繰り返していると、いきなり部屋の木戸が全部、バン! と弾け飛んで、外の冷たい風がビュウビュウと部屋の中へ入って来た。才円の布団は風に踊るように根こそぎめくり上がり、彼は思わず震えながら飛び起きた。才円が戸口を見ると、そこには猫女が前のめりになって倒れているのが見えた。

「木戸くらい、開けて入れよお、猫女!」

「あ、あんた、のんきに寝てる場合じゃないわよ! 鉄あにいが……連れていかれた!」

「えっ……」

 

 鉄は両手を後で縛られ、みずぼらしい着物姿で、下手人(犯人)として馬の上に乗せられている。目はうつろで、背中を丸めたその姿は、まるで別人のようだった。

 鉄の罪状が書かれた紙にはこうあった。『この者、愚霊の仲間により打ち首』

 打ち首以上の重罪人は『引き回しの刑』として、見せしめの為に、こうして馬に乗せられて引き回される。今回は世間を騒がせた事件という事で、見物に長い行列が出来る程の大騒ぎになっていた。

 鉄の馬が才円の前まで来ると、才円は見物人の列から飛び出し、何度も転びそうになりながらも、必死で鉄の後を追った。

「僕は信じてるよ! 鉄あにいが悪い事なんて出来る訳ないもん!」

 だが、才円のそんな悲痛な叫びも、人々の喧騒に無残にかき消され、鉄の後姿はみるみる小さくなっていく。やがて、才円は力尽きて倒れたが、その目はいつまでも鉄の背中を追っていた。

「きっと……愚霊の奴等の仕業だ」

 猫女のその言葉に、才円は、昨日の女中茶屋での会話をハッと思い出した。

(鉄あにいは、うつろ船事件の事で『このあざやかな盗みの手口は、以前にどこかで見た』と言っていた。もし、鉄あにいが重要な所まで調べ上げていたのならば、愚霊が何かしら裏工作して、邪魔な鉄あにいを始末しようと企んだのかもしれない)

 そう思い付くと、才円は血が出る程に拳を握りしめた。

(それしか考えられない。だって、鉄あにいが愚霊の仲間の筈がないんだから!)

 鉄が愚霊の仲間。それは、鉄をよく知る町の人々の目にも無理があると思えた。だが、科学捜査のないこの時代、無実の囚人はそう珍しくはなかった。そして、鉄は理不尽に罪を着せられたまま、首を斬られるのを、ただ待つしかないと町の誰もが思っていた。

 才円は思い詰めた表情をすると、急に立ち上がり、鉄の乗った馬に背を向けて足早に歩き出した。

「ち、ちょっと、才円。こんな時にどこ行くのよ」

「僕が……鉄あにいを助ける」

「なにバカ言ってんの? あんたみたいな臆病者のガキんちょに、一体、何が出来るっていうのよ!」

 才円は珍しく猫女をキッと睨み返した。その迫力に猫女は思わず身を縮める。

「今の日本の捜査だと、鉄あにいはこのまま打ち首を待つしかないかもしれない。だけど、僕には、さいえんすがある……」才円はつぶやくようにそう言った。

「さい……えんす?」

「そう。僕は、西洋で行われているさいえんすによる捜査(科学捜査)というものやってみようと思うんだ」

 才円の目には、今まで見せた事のない燃えるような光りが宿っていた。それは親友の命を救う為に、未開拓なこの時代に、たった一人で立ち向かう()の目だった。



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